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Your search : [ author:阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 小池晴子=訳] Total 72 Search Results,Processed in 0.101 second(s)
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61. 老樹と羊飼い一家
昌平区の檀峪村の上には珍しい一本の「青檀」が生えている。青檀の樹皮は、高級紙「宣紙」の材料としてよく知られているが、私は一目で、これは見たことのない樹だと思った。まだらの樹皮とウロのできた幹は、この樹の古さを語っていた。風変わりな穴やざらざらした表面が、太湖石に似ている部分もある。根は、太いつるのように広がり、流れ落ちる滝のように周囲の岩に波打っていた。しわだらけの幹から出た新しい世代の樹が、竹の
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 1 PDF HTML
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62. 石府村の石切り場
中国の古い格言に「山に生き、山を食す」というのがある。これはまさに上石府村(石景山区に位置する·編集部注)が何世紀もやってきたことだ。この村の石切り場は深く、広い。道端には村人の手になる製品·評判の「豆青石」で造った巨大な石臼がいくつも転がっている。「こいつは恐ろしく強い石だが、磨くと人肌の滑らかさが出る」と石工であり、かつ採石会社のボスでもある高雨雲さん(四十六歳)が指さした。「こいつは漢白玉石
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 2 PDF HTML
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63. 昔日の水の輝き
十八~十九世紀の清朝離宮「円明園」は、一八六〇年に外国軍によって破壊されるまでは庭園全体が水の風景であった。なかでも壮麗な噴水の一つは「華麗水榭(しゃ)」と呼ばれる、贅沢な洋風建築の池亭であった。現在では、一部修復された公園の中央部分にある湖と堀を除けば、大部分の水路は干上がり、周辺は自然に帰している。全体をもとの景観公園に再建しようという計画案が最近提出された。そうなれば当然水も、干上がった湖や
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 3 PDF HTML
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64. 乱世を生きた僧侶、宦官と古木
広化寺(北京市西城区)は北京仏教協会本部である。一九九六年の静かな春の宵、私がこの寺を訪れたとき、境内にはほんの数人の僧侶と参拝者が歩いているだけだった。中庭から中庭へと過ぎていくと、仏教古楽の調べが聞こえた。最奥の中庭に建つ二層造りの書庫を背に、樹齢五百年を超すキササゲの樹が高々と茂っていた。庭の一角にひっそりとあずまやがあり、牡丹の花が咲き乱れていた。ここはもと、今は亡き住持、修明尊師の住まい
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 4 PDF HTML
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65. 薬王廟会の人波
気温はすでに三六度に達していたが、酷暑もなんのその、北京南西部の貧しい郊外で開かれた「薬王廟会」(祭)から人々は立ち去ろうとしなかった。大きな幟(のぼり)や紅い絹の提灯が、神社に続く看丹路の両側を飾っていた。この廟は漢方医学の父、孫思邈に捧げられたものである。一般には親しみをこめてただ「薬王」と呼ばれている。旧暦三月二十八日の彼の誕生日は、今年は五月半ばにあたった。鐘や太鼓や物売りの叫び声から察す
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 5 PDF HTML
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66. 泉のほとりに水を求める
伝承によると、龍王一族が北京の甘い水をことごとく盗んだとされている。彼らは水をすべて近くの丘に運び去り、一族の私用に供した。高亮という若い勇者が後を追ったが、やったことといえば苦い水の樽を壊しただけだった。苦い水は急流となって北京に逆流し、勇者も馬もおぼれてしまった。このため首都の井戸水も泉水も苦くなり、甘いまろやかな水を飲むには、近くの丘に登らなければならないのだと伝説は語る。どんな日でも、夜明
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 6 PDF HTML
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67. 天空の管弦楽を聴く
北京中心部の宋慶齢旧居は清代に親王の邸宅として建てられ、庭園が非常によく保存されている。前庭に大きな「鳳凰国槐」と呼ばれる槐の樹が誇らしげに立っている。孫中山(孫文)夫人、宋慶齢はよく、この長く伸びた枝の下でくつろいでいた。庭の中央には二本の海棠の樹があり、春には目を見張るばかりの満開となる。庭はまた鳩の大群の住まいでもあることが、その姿を見なくてもわかる。北京周辺の空中で鳩の奏でる不気味な高圧電
Author: 歴史学者阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 7 PDF HTML
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68. 時を重ねる石の仏たち
白水河の仏像北京市内の寺院にあった仏像のオリジナルの多くは、消失しているが、仏塔外面や洞窟の壁に、石刻や浅浮き彫りの様式で刻まれた古い仏像は数多く生き残っている。白水寺には北京最大の石仏像がある。その高さ五·八メートル、房山区の燕山石油化学工場をさらに入った丘の上、梁のない石堂に安置されている、眼を大きく見開いた釈迦立像である。左右に二体の脇侍を従えた三尊像だ。私がそこを訪れた日、燕山石油化学工場
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 8 PDF HTML
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69. 永定河の町と古道
首都北京の西に位置する三家店はかつて石炭商人の町として知られていた。この小さな町は永定河が山の水源から流れ出て平原に注ぎ込む位置にあるため、しばしば気まぐれな河の災害に見舞われてきた。「旧市街」のメーンストリートは、河岸から始まりわずか二キロしかない。私が初めて訪れた一九九五年には、車輪の跡が泥道に深く残っていたが、最近舗装されたことで、長い歴史を持つこの町に昔日の体面が戻ってきた。道路沿いの家々
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 9 PDF HTML
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70. 「琉球賓館」の樹々に花開く
琉球列島、すなわち現在の日本の沖縄県は、古い時代、東アジアおよび東南アジアと活発に交易し、例えば中国の生糸と日本の刀剣といった品々が、琉球商人の仲介で交換されていた。九州南部の島津藩の統治下にあったときでさえ、琉球王国は中国と通商関係を続けていた。中国と国境を接する国々は、貢物を携えた使節を中国に送る慣例があり、これは中国外交の一般的な作法であった。十四世紀以来五百年間、琉球王と中国皇帝の間にはこ
Author: 歴史学者 阿南·ヴァージニア·史代=文·写真 Year 2006 Issue 10 PDF HTML