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Your search : [ author:写真 孫克譲] Total 3400 Search Results,Processed in 0.083 second(s)
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1. 二十余年ぶりに起死回生 「文革」で傷ついた明代の名画
修整前と修整後―別に何かの宣伝ではありません。「文革」で受けた一つの傷あとの修整の話なんです。画中の人物は、十六世紀の初め、山東省即墨県の役人であった藍田という人。藍家一族は、明代中葉、藍章、藍田父子が進士になったころから隆盛に向かい、その後長い間、官僚として名を成しました。その先祖の遺物として子孫に伝えられていたのが、この一幅の絵です。「文革」の初期、ご多分に漏れず、藍家も「紅衛兵」の「四旧一掃
Author: 写真 孫克譲 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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2. 南京に一大新名所よみがえった「十里秦淮」
「十代名都」として今に数々の名勝古跡を伝える南京。六朝(東呉、東晋、宋、斉、梁、陳)から南唐、明の初期、そして太平天国、中華民国と十代にわたって都が置かれたことから、市内には、それぞれの時代の“香り”を残す無数の歴史遺跡が散らばっている。「秦淮河にもやう船の灯のにぎやかさは天下第一だ。岸辺に軒をつらねる家々のはなやかなこと、十里、さながら珠(しゆ)のすだれを垂れかけたかのようだ」とは『板橋雑記』に
Author: 写真 孫克譲 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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3. 清·澄泥瓦式硯
硯は中国の伝統工芸品のひとつである。筆、墨、紙と合せて文房四宝と呼ばれているが、実用性と芸術性を兼ね備えた硯は、中国の長い文明を物語るものと言える。硯の原形が出来上がったのは、原始氏族社会の後期。秦代になって今の形のものが登場する。古代の硯には玉硯、瓦硯、陶硯、銅硯、鉄硯、銀硯、石硯などがある。現在四大名硯とされているのは、広東省高要の端溪硯、江西省婺源の歙硯(きゆうけん)、甘粛省臨洮の洮硯、山西
Author: 写真·文 孫克譲 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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4. 劉墉の対聯·行書七言聯
清の乾隆と嘉慶の時代に4人の大書家がいた。劉墉、梁同書、王文治、翁方綱である。このなかでいちばん出世したのが、ここに紹介する対聯の作者の劉墉であった。劉墉(1719-1804 字·崇如)は山東諸城の人、乾隆十六年の進士で、位、宰相にまでいたる。当時、康煕、乾隆両皇帝のお気に入りであった董其昌と趙孟頫の書風が大いにもてはやされていたが、劉墉はこの時流にさからい、もっぱら豊潤な字を揮毫してはばからず「
Author: 写真·孫克譲 文·蕭河 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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5. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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6. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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7. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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8. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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9. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. つごう二百余名が一堂に。栄家一族、めでたく“大団円”。
エコノミストならずとも、中国経済に関心ある方なら、ご存知でしょう。栄毅仁(ロンイーレンー)氏。一九五〇年代に、「紅色老板」(赤い資本家)の異名(えいきじん)までとった、中国経済界の“立て役者”です。栄家一族は、今世紀のはじめ、父親の代に、四つの石臼から製粉業を興し、三〇年代には、故郷の無錫をはじめ、上海、済南などに、製粉、紡績、機械などの工場をもつ、中国有数の民族資本をうちたてました。一九四九年、
Author: 写真 李平 Year 1986 Issue 10 PDF HTML