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Your search : [ author:鄧洪
え·呉靜波] Total 9 Search Results,Processed in 0.137 second(s)
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1. 潘虎(パンフー)
一九三〇年六月、湖南(フーナン)省瀏陽(リユウャン)県の鎮頭(チエントウ)市で、私はおもてむきは時計なおしとして地下活動をつづけていた。当時湖南省東北部のいたるところに中国共産党の地下組織があり、党の指導する遊撃隊が活躍し、ある地方では住民が自分たちで組織をつくって暴動をおこすなど、湖南省の東北部には革命の波がほうはいとしてわきおこっていた。鎮頭市に駐在する反動的な地方団隊は、私たちが暴動のために
Author: 鄧洪 え·呉靜波 Year 1962 Issue 1 PDF HTML
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2. たたかいの行程
党の第八期中央委員会第八回総会の文献(注)が公表された!その知らせはいつぺんにひろまり、機関区はたちまち沸き返つた。労働者たちはハンマーを捨てて太鼓のバチをとり、真赤な保証書をかつぐと、ドラや太鼓の鳴物入りで挑戦応戦のはげしいやりとりをはじめた。ちようどそこへ、全鉄道局に名のとどろいている先進機関士劉万能(リユウワンノン)がもどつて来た。みんなから「万能屋さん」とよばれているこの共産党員は体じゆう
Author: 肖木 え·呉靜波 Year 1961 Issue 1 PDF HTML
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3. 鉄道工事現場の深夜
月が山合いをまひるのように照らしていた。地上いちめんにうすく霜がおりて、落ち葉が風に舞っていた。ふもとの道路に小型のジープが一台とまっていた。運転手の趙玉勤(チヤオユイチン)は手をポケットにつっこんだまま、一方の肩をおとすようにして、車の前にもたれ、前方の工地をみつめていた。ひさしのかげがかれの思慮ぶかい目をかくしていた。そばの大きな工事部屋には、現場の主だった責任者がおおぜいつめかけていた。議論
Author: 杜鵬程 え·呉靜波 Year 1962 Issue 1 PDF HTML
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4. 崑崙山であったおばさん
夕方、わたしを乗せたトラックは、崑崙山(クンロンシャン)の谷間にある小南川(シャオナンチワン)の停留所に着いた。そのころ、わたしは気分が悪くて、ぜんぜん食欲がなくなっていた。ゴルムで車に乗ったそのときからからだじゅうが冷えきって、節々が痛んでいた。それが今ではますますひどくなって、頭が割れるように痛む。ここはまだ海抜三八〇〇メートルぐらいだが、わたしの仕事にゆく所は平均海抜四二〇〇メートル以上もあ
Author: 王宗元 え·呉靜波 Year 1962 Issue 10 PDF HTML
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5. 金牛と笑女
鄺牛(ワンニユウ)も凌笑(リンシヤオ)も麻洲(マーチヨウ)村の者で、一九一九年に生まれている。どちらも一人息子に一人娘だ。この麻洲村は、珠江(チユチヤン)デルタ地帯の他の村々と同じく年中雪が降らず、冬らしいものはない。村の人たちも、他の村の人と同じように、みんなたくましく、きびきびとして、勇敢な連中だった。一九二九年に、鄺牛と凌笑は十歳になり、そろそろふたりのちがいがあらわれはじめていた。はじめの
Author: 欧陽山 え·呉靜波 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
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6. 王若飛同志の出獄(上)
一九三六年九月、北平(ペイピン)(現在の北京)監獄から釈放されて間のないころ、中国共産党中央委員会北方局は、わたしを山西(シヤンシー)省の太原(タイユワン)に派遣して工作にあたらせることになった。出発にさいして北方局の責任者は、「王若飛(ワンローフイ)同志が太原の監獄につながれているとのことだから、あちらについたなら救い出すようにくふうして欲しい」ということであった。そこで、わたしは、「捕えられて
Author: 薄一波 え·呉靜波 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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7. 王若飛同志の出獄(下)
一九三六年、日本帝国主義は中国侵略の手をさらにひろげてきた。これにたいして蔣介石はあくまで非抵抗主義をとり、ひきつづき内戦をすすめた。赤軍とたたかうために派遣されたおよび張学良(チャンシユエリャン)、楊虎城(ヤンフーチヨン)の指揮する東北軍と十七路軍は、中国共産党の抗日統一戦線政策に影響されて赤軍とのたたかいを停止し、蔣介石にむかって共産党と提携して日本帝国主義にあたることを要求した。蔣介石はこの
Author: 薄一波 え·呉靜波 Year 1963 Issue 7 PDF HTML
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8. 短くて輝かしい生命
どういうわけか、土地革命のころ、革命根拠地の青少年は一般にはやくから大人びていたようだ。まだくちばしの黄色いハナたれ小僧のような十代の子供たちが、男でも女でもちやんと革命の真理を受けいれ、階級の利益をわきまえていて、仕事にかけては勇敢で、機知に富み、ひじようにねばり強く闘つた。なかには複雑で、しかも困難な任務をひきうけ、闘争の経験をつんだ大人にひけをとらぬものもいて、なかなか軽視できない力をもつて
Author: 口述鄧洪 整理胡曠 え呉静波 Year 1961 Issue 6 PDF HTML
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9. 護衞兵 魯徳春
早いものであれから三〇年の年月がたちます。一人の同志がわたしのそばを離れてただ一人敵にむかって進んでいった時の光景は、いまも常にわたしの胸に深く焼きついていて離れません。彼は魯徳春(ルートーチユン)といってわたしの護衛兵でした。戦闘中に負傷してそれいらいびっこになっていましたが、敵に包囲されたわたしを脱出させるために、自分からあの憎むべきおおかみの群れのなかに進んでいったのです。その時の彼のきびし
Author: 鄧洪(トンホン) え·孫滋溪(スンツーチー) Year 1964 Issue 11 PDF HTML