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Your search : [ author:写真 王子瑾] Total 3400 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
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1. クラスの問題は休み時間のミニ ミニ評議会で解決してマース
「潘クンは、黒板拭きをけってサッカーの練習をしていたの、やめろといってもきかないんだ」「黒板拭きは学校のものでしょ。『小学生のきまり』の第九条に公のものを大切にってあるでしょう。黒板拭きを遊びに使ってはいけないわ。潘クンはどう思う?」「ボクも、いけなかったと思ってはいるんだ」「じゃ、どうして周クンが注意したときにやめないの?」「やっぱり面子があるもの」皆は大笑い、これで一件落着。潘クンと周クンの次
Author: 写真 王子瑾 Year 1987 Issue 4 PDF HTML
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2. 小腸がなくても私は元気 やさしい夫と家庭静脈栄養療法で
小腸を全部切除しても、中国の「家庭静脈栄養療法」第一例として周綺思さんは生きつづけています。周さんは二十七歳の上海機械電気設計院の技術者ですが、昨年の初め、妊娠中に胎児が死亡し合併症を起こしたために胎児をとり出すとき、周さんの小腸も全部切除するという不幸に遭いました。小腸を失ったら食物を口からとることはもうできません。体の栄養はどうするのか、生きて行けるのか、心配なことです。上海市中山病院の呉肇光
Author: 写真 王子瑾 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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3. 「負けるものか立ち直ってみせる」上海にガン患者クラブ成立
これは七百人あまりの患者が作った自分たちのクラブです。前身は上海新気功治療癌(がん)症学会で、ここで補助治療としての気功を習って健康を回復した患者たちが、自発的にほかの患者に気功の指導をしていたのが発展したもので、一九八九年にクラブになりました。こちらを向いている二人が、組織者の袁正平さん夫妻です。袁さんも、気功の補助治療で回復した一人です。クラブのために尽力している人は、大部分が回復者で、いま定
Author: 写真 王子瑾 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
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4. 植木鉢で野菜の無土壤栽培観賞 食用 環境美化に一役
上海人は野菜好き、花の栽培好きでよく知られているが、野菜の栽培は植える土地が必要など、花と比べて自由に、簡単にはできなかった。もし仮に、植木鉢で土無しで野菜を栽培することができれば……。土地は無くてもベランダで栽培できるし、緑濃い葉や枝を楽しめるばかりでなく、野菜を家族で食することも可能。そんな夢を実現して見せてくれたのが、野菜を手にしてほほ笑む王化さん。ことし六十六歳。王さんは、上海農業科学院園
Author: 写真 王子瑾 Year 1991 Issue 6 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML