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Your search : [ author:黄秀芳] Total 78 Search Results,Processed in 0.081 second(s)
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61. 制約に挑んだ張芸謀演出
天安門広場にひるがえっていた国旗が日没とともに降下され、天安門東側の労働人民文化宮が記念すべき一夜を迎えた。かつて「太廟」と呼ばれ、皇室の祖廟だったこの宮殿で、一九九八年九月、プッチーニのオペラ『トゥーランドット』が、名指揮者ズビン·メータの音楽監督·指揮、中国映画の巨匠張芸謀の演出、イタリア·フィレンツェ五月祭管弦楽団及び世界各地から来た歌手たちによって上演されたのだ。『トゥーランドット』は、『
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 1 PDF HTML
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62. 東京「榴華殿」北京に乘りこむ
一九九八年十月中旬のある朝、見るからに前衛的ないでたちの若者たちが、青芸(中国青年芸術劇院)の小劇場に入って行った。顔はアジア人だが、雰囲気は全く異質のものを感じさせる。彼らは東京の劇団「榴華殿」のメンバーで、「小アジア―アジア小劇場交流ネットワーク」98交流祭に参加するため、北京に来たのだ。このネットワークは、中国、日本、韓国で小劇場運動を展開している青年たちが一九九〇年に始めた交流事業。まず理
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 2 PDF HTML
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63. 極限状況の人間を描く
北京の東北約二百キロ、天津市の水がめとなっている潘家口ダムに、私たちはやって来た。静かな湖面に有名な喜峰口長城が投影していた。山のふもとに農家が十数軒建っている。炊煙が上がり、叫び声が聞こえてきた。銃剣を持った一群の兵隊が飛び出してきた。日本兵だ!……『芙蓉鎮』などの名演技で知られる姜文(きょうぶん)の監督第二作『鬼子来了』(クイズシイラ)(日本語仮題『捕虜』)が、いま撮影されているのだ。映画は、
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 4 PDF HTML
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64. 競技ダンスに情熱注ぐ
日が落ちた。街灯やネオンがつき、町は再び明るくなった。人々が思い思いのアフターファイブを始める時間だ。住民委員会幹部の陳来根さんも出かけるところだ。彼のダンスのパートナーで定年退職している馬鈴さんは、家族の夕食の用意を済ませて家を後にした。北京北郊にある清河毛紡績工場の劉建生さんと劉恕さんは、二十キロ以上も離れた海淀区工人文化宮に向かった。彼らはみな、そこで開かれている国際競技ダンスのレッスンに通
Author: 写真·劉世昭 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 5 PDF HTML
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65. チベット文化を衣装で表現
チベットと言えば、はるかかなたの神秘的な浄土をイメージする。地理的に遠くて旅費が高く、空気が希薄なため高山病の恐れもあり、中国人でさえ容易には行けない土地だ。そのためだろうか、さきほど北京展覧館で開催された「雪域明珠―中国チベット文化展」は、毎日数千人の入場者でにぎわった。雪域明珠(雪国の珠玉)といううたい文句にふさわしく、チベットの歴史を物語る貴重な文献や資料をはじめ、民間の秘蔵品、絵画彫刻など
Author: 写真·劉世昭 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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66. 《中国風》
南アメリカ生まれ、のちイギリスで学生生活をおくり、バレリーナとして世界各国で活躍していた張天愛。ファッション界に転身した後の作品には、インターナショナルな経歴が、見事に発揮されている。デザインには、「東」と「西」、また中国伝統の哲学である「陰」と「陽」の調和がある。そして今を生きる女性たちの現代的な強さが、伝統的な優しさのなかに融合している。 デザイナー 張天愛
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 1999 Issue 11 PDF HTML
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67. 「音楽家舞台芸術の夕べ」―紫禁城で交わった東西の芸術
紫禁城を照らしていた夕日も次第に力を失い、その日最後の輝きを微かに残すのみとなった。いつもと違う特別な夜が、まもなく幕を開ける。中国とオーストリアの芸術家約千人が一堂に会する「音楽家舞台芸術の夕べ」。中国中央電視台とオーストリア国営放送の共催で、三年の準備期間を経てようやく実現したビッグイベントだ。明、清両王朝の皇宮だった紫禁城は、時を重ねるほどにその重みと価値を増し、人々の敬愛を集め続けている。
Author: 写真·馮進 文·黄秀芳 Year 2000 Issue 4 PDF HTML
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68. 「デザイン21」コンクールin北京
もうすぐそこにまでやってきた新しい世紀。 「私たちの生活はどんな風になるのだろう?」。 こうした会話があちこちで聞かれるようになってきた。そんな中、北京で開かれた「シック·シノワ デザイン21」 (雅致中華 21世紀生活文化デザイン国際コンクール)は、 私たちに未来の暮らしの一端を垣間見せてくれた。 出品された作品に共通していたのは、
Author: 写真·劉世昭 文·黄秀芳 Year 2000 Issue 8 PDF HTML
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69. 僕たちの友情は永遠に
日本語の養成学校として知られる中·高一貫校の「北京市月壇中学」が、今年三月二十四日から二十八日まで、日本の財団法人ラボ国際交流センター(本部·東京)の第十七次訪中団(一行四十六人)を受け入れた。同センターは一九六六年、民間の教育機関として設立、七三年には外務省認可の財団法人となった教育機関の一つで、子どもたちはそこで世界名著や歌を通して、異国の文化や言葉を学んでいる。またホームステイの形式で、毎年
Author: 文·黄秀芳 写真·楊振生 Year 2002 Issue 8 PDF HTML
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70. 北京で初めてロック公演
北京市東北部、アジア競技大会選手村のオリンピックスタジアムは、日暮れとともに人出が激しくなっていった。ほとんどが若者、それも学生が圧倒的に多い。彼らはみな興奮と期待に顔を輝かせていた。公安の武装警察や交通警察が各ゲートの前で無線機を持ち、人の流れに注意していた。普通のスポーツ·イベントとは全く違う雰囲気。有名なロックバンド「黒豹(ハイパオ)」の北京初公演が、これから始まろうとしているのだった。その
Author: 文·黄秀芳 写真·黄秀芳(一部、竹書房文化公司提供) Year 1999 Issue 3 PDF HTML