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1. 玉門関と漢の長城
一酢年からほほ三年、万里の長城の現淋を訴査する肺に参加する機会に恵まれた。今号から七回に分けて、その報告をすることにしよう。九〇年九月、手始めに漢代の長城遺跡を求めて、一行八人は玉門関周辺の探査に向かった。敦煙からツァイダムに通じる公路上を西南に一時聞、車は舗装路を離れてゴビの大砂漠にはいった。この先は、砂漠の奥深くからソーダと硝石を運搬してくるトラクタ-のわだちの跡をたどって進むしかない。途中、
Author: 写真 文 宝玉 Year 1992 Issue 11 PDF HTML
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2. 嘉峪関と魏晋の古墓群
嘉峪(かよく)関は祁連山脈と黒山が接する谷間にあり、万里の長城の最西端に位置する関所としてよく知られている。古くからシルクロードの要地だった所で、明の洪武五年(一三七二)に大将軍馮勝がここに城関を築いた。その後、長城が造られて城関と接続、西の要塞として機能が整った。万里の長城にある城関の中でもっともよく保存されていて、内城、外城、瓮城、羅城と堀を備えている。われわれはヘリに乗って、城関から討頼河ま
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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3. 賀蘭山の石刻岩絵
われわれは西夏王の陵墓を見たあと、道を北にとった。車は賀蘭山山麓の川ぞいの谷をガタガタと進む。この一帯は数年前の出水で道路がほとんど破壊されていた。散乱する石の上を、道を確かめながらそろそろと走っていく。三十分余でどうにか登山口についた。賀蘭山は険しい山だ。山道に踏みこむと、高低とりどりの崖が両側をふさいでいる。でこぼこ道に足をとられながら西に向かううちに少しずつ開けてきて、卵ほどの石がごろごろし
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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4. まぼろしの楼蘭
三日間捜し歩いて土垠(どぎん)を発見できなかったので、楼蘭に漢ののろし台を見に行くことにした。ロプノール西岸に沿う孔雀河の河床を南に向かう古道は、砂丘と溝の連続、そこに枯れた葦が倒れていて進路をふさぐ。場所によってはスコップで砂を掘るのだが、そうなると三十分かかっても車は五十メートルしか進めない。楼蘭まで十数キロの所で日が暮れてきたので、露営する。翌早朝、測量隊長の劉さんをキャップに徒歩で出発。ヤ
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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5. 黒水国の古城遺跡
黒水国の遺跡は、以前テレビで空撮シーンを見て以来、ずっと行ってみたいと思っていた。こんど張掖(ちょうえき)に来て、この古城の場所を聞くことができ、さっそく出かけた。張掖の市街地から間もなく砂漠にはいって道を失い、いったん公路にもどったが、折よく出会った地元の農場長が熱心な人で、現場まで同行してくれた。黒水国の古城遺跡は南北が一五キロ、東西が一〇キロ。前漢以前に匈奴(きょうど)族がここに移住して小月
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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6. 白い古都―統万城
涼しいうちにと、夜が明ける前にわれわれは靖辺県城を出発した。砂漠の奥深くにある大夏国の古都が今回の目標である。紀元四世紀から五世紀にかけて、漢族の統一王朝、晋は日ましに勢いを失い、中国は「五胡十六国」といわれる大分裂時代にはいった。このころ匈奴民族の王赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)は自慢の鉄騎兵を率いて、大夏国を建国した。その領域は今の陝西省の秦嶺から北、内蒙古の黄河沿い地帯、山西省太原、臨汾の西南
Author: 写真·文 胡宝玉 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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7. 滄州市で「徐福シンポジウム」
河北省滄州市で去る五月、「徐福千童国際学術シンポジウム」が開かれ、日本、韓国および北京、台湾、山東、江蘇各地から約七十名の研究者が参加した。徐福とは、約二千年前の秦代の方士で、始皇帝の命を受け、数千人の童男童女、もろもろの職人を引き連れ、仙薬を求めて東へ海を渡った人物として、『史記』に記載されている。河北省塩山県千童城がその出航の地とされ、日本の佐賀、熊野などに渡来したとの伝承が残り、近年、内外の
Author: 写真·文 張汝亮 王宝玉 Year 1997 Issue 9 PDF HTML
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8. 羊崇拝の山岳民族―チャン族
チャン(羌)族の村は、四川省の茂汶チャン族自治県に集中している。省都の成都からバスで五時間ほど。九頂山のふもとに開けるのが自治県の県都·茂汶。一帯は緑したたる深山と急流が流れ下る峡谷とが織りなす山村の風景。岷江の本·支流は四季をとわず豊かな水量に恵まれている。九頂山の山頂には夏でも雪が。チャン族の祖先は、紀元前四世紀末から十三世紀にかけての長い期間に、中国の西北部、今の甘粛省のあたりから、数次にわ
Author: 写真 胡宝玉 Year 1990 Issue 6 PDF HTML
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9. 市民生活を体験した読者たち
本誌の編集については、星野稔さんが「誌面に繁体字と簡体字の説明を増やしてほしい」という要望を出した。また、小林義雄さんが、日本人としての視点で中国の汚水処理について意見を出した。最後に、于社長が「二〇〇五年は、諸葛孔明の子孫のふるさと、浙江省の諸葛八卦村などを旅する計画です。山東省の泰山でお会いしましょう」と語った。
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 1 PDF HTML
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10. 「赤壁の古戦場」昔日の面影、今日の発展
華中地域に位置する湖北省咸寧市赤壁鎮は、約千八百年前、『三国志』の「赤壁の戦い」が行われた地である。時代は流れ、現在は「城在山中、人在画中(街は山に囲まれ、人は絵の中にいる)」と例えられる美しい都市だ。「赤壁の戦い」の遺跡二〇八年十一月、中原を統一した曹操は八十万の大軍を率いて南下し、東呉に迫った。孫権と劉備は協力してこれに対抗した。策士の龐統は、鉄の鎖で船と船をつなぐ作戦、いわゆる「連環の計」で
Author: 于文=文·写真 Year 2005 Issue 3 PDF HTML