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Your search : [ author:文·写真 歩鉄力] Total 702 Search Results,Processed in 0.086 second(s)
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1. 先祖と交わる原始の銅鼓
中国南西の辺境、雲南省の文山チワン族ミャオ族自治州は、長く交通が未発達で、訪れる人はほとんどいなかった。そのため、少数民族のいままで知られていなかった風俗習慣が幸運にも保存されていて、ため息が出るほどの民俗遺産の宝庫となっている。麻栗坡県新寨村と城寨村のイー族の支族である白倮(ルオ)人は、その典型的な一例だ。イー族は、中国で人口が比較的多い少数民族の一つで、歴史と地域環境などの要因によって、支族は
Author: 文·写真 歩鉄力 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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2. コンピューターで囲碁対局棋力はイマイチですが……
まずは上の写真を見て下さい。何台かのパソコンの前に人が腰かけていて、その間に碁盤が一面置いてあるのに、なぜかそこには人がいません。後ろで立って見ているいちばん左の人、中国囲碁界のナンバーワン·聶衛平さんの視線も、はっきりパソコンの方を向いています。そう、これは先ほど北京で行われた第六回国際コンピューター囲碁大会の一こまで、いま対戦しているのは、手前がポーランドのクラセク選手、碁盤の向こうが日本の吉
Author: 写真 歩鉄力 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
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3. 長城飯店で「納涼 スイカ祭り」 北京市民の消費量 一夏50キロ
北京は十一月に入り、一歩一歩厳しい冬を迎えようとしている。この季節になると、思い出されるのが、猛暑のなかで口にした北京のスイカのうまさだ。北京の夏は長い。五月はすでに初夏。六月、七月、八月と連日暑い日が続き、九月中旬になってようやく秋の気配が感じられ涼しくなる。ことしの夏は、中国南部が建国以来最大の水害に見舞われ被害甚大だったが、北京は自然災害はなかったものの、例年と違って蒸し暑く、熱帯夜が続いて
Author: 写真 歩鉄力 Year 1991 Issue 11 PDF HTML
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4. 母子4人で出稼ぎ6年
私は汪文秀といいます。五十四歳です。家は安徽省の農村なんですが、一九八九年から北京に出稼ぎに来ています。夫は村営学校の教師で、給料がとても安いんですよ。それに長男が結婚することになりまして、その資金もいる。改革開放以来、私たちの村でも都会に出稼ぎに行く者が年々増える一方で、娘たちがウチも行こう、と言うんです。あの子らには都会へのあこがれもあったんでしょうが、畑仕事もあるし、八十過ぎたおばあちゃんも
Author: 写真·文 歩鉄力 Year 1995 Issue 7 PDF HTML
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5. 北京市戒台寺の古いリラの木
今年の春、北京市の戒台寺公園が中国科学院植物研究所の専門家に頼んで、寺にある老木を調査してもらったところ、二十本ほどのリラ(ライラック)の木が樹齢二百年以上であることが分かった。戒台寺は北京の中心街から西に三五キロほど離れた馬鞍山にあり、一四〇〇年の歴史をもつ仏教の名刹である。初めの名は恵聚寺で、明代に万寿禅寺の名がつけられたが、ここには全国で最大の仏教戒壇があるので、一般には戒壇寺とか戒台寺の名
Author: 写真·歩鉄力 文·若虹 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
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6. 蒸臘肉(湖南料理)
馬凱餐庁は湖南料理の店として有名。三百以上のメニューがありますが、一番知られているのが「蒸臘肉」、なかなか好評です。まず用意するのは、新鮮なブタ肉1500グラム。これを細長く切り、塩、白酒、砂糖、さんしょうを少々ふりかけ、手で全体にひろげます。それからカメの中に置いて、三日間寝かせます。三日たったらひっくり返し、また三日置きます。カメから取り出したら、風通しのいいところにつるします。日にあてないこ
Author: 文·写真 狄華 Year 1990 Issue 12 PDF HTML
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7. 詩礼銀杏(孔府料理)
北京の琉璃廠。ここの文化街にある孔膳堂飯荘は、孔府(山東省曲阜にある孔子の邸宅)料理の店として、内外の美食家によく知られ、多くの客で賑わっています。孔府料理の特徴は、料理のひとつひとつが作り方も、味も違うこと。歴代の高官や貴族に愛され、また、皇帝に献上された料理でもあります。ここで紹介するのは、孔府料理の中でも甘味のある料理です。材料はギンナン。殻を取り、苦味のある心を除き、薄膜をはいだら、せいろ
Author: 文·写真 秋華 Year 1991 Issue 6 PDF HTML
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8. 変貌する「魚米の里」江蘇省南部の郷鎮企業
江蘇省の無錫、蘇州、常熟、江陰などは、むかしから「江南の魚と米の本場」といわれてきた所だ。ところが最近ではこれに新しい「本場」が加わった。郷鎮企業が雨後の筍のように起こってきたのだ。従来、農民たちは農地が小さすぎて、どんなに働いても豊かになれる状況ではなかった。仕事がなければ金持ちにはなれない道理だが、郷鎮企業ができてからは、江南の農民は衣食の基礎ができて豊かになった。蘇南の郷鎮企業は機械、紡績か
Author: 文·写真独華 Year 1992 Issue 2 PDF HTML
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9. 食文化の旅太湖の「船料理」
中国の五大淡水湖の一つ、太湖に春が訪れると、観光船がどっと繰り出し、人びとは湖岸に咲き誇る桜を賞で、とりたての魚を船で料理して食べる。これが有名な太湖の「船料理」だ。その歴史は古く、すでに春秋戦国の時代から王侯貴族、商頁文人が競って船を出し、しばしの歓楽に時の移ろいを忘れたという。有名な古典劇『魚蔵剣』は、まさにそうした時代の反映と言えるもの。下僕に変装した刺客が、魚のはらに短剣を隠し、料理の供さ
Author: 文·写真秋華 Year 1992 Issue 2 PDF HTML
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10. 常熟の三宝
蘇州の北東約三〇キロ、北は長江に臨む常熟市に「常熟三宝」と呼ばれる名物がある。その一つは、常熟の南に広がる陽澄湖の蟹で、こうらが青く、腹が白い。葦の穂が生い茂る秋たけなわのころがしゅんで、身がやわらかく、むして食べると実にうまい、.一匹の目方は二五〇グラムくらいだが、香港に入るとびっくりするような値段がつく、.この蟹は「潭蕩(深い沼)金爪蟹」とも言われている。清の光緒帝が、学問の師である翁同餅から
Author: 文·写真秋華 Year 1992 Issue 4 PDF HTML