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Your search : [ author:(本誌記者 韓瀚)] Total 356 Search Results,Processed in 0.117 second(s)
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81. 毛主席がみずから創設した中国共産堂韶山支部
赤い太陽が韶山からさしのぼり さんぜんたる光が大地をてらす ………韶山―この美しい山村は、われわれの偉大な指導者毛主席の故郷であり、全世界の人民があこがれる革命の聖地である。韶山は湖南省の省都長沙市から西南方百四キロのところにある。四十五年前の一九二五年、偉大な指導者毛主席はここに革命の火種をまき、中国の農村におけるもっとも早期の、もっとも強固な党支部―中国共産党韶山支部を創設した。それ以来、英雄
Author: 本誌記者 Year 1970 Issue 7 PDF HTML
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82. 人民のため手中の銃をにぎりしめる
中国人民解放軍某部隊の「鋼鉄紅二連」は、偉大な指導者毛主席がみずから育てあげ、林副主席がみずから引率したことのある英雄中隊だ。この中隊が誕生したのは一九二七年「八·一」南昌蜂起の革命ののろしが燃えさかるさなかであった。それから四十三年の年月が流れた。その間、この英雄中隊は、中国人民の頭上にのしかかっていた帝国主義、封建主義、官僚資本主義の三つの大きな山をくつがえすために、中国各地を転戦してめざまし
Author: 本誌記者 Year 1970 Issue 9 PDF HTML
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83. 革命化の道をすすむ中国のスポーツ選手
一九六八年秋のある日のこと、北京の南郊外のある工場の広びろとした明るいホールで、胸のすくような卓球模範試合が行なわれていた。第二十八回世界卓球選手権大会で男子シングルスに優勝した荘則棟選手が、当年の「小さな虎」という異名にはじない奮闘ぶりをみせている。卓球台の近くに立ち、左右から疾風のようにあびせる猛球は、するどく、確実だ。相手の張燮林選手も多種多様の守備法をつかって、危ない球をいちいち確実に切り
Author: 本誌記者 Year 1970 Issue 10 PDF HTML
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84. 哲学を大衆の手中の鋭い武器にしよう
ここは山々にかこまれるへんぴな山里。農民の哲学学習がはじまる。教えるのは高等小学校卒業程度の学力しかない農村の幹部だ。教員が石をひとつもってきて教壇においた。教材にするのだ。「これはなんですか」とたずねると、みんな笑った。「先祖代々石ころだらけの土地に住んでいるわしらに、それがわからないはずがあろうか」と人びとは口々にいいだした。「もしもこの地方に石がなかったら、これが石とわかりますか?」と教員が
Author: 本誌記者 Year 1971 Issue 1 PDF HTML
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85. 海河は変わった
初夏のある日、河北省の海河治水指揮部の同志と、自動車で天津市の郊外にひろがる平野をとばす。やがて渤海湾にちかい地点で車をとめ、工事中の永定新河の施工現場にむかう。あたりをみまわすと、おびただしい数の民工(各人民公社から志願して工事に参加した農民)が働いている。スコップで土をほる者、手おし車で土をはこぶ者が、いそがしくゆきかう。河のほとりの堤防では、多くのトラクターがローラーをひいて、地ならしをして
Author: 本誌記者 Year 1971 Issue 9 PDF HTML
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86. 治水にいそしむ人びと
海河の工事現場は自然を改造する場所であり、人を鍛える革命の大溶鉱炉でもある。そこでは先進的な集団と人物が輩出している。意欲にもえる若ものたち工事のすすみ方は目をみはるばかりだった。数十名の若ものが数百斤(一斤は〇·五キロ)の土をつんだ手おし車をおして走ってゆく。海河の徹底的な治水工事に貢献すること、これがかれらの念願なのだ。しかし、けんめいに働くかれらに困難がみまった。それはひどい流砂だった。掘る
Author: 本誌記者 Year 1971 Issue 9 PDF HTML
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87. 団結·治水のエピソード
延々五百キロにおよぶ海河治水の工事現場では、団結して治水につとめた数々の物語が語りつがれている。水をゆずる「下流に住む人びとのために、上流の治水工事をりっぱにやりとげよう」これは河北省霊寿県瓦房台生産大隊にぞくする公社員たちの共通のねがいだ。一九六八年の夏、ここ瓦房台はひどい日でりにみまわれた。公社員は灌漑の便をはかって時をうつさずタネをまくため、三十余の谷間で泉をさがし、堰(せき)をつくっていた
Author: 本誌記者 Year 1971 Issue 9 PDF HTML
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88. われわれは前進する
一九七一年十月一日、この日は中華人民共和国成立二十二周年記念日にあたり、国をあげて慶祝した。この日、首都北京は快晴にめぐまれた。雄大な天安門広場には五星の赤旗が風にはためき、色あざやかに塗装された天安門の城楼は金碧さんらんたる美しさを明るい日ざしのもとにみせ、いちだんと壮麗さをしめしていた。偉大な指導者毛主席の大肖像が天安門城楼の赤い壁の中央にかかげられ、広場の東西にはマルクス、エンゲルス、レーニ
Author: 本誌記者 Year 1971 Issue 12 PDF HTML
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89. 中国を訪れた日本の海員代表団
上村徹団長、松原正夫副団長のひきいる日本海員友好訪中団が、中国国際旅行社のまねきにこたえ、八月二十八日から九月二十二日にかけて、中国を友好訪問した。友人たちは広州、長沙、韶山、上海、南京、天津、西安、延安、北京などを訪れ、中国の海員·港湾労働者、広はんな労働者、農民、兵士とひろく接触した。九月十九日の夜、周恩来国務院総理、王国権中日友好協会副会長は日本海員友好訪中団の全員と会見し、親しく語りあった
Author: 本誌記者 Year 1971 Issue 12 PDF HTML
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90. 海南島紀行
《カラー·グラフ参照》三月のはじめといえば、北京ではまだ雪が舞っているころである。われわれは冬服をひとえに着がえて、わが中国の宝玉の地―海南島へと取材の旅にたった。二千キロをこえる空の旅を終え、海南島の政治·経済·文化の中心である海口市につく。タラップに立つと、熱帯の風景が目のまえにひろがる―ひろいアスファルト道路をはさんでヤシの木がそびえたち、黄色い実をたくさんつけている。通りをはさんで軒をなら
Author: 本誌記者 Year 1972 Issue 7 PDF HTML