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Your search : [ author:丘桓興] Total 205 Search Results,Processed in 0.097 second(s)
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1. 中国バレーボール代表団訪日随行記
徐振宇団長にひきいられる中国バレーボール代表団は日本バレーボール協会、日中文化交流協会(朝日新聞社、読売新聞社、教育テレビ後援)の招きに応じて、昨年の十月二日、日本にむかった。中国の男·女子バレーチームは東京で全日本男子チームおよび全日本女子チームと試合をした。そのあと、男子は横浜、和歌山、広島、福岡、大阪、京都を訪れ、女子は室蘭、札幌、秋田、大館、仙台、福井、武生、名古屋、箱根などの各地を訪問し
Author: 丘桓興 Year 1973 Issue 1 PDF HTML
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2. 交響楽を労·農·兵のために
グラビア参照中国中央楽団は、わが国のプロレタリア音楽芸術の革命のために多くの努力をはらってきた芸術団体である。 この楽団はいつできて、どのような道をたどってきたのか。どのように交響楽を労働者、農民、兵士に奉仕させているのか。 そうした読者の問いにお答えするのがこの文章である。中央楽団の所在地は北京の東北部の住宅街―和平里である。これは国立の楽団で、オーケストラの楽員百名、コーラス団員百二十余名、創
Author: 丘桓興 Year 1973 Issue 11 PDF HTML
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3. 患者につくす看護婦陸俊成さん
北京市労農兵病院心臓·ジン臓病室付き看護婦の陸俊成さんは、今年三十一歳。十三年前、中学を出ると北京第一看護婦学校に入学した。在学期間(三年)の食費、寄宿費、学費、教科書代、実習費は政府持ちで、卒業するとこの病院に配属されてきた。医師と看護婦は同志の間がらひと昔まえまでは「医者の口に看護婦の足」といわれていた。医師が言い付け、看護婦が動きまわるのである。そうした医師と看護婦の関係も今ではすっかり変っ
Author: 丘桓興 Year 1974 Issue 3 PDF HTML
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4. 絵を描く子供たち
衛蓉(ウエイロン)ちゃんは、ことし十歳になります。どうぞ衛蓉ちゃんの描いた「みんなですべろう」という絵をみてください。子供たちの喜びいさんですべっているようすが、なんといきいきと描かれているではありませんか。では、この絵はどのようにしてできだのでしょうか?衛蓉ちゃんは北京市育才小学校の四年生です。去年の冬休みのある日のこと、衛蓉ちゃんはお父さんと親せきの家にでかけました。そのとちゅう、青少年業余体
Author: 丘桓興 Year 1974 Issue 12 PDF HTML
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5. 北京大学の教育革命について
中国のプロレタリア文化大革命は、文化·教育の分野からはじまった。ふるい教育制度、教育方針、教育方法を改めるというのが、この革命の重要な課題の一つだった。そして教育革命のかなめは、大学教育はだれに奉仕するか、どのようにして人材を養成するのかということである。
Author: 丘桓興 Year 1975 Issue 7 PDF HTML
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6. 工芸美術の里
美のない生活などというものは、花のない大地と同様、思っただけでもゾッとする世界であろう。美にたいする人びとの要求は多方面にわたっている。日用品にちょっと芸術的な色彩を加えることも、こういう要求から出ていることである。このように実用と観賞の価値をかね備えている日用品や民間の芸術作品を、人びとは工芸品と呼んでいる。周知のように、日本では北海道のアイヌがあらけずりなタッチで白樺の木に動物を彫っているし、
Author: 丘桓興 Year 1978 Issue 6 PDF HTML
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7. ホーチォ族
日本人とちがって、中国人は南方生れのいちぶの人をのぞいてほとんどさしみを食べない。ところが中国東北の辺疆に住むホーチォ(赫哲)族はさしみを食べる。記者は昨年の九月、取材のためホーチォ族の村をおとずれ、さしみをごちそうになったが、その味はいまも忘れられない。獲りたての魚でさしみのご馳走黒竜江省の省都ハルピンから東北に向かい、汽車と自動車を乗りついで約八〇〇キロ(直線距離で五〇〇キロ)、松花江が黒竜江
Author: 丘桓興 Year 1980 Issue 2 PDF HTML
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8. イ(彝)族―最後まで残った奴隷制
丸木橋もない魔の秘境涼山―それは中国の西南部に位置し、北京からは二六〇〇キロ離れている。そこに住んでいるイ(彝)族は、かつて、中国、いや世界でも、比較的完全なかたちで、奴隷制社会が一番長く存続した民族の一つであった。現地へ取材に行くまえに、記者は北京にある中国社会科学院の民族研究所を訪ね、イ族の概況について紹介してもらった。応接に出た所員の人は、開口一番、「昔は、涼山といえば、物騒なところになって
Author: 丘桓興 Year 1980 Issue 9 PDF HTML
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9. ペー(白)族
ペー(白)族が何世代にもわたって住んでいる雲南省西部の大理ペー族自治州は、魅力にとむところである。そこは、景色の実に美しいところだ。清らかに波立つ洱(じ)海のほとりには、一年中雪をいただいた蒼山が天をついて聳えたっている。そこには、また、全国的に知られた蝴蝶泉、鶏足山、石宝山などの名勝もある。蒼山と洱海のあいだには田畑がひろがって、気候は温暖、地味は肥沃、まさに「魚米之郷」の名にはじない。それに、
Author: 丘桓興 Year 1980 Issue 10 PDF HTML
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10. リースー(傈僳)族
中国の西南辺境、ちょうどビルマとの国境ちかくを縦走する怒江峡谷は、山の高さと峡谷の深さで世に知られている。リースー(傈僳)族が先祖代々住んできたのはこの峡谷の両岸だが、彼らは、長い間外界と隔絶されていたため、中国のもっとも貧しい、もっとも立ち後れた民族の一つとなり、本世紀も四〇年代末までは、原始的な焼き畑農業にたよって生活していた。晩春四月、記者はかぎりない興味にうごかされて、それこそ山を越え河を
Author: 丘桓興 Year 1980 Issue 12 PDF HTML