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Your search : [ author:蕭璞史石] Total 7 Search Results,Processed in 0.162 second(s)
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1. 殷墟から新しく出土した玉器
本号では、殷墟の王室の墓から出土した玉器をカラーグラフで紹介した。殷墟というのは、かつて殷·商の王朝が二百七十三年にわたって都をおいた遺跡のことで、げんざいの河南省安陽市の西郊外にある小屯村の一帯をさしていう。昨年の春、その殷墟で王室の墓が発掘されたさい、盛り土のなかと棺をおさめてある槨(かく)の上部で、玉製の臼や玉簋(ぎよくつき)が見つかった。そして、さらに発掘をすすめるうちに棺の中から大量の玉
Author: 蕭璞 史石 Year 1977 Issue 11 PDF HTML
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2. 白玉の簋(き)
カラー参照中国の股代の文化といえば、青銅器がすぐれていることで世に知られているが、その青銅器と匹敵するすばらしい玉器があることを知っている人は、残念ながらあまり多くない。一九七五年、殷墟(河南省安陽市西北郊外)であまり大きくない墳墓が一つ発見されたが、その棺槨の内外には精緻な玉器七五五点、宝石器四七点が置かれていて、さながら玉器の宝庫の感があった。表面についた汚れを拭い取ると、宝玉は本来の美しい姿
Author: 蕭璞史石 Year 1982 Issue 1 PDF HTML
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3. 朱の斑点のある玉臼と玉杵
カラー参照臼(うす)、杵(きね)といえば、日常よくみかける用具である。薬店では薬をつくのに、農家では米つきに使うのに、昔も今もかわりがない。が、今月の古文物欄に紹介する玉臼(きゆう)(高さ二三·二センチ、口径一六センチ)と玉杵(しよ)(長さ二八センチ、径七センチ)は、薬をくだくものでもなければ米をつくものでもない、それは、書道、絵画、染絹用などに使う朱砂をすりつぶすものである。なぜ朱砂をすりつぶす
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 2 PDF HTML
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4. 黒緑玉彫臥牛
カラー参照牛を飼うことは殷代でも、かなり普及していた。家を建てるとき、いしずえに牛の頭を埋める風習があったし、占いにも牛の肩胛骨をたくさん使った。牛車を発明したのは殷の王亥と伝えられ、かれを祭るために、子孫の殷人たちは、一度に四〇頭もの牛を使ったという。牛は、殷人の現実の暮らしにかなり重要な地位を占めたので、芸術上の造型や紋飾にも多くの牛の形象が使われた。中でも青銅牛鼎、司辛石牛が有名である。ここ
Author: 蕭璞史石 Year 1982 Issue 4 PDF HTML
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5. 竜形玉玦―「竜飛鳳舞」のはじまり
カラー参照原始殷民族は玄鳥(鳳凰)を崇拝したが、しかし殷王·武丁の王妃·婦好はそれよりも竜を好んだようである。事実、婦好墓から出土したおびただしい玉器のうち、玉鳳は一点しかなかったが、玉竜は一八点もあったことをみても、この女将軍の偏愛ぶりがわかる。今月号にご紹介した浮彫の竜形玉玦もそのひとつである。直径六~六·三センチ、厚さ〇·五センチ、形は壁に似るが、一部分は欠けている。これをなぜ玦(一部分の欠
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 7 PDF HTML
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6. 玉援銅内戈
カラー参照戈(カ)(ほこ)といえば、長い歴史をもつ古代兵器の一つである。漢字の中の戦役と兵器にかかわりのあるものには、ほとんど旁(つくり)として「戈」がついている。たとえば「戦争」の「戦」や、「征伐」の「伐」がそうであるし、石器時代の石斧(おの)から発達した古代兵器の「戉」(鉞(えつ)の古字、まさかり)、また「戚」(せき)(まさかり、戉より小さい)にも「戈」の旁がついている。このことは、「戈」の生
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 9 PDF HTML
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7. 婦好墓の石觶
カラー参照酒は人を陶酔させ、人類の物質生活を豊かにするばかりか、精神文明にも光彩をそなえている。つまり、酒は人に徳をもたらすという考え―一種の酒徳論が古くからある。魏晋の劉伶(竹林の七賢のひとり)がその代表であり、かれは酒を大いにたしなみ、「酒徳頌」という論文まで著わした。その頌碑はいまでも彼の墓前に立っている。盛唐の詩人李白も酒仙であった。詩が泉のごとく湧き出て、後世に不滅の名を残したのも、ひと
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 11 PDF HTML