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Your search : [ author:写真 楊逸疇] Total 3405 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
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1. タクラマカン砂漠
本文参照タクラマカン大砂漠―中国の地図を開くと、西北部新疆ウイグル自治区の中に大きく広がる砂漠だ。“死の海”として内外に知られている。東西の長さ約一〇〇〇キロ、南北の幅約四〇〇キロ、面積三三·七万平方キロ。日本列島がすっぽり入ってしまうほどの大きさである。サハラ砂漠に次ぐ、世界第二の大砂漠であり、また、現在世界で唯一の、まだ詳しく探査されていない大盆地である。昨年九月から十月にかけて、中国科学院の
Author: 写真 楊逸疇 Year 1989 Issue 5 PDF HTML
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2. 東チベット3000キロ初踏査
昨年、日本の著名な登山家平井一正教授を総隊長とする神戸大学西蔵学術登山隊と中国科学院の科学者は、ヒマラヤ山区のクーラカンリ峰(7554メートル)とラサ―成都間の川蔵公路3000キロの沿線において、地質、地貌、地球物理、植物、昆虫などについて共同調査を実施した。クーラカンリ峰は、ヒマラヤ山脈の中段、チベットのロザ県内にそびえている。険阻にして峨々たる峰は、世界の7500メートル級の高峰中の処女峰であ
Author: 撮影 楊逸疇 Year 1987 Issue 2 PDF HTML
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3. 東チベット3000キロ初踏査
これまで、七五〇〇メートルを超える世界の高峰のうち、征服されていないのはナムチャバルワ(七七八二メートル)とクーラカンリ(七五五四メートル)だけであった。昨年、中国は日本の神戸大学西蔵(チベツト)学術登山隊に対して、初めてクーラカンリ峰登山とラサと成都を結ぶ川蔵公路沿線の科学調査を許可した。この地方の初の対外開放である。日本の有名な登山家平井一正教授を総隊長とする神戸大学西蔵学術登山隊は、中国登山
Author: 中日共同学術調査隊の記録 楊逸疇 Year 1987 Issue 2 PDF HTML
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4. ヤルツァンポ江大湾曲部の渓谷にて
中国の西南辺境にひろがるチベット高原の南部には、世界で最も高いところを流れる大河がある。その両側には大山脈が峰をつらねる。南側がヒマラヤ山脈、北側がガンガルデセ山脈、ニェンチェンタングラ山脈だ。大河は西から東へしぶきをあげて流れてゆく。この河が有名なヤルツァンポ江である。約二年間、われわれは「神秘の渓谷」といわれてきたヤルツァンポ江の大湾曲部を踏査し、忘れがたい印象をえた。機上からみるヤルツァンポ
Author: 中国科学院青蔵高原総合科学調査隊隊員 楊逸疇 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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5. タクラマカン砂漠科学調査(上)
“死の海”への挑戦わたしは過去、ヒマラヤに十四回登っているし、中国と日本をつなぐ大海も渡っている。ただ砂漢にはまだ足を踏み入れたことはなかった。八カ月前になるが、縁あって科学調査隊に参加し、世界に名だたる中国新疆ウイグル自治区南部のタクラマカン砂漠に入ることになったのである。タクラマカンという言葉はウイグル語で「入れば、出られない」という意味だ。この大砂漠は、東西約一〇〇〇キロ、南北四〇〇キロほど
Author: 中国科学院地理研究所助教授 楊逸疇(本誌特約記者) Year 1989 Issue 5 PDF HTML
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6. タクラマカン砂漠科学調査(中)
風がつくり出す芸術大砂漠の懐での調査はまた、絶えず風砂と付き合うことでもある。ある日、わたしたちは「大河沿」西北部の地質調査に出た。データに必要なものを集め終えると、日はすでに暮れかかっていた。この時だ、突然風が激しく荒れ狂ったのである。風は砂粒をふくみ、それが頰にあたってひどく痛い。もうもうと砂塵が上がり、数歩先は何も見えなかった。わたしたちは急いで臨時の設営地、マジェンルクに引き返すことにした
Author: 中国科学院地理研究所助教授 楊逸疇(本誌特約記者) Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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7. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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8. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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9. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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10. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML