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Your search : [ author:在日中国人作家 靳飛] Total 15 Search Results,Processed in 0.124 second(s)
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1. 日本の友人四竃恭子さんを偲ぶ
梅雨はもう明けたようだったが、このところ夕方近くになるといつも土砂降りの雨が二、三時間続いてはぴたりと降り止む。昨日、伊藤歯科医院に虫歯の治療に娘を連れて行った帰りに大雨に降られ、着ていたものがずぶ濡れになってしまった。娘はかえって興奮して「北京の雨みたい」と何度も私に言った。私はしばし考えて、この感じは悪くないと思った。東京の雨はまるで日本語のように曖昧模糊としていることが多い。見ると地面が雨で
Author: 在日中国人作家·靳飛 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
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2. お茶の縁ふたたび
三百年以上前、中国の明朝は、国内の農民蜂起軍と北方遊牧民の満州族軍から攻撃を受けた。儒学者·朱之瑜(日本では号の舜水が有名、浙江省余姚(よよう)出身、一六〇〇~八二)は、明朝が存亡の機にあったころ、単身海外を奔走し、日本や東南アジア諸国に援軍を求めた。しかし彼の願いもむなしく、満州族が明朝を倒して清朝を打ち立てた。そして彼は、故国に帰ることすら叶わなくなった。時は流れ、六十歳を過ぎたころ、水戸徳川
Author: 在日中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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3. 中日関係をどう見つめるべきか
昨年十月、日本を訪れた中国の朱鎔基総理がTBSの番組に出演した時に胡弓を弾いた。もちろん、日本国民に対するサービスである。中日関係は九〇年代に入ってからぎくしゃくした状態が続いている。こうした局面を何とか打開したいというのが朱鎔基総理の訪日目的の一つであったと思われる。中日関係がなぜ冷え込んでしまったのか、その原因はいったいどこにあるのか。こうした問題を根元から突き止めて解決すれば、朱総理の胡弓の
Author: 在日中国人作家 莫邦富 Year 2001 Issue 3 PDF HTML
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4. 中国と日本、ふたつの風景に寄せる思い
十二年以上も過ぎたいま、私は北京から日本に移住してきた。この空間の移り変わりについて、言語は、どれほど費やしても人間の思いを完全に言い表わすことができない脆いものであったかもしれない。しかし、二つの国、時にはたった二つの風景だけで、正確に私の思いをとらえることができた。それは、次のような風景であるのだが、中国の沙漠植林、そして日本、壁の上の空き缶という文字の配列が、私に時間と空間の長いトンネルを通
Author: 在日中国人作家 毛丹青 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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5. 中日韓 色の比較文化論
私の妻が初めて日本にやって来たのは一九九七年の秋のことだ。それから半年ほど経った頃、私は彼女に「どう、日本の印象は?」と聞いてみた。彼女は「う~ん」と、しばらく考えてから「色に例えて言うなら、日本は特に何色と名付けられない雑色ね」と言った。「中国人と比べて、日本人の着ている服は曖昧な中間色が多いし、日本人のハートや表情だってそんな感じだわ」。私はまったくその通りだ、と思って何度もうなずいた。色にみ
Author: 文化人類学者·在日中国人作家 金文学 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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6. 茶菓子遊びとプロポーズ
前回、明末期の儒学者·朱之瑜(号は舜水)に触れたが、彼の名前からは、同時代の著名な文人である李漁(浙江省蘭渓出身、号は笠翁、一六一一~八○)を思い出さずにはいられない。朱之瑜と李漁はともに浙江省の人だが、性格はまるで違う。朱は、まじめすぎるくらいまじめで、一方の李は、何をするにも遊び心を持っていた。朱は、江戸前期の日本での儒学の発展に貢献し、特に水戸学の形成を推進した。李は、日本に足を踏み入れたこ
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 2 PDF HTML
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7. 竜之介と「草決明」
日本では、サクラが開花する旧暦三月(新暦では四月頃)は「サクラの月」と呼ばれる。しかし、この季節に私が最初に思い浮かべるのは、サクラではなく、大作家·芥川竜之介である。今年は、一八九二年三月一日生まれの彼の生誕百十周年に当たる。私は、まだ日本について全く知らなかった十六、七年前、初めて芥川の作品に触れた。当時北京では、毎年一回、古本市が開かれていて、大量の古雑誌を買い集めたが、その中に、中国の作家
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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8. 「春茶」の味わいと思い出
二月初めから三月初めの一カ月、私は北京、天津、南京、上海を訪れた。どうしたことか、旧正月前後の北京と天津は、大げさに言えば、まるで初夏のような陽気だった。三月初めの南京では、ぐずついた日が続き、ようやく肌寒さを感じた。南京に着いた日、ちょうど梅祭りが開幕した。私は友人と連れ立って「梅見」に出掛け、ふと「梅の花が春を告げる」という故事を思い起こした。北はもう初夏で、南では梅で春を感じるなんて、南北が
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 5 PDF HTML
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9. 茶禅一味
私は今までに六回、京都に遊んだが、また行くチャンスが巡ってきた。今回は、何が何でも建仁寺まで足を伸ばしたい。実は、ずっと前から行きたかったが、きっと、縁がなかったからだろう。門の前を通ったにも関わらず、入れなかったこともあった。今年はちょうど、建仁寺建立八百周年に当たる。今回の京都訪問では、ようやく私の願いを果たせるだろうという予感がする。建仁寺にひかれるのは、もちろん、そこが栄西禅師(字は明庵)
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 6 PDF HTML
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10. ふるさとの茶を日本で楽しむ
今年は、京師大学堂(北京大学の前身)の初代総教習(学長に相当)である呉汝綸の日本視察百周年であり、魯迅の日本留学百周年でもある。二つの百周年とその背後にある物語に、私は無限の感慨を覚える。日本が中国から学んだ歴史は千年以上になるが、一方で、中国人が本気で日本に注目し始めてからは、わずか百年程度という事情に思い至る。清代の初の駐日外交官は、なんと、通訳を伴わなかったと言われている。おおかた、日本でも
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 7 PDF HTML