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Your search : [ author:張玉泉] Total 24 Search Results,Processed in 0.138 second(s)
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1. 帰郷
革命家にとっては働く場所が家である。しかし、わたしは、自分のふるさとにどこよりも親しみとなつかしさを感じる。そのふるさとをあとにしてもう一年あまりになる。数日まえ、父から手紙がきた。ふるさとの昨年の収穫がよく、村人たちの生活もゆたかになり、新しい変化がみられるという。この一年間に、いったいどんな変化があったのか、早く知りたいものだと思った。旧正月のまえに、わたしはふるさとへ帰る機会をもった。わたし
Author: 張玉泉 Year 1962 Issue 5 PDF HTML
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2. 北京の夏のスポーツ
夏の北京(ペイチン)は目のさめるようなみどりにつつまれる。あちこちの公園や避暑施設には、心ゆくまで余暇をたのしむ人びとの姿がみえる。快晴のある日曜日、記者はカメラをもって、北京の夏のスポーツ·センターをいくつかまわってみた。プールで西城区の什刹海(シーサハイ)プールは、カッパ連中の天国だ。ここの入場者は、いつもは千のけただが、日曜、休日には万をこすといわれる。大多数をしめる夏休みちゅうの学生、生徒
Author: 張玉泉 Year 1962 Issue 8 PDF HTML
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3. 豆サッカーチームの話
ある秋晴れの日北京市(ペイチン)西城区(シーチヨン)の官園(クワンユワン)競技場にいってみたわたしは、グラウンドにはいったとたん、たちまち熱戦中のサッカー試合にみせられてしまった。選手たちはどれも十三、四歳そこそこのわんぱく盛りの少年たちだ。それぞれ赤と黄のユニフォームを身につけた両チームは、堂々たる陣をはって「戦術」をつくしあい、まさに白兵戦のさいちゅうだ。ボールがゆくさきざきに、火だまがぶっつ
Author: 張玉泉 Year 1962 Issue 10 PDF HTML
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4. 北京テレビ大学
まい朝、まだ夜があけきらないというのに、もう先生の顔がブラウン管にうつる。いきいきとした抑揚のある声で講義がはじまる……。テレビを前に聴講生がずらりとならび、一生懸命きいては、ノートする……これが北京テレビ大学の授業風景だ。名はテレビ大学というけれども、テレビ放送の技術を教える学校ではない。テレビ放送を通じて一定の科学知識を教授する新しい教育制度である。学校も普通の校舍があるわけでなく、各所に散在
Author: 張玉泉 Year 1963 Issue 1 PDF HTML
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5. 疲れを知らぬ老革命家 謝覚哉氏
最高人民法院長の謝覚哉(シエチユエツアイ)氏はことし八十歳の高齢にもかかわらず、国家と人民のために労苦をいとわず仕事にはげんでおられる。わたしは、つい先ごろこの老革命家の門をたたいた。謝老の宅は灰白色の小さな建物だが、幽雅な庭の真ん中にブドウ棚があり、両側には松柏が列をなして並んでいる。ゆったりとした感じの応接室で、記者は、謝老と夫人の王定国(ワンテインクオ)さんにお目にかかった。謝老は固くわたし
Author: 張玉泉 Year 1963 Issue 4 PDF HTML
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6. 大海を征服する娘
遼寧(リヤオニン)省労働模範者会議に島からやってきた娘さんがひとりいた。ことし二十五歳になったばかりだというのに、りっぱな漁業機帆船の船長さんである。この数年来、祖国沿海の漁場で、かの女の運転する船が姿を見せないところはない。みんなから「海の女英雄」としてしたしまれている。かの女こそは旅大(リユイター)市長海(チヤンハイ)県獐子(チヤンナー)人民公社の社員―文淑珍(ウエンシユウチエン)さんである。
Author: 張玉泉 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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7. 造船労仂者の業余大学
日曜日の朝といえば、上海(レヤンハイ)の外灘(ウアイタン)の通りは、休暇を楽しむ人びとで、たいへんな人出になる。しかし、繁華街の中心地にある業余大学の教室には、作業服姿のたくましい人たちがつめかけている。かれらは、講義を聞きながら、手だけは休めずノートをとったり、公式を計算して、熱心にグラフを書いたりしている。また四、五人ずつあつまって書物の中の問題を議論しあっている学生たちもいる。ここは上海造船
Author: 張玉泉 Year 1966 Issue 4 PDF HTML
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8. 長江をくだる
カラーグラフ参照長江(揚子江)は中国の国民経済の中で重要な地位を占める。その流域は三億の住民を擁し、農作物は中国の総収獲高の四割を占め、重要な工業基地がその沿岸に分布する。長江は一年中凍らない。その延長五千八百キロの半数は、汽船の航行が可能である。それに多くの支流、湖泊など航行可能キロをくわえると、一万八千キロが航行可能である。昨年の秋、重慶から上海まで、二千五百キロにわたる長江の旅をした。つぎに
Author: 秦泥 張玉泉 Year 1973 Issue 3 PDF HTML
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9. 若がえった開灤(かいらん)炭鉱
渤海湾を南にのぞむ広い平野に、埋蔵量のゆたかな炭鉱がある。河北省の開灤炭鉱だ。一八七八年に採炭を開始してから現在にいたるまで、この炭鉱はすでに一世紀に近い歴史をもつ。ききごろ、記者はこの炭鉱を訪ねたが、そうした長い歴史をもつこのヤマがみちがえるほどの変化をとげているのをみた。ヤマじゅうが生気と熱気にあふれていた。地下数百メートルの坑内では、各種の新しい採炭機が夜を日についで活躍し、電気機関車が、曲
Author: 本誌記者 張玉泉 李世清 Year 1973 Issue 10 PDF HTML
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10. 炭鉱労働者の今日このごろ
開灤炭鉱の労働者は「幸福な」ということばをつかって自分たちのいまの生活を表現するのがつねである。このことばは、ただの形容詞ではない。それは心の底からの叫びなのだ。解放前、帝国主義と資本家の残酷な搾取をうけて、この炭鉱の労働者はこの世の苦難をなめつくし、「幸福」とはまったく無縁だった。解放後、かれらは、政治的にも経済的にも主人公としての地位を獲得し、はじめて幸福な生活がおくれるようになったのである。
Author: 本誌記者 張玉泉 李世清 Year 1973 Issue 10 PDF HTML