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Your search : [ author:写真 周家平] Total 3400 Search Results,Processed in 0.086 second(s)
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51. 百六回目の誕生日迎えますます元気な呉図南老人
隣人に囲まれて「バースデー·ケーキ」を賞味する老人は、呉図南氏。百六回目の誕生日である。呉老(ウーラオ)と言えば、太極拳の大家として、太極拳愛好者の間では知らぬ者のない大先生。本誌でも、一九八六年九月号の特集「中国の伝統武術」で紹介したことがある。三月十一日、お子さんのない呉老の誕生日を祝おうと北京の宣武門西大街にある居民委員会の建物には、多くの隣人たちが集まった。しっかりした足どり、はっきりした
Author: 写真 馮進 Year 1988 Issue 6 PDF HTML
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52. 青海省西寧塔爾寺の酥油花
青海高原の西寧市郊外にある塔爾寺は、チベット仏教の黄教派六大寺院の一つで、ほかの五つの寺はみなチベットにある。この寺は古来の名刹として内外に知られているが、中でも、寺僧が、寒い時に作って飾る酥油(スーユ)の細工物はみごとなものだ。酥油は未精製のバターと思ってよいだろう。高原の真冬の時期に、これに顔料を加えて練り上げ、仏教故事の場面などを作るのだが、すべて手作業で、暖房は許されないため、僧の手は真っ
Author: 写真 狄華 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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53. 中国科学技術大学キャンパス·ライフ
Author: 写真 馮進 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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54. CCTV(中央テレビ局)放送センター
CCTV特集·「チベットへの道」取材班。青海·タングラの山並を越え、チベット高原へと踏み入って“知られざるチベットへの道”を追う。
Author: 写真 馮進 Year 1988 Issue 9 PDF HTML
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55. 世界にはばたく日も近いか 中国初の高級化粧品コンテスト
上の写真左端、目を細め、眉を寄せてにおいをかいでいるのは、ベテラン映画女優の鄭振瑶さん。テーブルには、さまざまの化粧品が所狭しと並んでいます。これは、中国で初めて行われた、高級化粧品のコンテスト風景の一こま。著名なタレント、俳優、バレリーナ、歌手、日用化学品関係の高級技師、皮膚、薬材の専門家ら三十余名が審査員に勢ぞろい。北京の崑崙飯店と国誼賓館の二会場で。このコンテストには、全国の四十数社から二百
Author: 写真 馮進 Year 1988 Issue 9 PDF HTML
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56. 天津に「宋慶齢渤海児童世界」完成 学習·娯楽の一大ランド
天津に子供のための教育·レジャーランド「宋慶齢渤海児童世界」が完成し、六月一日から一般にオープンされた。「全世界、未来、子供に目を向けた」施設を目標に建設されたこのランド、学習·娯楽·宿泊の“三大機能”を備え、子供たちの国際交流の場として果たす役割も大きい。宋慶齢基金会、天津市婦女連合会が資金を拠出してつくったもの。場所は天津市塘沽区。海河が渤海湾に注ぐ、三面水に囲まれた風光明媚なところだ。東側は
Author: 写真 劉支 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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57. 「第20回国際化学オリンピック」高校生四人が知力を猛発揮
七月上旬、フィンランドの首都·ヘルシンキ近郊のエスポー市で開かれた「第二十回国際化学オリンピック」でわが国の高校生四人が圧倒的な強さをみせた。一年一度のこのオリンピック、今回は二十六の国·地域から百四名の高校生が参加。化学理論六十点、実験四十点の百点満点めざして知識力、分析能力を競うもの。与えられる金メダルの総数は十三個、銀メダル二十二、銅メダル三十二。このうち、わが国は金メダル獲得数、個人得点数
Author: 写真 霜濤 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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58. 「健身球」で長寿を! 保定市では老若男女こぞって
「健身球」(ジェンシェンチュウ)をご存知だろうか。鋼鉄製で直径五センチメートルほどの二つの球。この二つの球を掌(てのひら)にのせ、五本の指で上手にあやつって、グルグル回したり、ぶつけあったりする。古来中国には、「掌上に運(めぐ)らす」ことを、自由自在、ないしは、たやすいことのたとえに用いているが、どっこい、掌上に健身球を運らすことは、そう容易ではないらしい。ご覧の老人は、右手に五つ、左手には、さて
Author: 写真 鄭鴻 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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59. 絹織物の郷 江蘇省·盛沢
盛沢は、江蘇省の太湖に近く、蘇州、嘉興、湖州の三市に抱きかかえられた形の土地。紀元前から“絹織物の郷”として広く知られていた。唐代には、盛沢の絹織物は朝廷への貢ぎ物とされていた。明代、絹織物が盛んになるにつれて、盛沢ではほとんどの農家で蚕を飼い、糸を繰り、それで生計を立てるほどになった。十九世紀になると、外国の絹織物が大量に中国に流入し、そのあおりで盛沢の織物業も一時衰えたが、新中国成立後、国がそ
Author: 写真 狄華 Year 1988 Issue 11 PDF HTML
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60. 反省の色ありやなしや 官僚主義者の末路は刑務所!?
鉄格子のむこうから外を見つめる顔。さて、これはどんな“シーン”か?二人の肩書を明かせば、『人民中国』の読者にはお分かりいただけるだろう。右は、もと大興安嶺地区図強林業局局長。左は、同じくもと大興安嶺地区漠河県公安局消防課副課長。世界中の耳目を引いた「大興安嶺森林火災」の原因の一つに、「その任にあり、職責を果たすべき責任者が、職務において、きわめて怠慢であった」ことがあげられている。いわゆる「官僚主
Author: 写真 周確 Year 1988 Issue 11 PDF HTML