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Your search : [ author:写真·文 孫克譲] Total 491 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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1. 清·澄泥瓦式硯
硯は中国の伝統工芸品のひとつである。筆、墨、紙と合せて文房四宝と呼ばれているが、実用性と芸術性を兼ね備えた硯は、中国の長い文明を物語るものと言える。硯の原形が出来上がったのは、原始氏族社会の後期。秦代になって今の形のものが登場する。古代の硯には玉硯、瓦硯、陶硯、銅硯、鉄硯、銀硯、石硯などがある。現在四大名硯とされているのは、広東省高要の端溪硯、江西省婺源の歙硯(きゆうけん)、甘粛省臨洮の洮硯、山西
Author: 写真·文 孫克譲 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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2. 二十余年ぶりに起死回生 「文革」で傷ついた明代の名画
修整前と修整後―別に何かの宣伝ではありません。「文革」で受けた一つの傷あとの修整の話なんです。画中の人物は、十六世紀の初め、山東省即墨県の役人であった藍田という人。藍家一族は、明代中葉、藍章、藍田父子が進士になったころから隆盛に向かい、その後長い間、官僚として名を成しました。その先祖の遺物として子孫に伝えられていたのが、この一幅の絵です。「文革」の初期、ご多分に漏れず、藍家も「紅衛兵」の「四旧一掃
Author: 写真 孫克譲 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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3. 南京に一大新名所よみがえった「十里秦淮」
「十代名都」として今に数々の名勝古跡を伝える南京。六朝(東呉、東晋、宋、斉、梁、陳)から南唐、明の初期、そして太平天国、中華民国と十代にわたって都が置かれたことから、市内には、それぞれの時代の“香り”を残す無数の歴史遺跡が散らばっている。「秦淮河にもやう船の灯のにぎやかさは天下第一だ。岸辺に軒をつらねる家々のはなやかなこと、十里、さながら珠(しゆ)のすだれを垂れかけたかのようだ」とは『板橋雑記』に
Author: 写真 孫克譲 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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4. 劉墉の対聯·行書七言聯
清の乾隆と嘉慶の時代に4人の大書家がいた。劉墉、梁同書、王文治、翁方綱である。このなかでいちばん出世したのが、ここに紹介する対聯の作者の劉墉であった。劉墉(1719-1804 字·崇如)は山東諸城の人、乾隆十六年の進士で、位、宰相にまでいたる。当時、康煕、乾隆両皇帝のお気に入りであった董其昌と趙孟頫の書風が大いにもてはやされていたが、劉墉はこの時流にさからい、もっぱら豊潤な字を揮毫してはばからず「
Author: 写真·孫克譲 文·蕭河 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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5. 食文化の旅 秦淮河風味の小吃
南京市内を流れる秦淮河は、遠く秦の時代に開削された運河。江南の貴族文化が欄熟した六朝の時代(三世紀初め~六世紀終わり)から、その両岸に高殿や酒楼が軒を並べ、明清の時代(十四世紀半ば~二十世紀初め)になってさらに栄えた。いまも南京で指折りの繁華街として、正月や節句には三十万入からの入出で賑わう。中でも夫子廟地区は、食文化の中心ともいうべきところρ古い歴史を誇る料亭、茶荘、酒楼、小吃(一品料理)店など
Author: 写真·文狄華 Year 1992 Issue 1 PDF HTML
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6. 揚州の三大料理
かつて日本の遣唐使が上陸した揚州。鑑真和上の生地であり、若き日の和上が修行した大明寺のある揚州長江に、揚子江という別名を与えるもとになった揚州。.「故人西のかた黄鶴楼を辞し、煙花三月揚州。に下る」という李白の詩心有名だ。揚州は遠く紀元前五世紀に呉王夫差が築いた町。唐代には江南随一の大都会として栄え、家々に鶴が飼われていたという。「腰に十万貫を纏い鶴に騎って揚州に下る」という詩には、大金を持った男が
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 3 PDF HTML
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7. 北京で味わえる地方料理東坡肉(浙江料理)
浙江省の料理としてよく知られているのが、この東城肉です。すでに900年以一f”の歴史をもつ名物料理。宋代の大文豪、蘇東披に由来する料理でもあります。左遷させられて杭州の地方官となった蘇東士皮は、西湖にf.手を築いて農地にかんがいし、人々に幸福をもたらしました。ある日、豚肉と紹興酒を贈られた東城は、家人にこれを料理して労働者に届けるよう言いつけます。家人は肉と酒を一緒に料理するものだと思って作ったと
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 6 PDF HTML
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8. 武昌の魚料理
誰でもょく知っている武昌魚。毛沢東が「長沙の水を飲み、武昌の魚を食べる」と詩に詠んだところから名を馳せるようになった。誰もが一度は食べてみたいと思う魚だ。武昌魚の名は千七百年以上も前の古書にも載っている。昔も今も、多くの詩人墨客が詩に詠んでほめたたえている魚である。学名は妨魚(トガリヒラウォ)。湖北省武昌の梁子湖でとれる。この湖と長江の間に短い川があるが、毎年秋になると、湖の魚は湖水とともに長江に
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 7 PDF HTML
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9. 湖北の手づくり豆腐
中国人は豆腐料理が大好きだ。栄養価が高い上に値段も安いというのが、その最大の理由だが、残念なことに、このごろはすっかり機械生産となり、手づくりの、あるいはロバに大豆を挽かせて作った豆腐というものが、ほとんど姿を消してしまった。だが、ここ湖北省は省都武漢から数十キロ西北に行った孝感、雲夢、応城、漢川のあたりでは、豆腐はいまでも手づくりが普通。味にこくがあるのはもちろんのこと、工芸品と言ってよいほど凝
Author: 写真·文秋華 Year 1992 Issue 8 PDF HTML
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10. 曲阜の孔府菜
最近私は、孔子のふるさと山東省曲阜を訪れ、孔府菜IIすなわち孔子の家に代々伝わってきた料理を賞味したばかりか、孔子第七十七代の孫娘である孔徳愁(こう·とくぼう)さんとそのこ子思の何達さんから、孔府菜の話をいろいろうかがつという幸運に恵まれた。孔府菜研究会の名誉主席であり、ご自身が美食家でもある孔さんのお話は、料理同様に含蓄に富んだものであった。「食(めし)は精(しらげー白い)なるを厭(いと)わず、
Author: 写真·文 狄華 Year 1992 Issue 9 PDF HTML