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Your search : [ author:鍾煒] Total 63 Search Results,Processed in 0.107 second(s)
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51. 山東省 濰坊風箏(たこ)博物館
寒い冬が過ぎて春風が吹くころになると、凧好きな人びとが広場や野外で凧を掲げる姿が目に入る。その楽しみは、尽きるところがないようだ。今でも残る 凧に関する物語凧は、滑空するものとしては世界で最も古いが、中国には二千年以上の歴史がある。古書によると、春秋時代の哲学者墨翟(紀元前四七八~同三九二年)は、三年の時間をかけて木の鳥を作り、一日空中を飛行させたという。中国でいちばん早い凧が、この木の鳥である。
Author: 本誌·鍾煒 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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52. 陝西省秦始皇兵馬俑博物館
等身大、本物の馬と同じ高さの七千の兵馬俑が、二千年以上も眠っていた秦の始皇帝陵から十年前、姿を現した。この一大考古学的発見は世界を驚かせ、この十年で、訪れた人の数は千六百万人を越える。兵馬俑は“世界の奇跡”とも“中華民族の誇り”とも称されている。威厳をたたえた勇壮な軍陣兵馬俑坑は、大規模な副葬坑である。陝西省の省都西安から三六·五キロ、臨潼県にある始皇帝陵の東一·五キロのところにある。面積の違う三
Author: 本誌·鍾煒 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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53. 西安 唐代芸術博物館
西安市唐代芸術博物館は、文字通り唐代一時代の芸術作品を集めた博物館で、中日共同で建設された。西安南郊の景勝地、曲江のほとりに大雁塔と河をはさんで立つ。唐代の庭園建築を模して造られ、同一中軸線上に三つの庭園があって、総面積二千九百十平方メートル。常設展示室として「唐京長安」「国風民俗」「詩書交輝」「彫工画意」の四つが設けられている。展示された建築、彫塑、書画、楽舞など各方面の代表的な作品や、出土文物
Author: 本誌·鍾煒 Year 1990 Issue 2 PDF HTML
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54. 李鐸 人と作品
北京の街をあちこち歩き回ると、李鐸氏の書いた店の名前の額がよく目に止まる。北京だけでなく、中国各地の名所旧跡や観光地、主だった博物館、記念館などにも氏の墨跡が見られる。昨年は炎帝の陵墓再建のための碑文を、ことしはまた、黄帝陵のために「天下第一陵」という五つの大字を雄健な筆致でしたためている。氏の書は内外の展覧会によく出品されており、その作品はすでに二十以上の国·地域で紹介されているため、影響はすこ
Author: 本誌·鍾煒 Year 1990 Issue 9 PDF HTML
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55. 観光客でにぎわう韶山毛沢東の生誕地はいま
韶山は故毛沢東主席の故郷。湖南省中部に位置し、省都長沙から九〇キロ、鉄道と道路が直通しており、交通も便利だ。一九五〇年、韶山は「革命記念地」として一般に開放され、それ以来、見学に訪れる人は跡を絶たない。文化大革命のころは毎日のべ五、六万人の紅衛兵が全国からやってきた。この数年、人数は減少したとはいえ、それでも年に百万人は訪れている。国の指導者や内外の知名人士も多い。筆者も一九六七年韶山を訪れたこと
Author: 本誌·鍾煒 Year 1993 Issue 11 PDF HTML
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56. 自然の魅力を生かして建設すすむ白洋淀温泉都市
華北平原で最大の淡水湖である白洋淀の周辺で、いま大がかりなプロジェクトが進行中だ。観光、レジャー、療養、娯楽、スポーツのほかハイテク産業と商業、貿易業などを一体化した新しいタイプの公園都市を建設しようというもので、中国、香港、澳門(マカオ)などの十六社からなる集団公司と多くの投資者たちがこの地域に集結し、大方の注目を集めている。四季をいろどる景勝白洋淀は河北省の東部に位置し、北京、天津、保定を結ぶ
Author: 本誌·鍾煒 Year 1993 Issue 12 PDF HTML
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57. 古鐘博物館 北京·大鐘寺
北京の西北郊外、北三環路に面して高層アパートやビルが建ち並んでいる。その一角に古めかしい清代の寺、大鐘寺がある。この寺の中にある古鐘博物館は、さまざまな古鐘百六十あまり、そのほか古鐘に関係ある珍しい文物をたくさん所蔵している。その魅力に、内外からの参観客が引きも切らない。「鐘王」のすべてここを訪れる人びとの一番の関心は、やはり「古鐘の王」だ。一番奥の大鐘楼につるされている。およそ五百年前、明朝第三
Author: 鍾煒 夏明明 Year 1987 Issue 2 PDF HTML
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58. 洛陽古代石刻芸術館
古都洛陽は中原の要地に位置する。この地には石刻の粋が集められている。南の郊外にある竜門石窟は、壁一面に龕(がん)(岩壁や仏塔の下に彫り込んだむろ。中に仏嫁や宝物を収める)が彫り込まれ、北魏から唐までの仏像大小十万体を擁し、碑文は三千六百を超える。竜門の北五キロにある関林廟(三国時代蜀の名将·関羽の首を葬った墓と伝えられる)には、一九八〇年に「洛陽古代石刻芸術館」が建てられて、石刻、石碑など千三百余
Author: 宮大中 鍾煒 Year 1987 Issue 6 PDF HTML
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59. 台風と闘う人びと
新中国誕生後、とりわけプロレタリア文化大革命のなかで、中国は台風の観測、予報、研究、連合対策などについて新しい成果をおさめた。中国共産党の各級の委員会に指導されて、大衆的な台風との闘いが幅ひろく展開された。そのため、台風によって生じる災害は最低限度にとどめられた。台風がひんぱんに襲ってくる夏から秋へ移るころ、福建、広東など沿海地方を訪れた。当地の気象関係者と住民が共産党の指導下に、台風による災害を
Author: 本誌記者 鍾煒 Year 1975 Issue 4 PDF HTML
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60. 中国は食糧問題をどう解決したか
世界の多くの国が「食糧危機」に直面しているいま、約八億の人口を擁する中国は食糧の自給を実現した。このことに人びとは関心と興味をしめしている。食糧問題の解決にさいして、中国人民はどのような努力をはらってきたか。どのようなゆき方をとってきたか。今年の夏、本誌記者は、そうした疑問をとくために、河北省の農村を取材した。首都北京をとりかこんでいる河北省は、日本の本州北部とほぼ同じ緯度に位する。その面積は十九
Author: 本誌記者 秦泥 鍾煒 Year 1975 Issue 10 PDF HTML