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Your search : [ author:東京支局長 林崇珍] Total 47 Search Results,Processed in 0.107 second(s)
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31. トーロン族に魅せられた写真家
私が清水公代さんの名前を知ったのは、大使館に勤めている友人に「こんな人がいるよ」と紹介されたのが最初だった。写真が好きな私は大いに興味をそそられ、さっそく本人の連絡先に電話を入れてみた。受話器から聞こえてきたのは女性の声で、私は少し慌てた。てっきり清水さんを男性と思い込んでいたので、本人が名乗らなかったら「清水さんの奥さんですか」と口走っていたに違いない。私の中では写真撮影は男性の仕事という印象が
Author: 本誌東京支局長·唐暉 Year 1999 Issue 11 PDF HTML
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32. 十一年ぶりの東京―カード社会とインターネット
日本語編集部の部長として多忙な毎日を送っていた昨年半ば、九月一日から本社の東京支局長として赴任するように私は命ぜられた。仕事を引き継ぎ、最後の校了印を押し、同僚に別れを告げ、北京を離れた。北京空港を発って約四時間後、十一年ぶりの東京に着いた。前任のTさんに案内され、ひとまず仮住まいとしての小さなホテルに泊まり込む。夜のとばりが降りてから、「さて十一年ぶりの東京はいかに」とホテルの近くをぐるりとまわ
Author: 本誌東京支局長·李樹徳 Year 2000 Issue 1 PDF HTML
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33. 守れ地球―中日両国が手を携えて
東京に赴任して以来つねづね感じることは、砂塵が少ないことと、街路樹の葉色のまことにみずみずしいことだ。路上の落ち葉さえ埃にまみれておらず、踏みしめるに忍びない。北京では現在環境の保全策が急速に推進されつつあるが、残念ながら、こういう光景はまだ雨上がりの後にしか見られないようだ。環境保全の大切さを身にしみて感じていた矢先、中国と米国の二人の「ブループラネット賞」受賞者の表彰式が催されると聞き、大きな
Author: 本誌東京支局長·李樹徳 Year 2000 Issue 2 PDF HTML
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34. 中秋の名月も歓迎第十三期笹川奨学生の研修開始
「佳節にあたり、さらに親しき人をおもう」という言葉が、中国にはある。昨年九月三十日、国慶節の前日のこの日が、ちょうど中秋節にあたっていた。中秋節の夜は、家族が仲よく月餅を食べながら月見をするのが中国の慣習だが、この日の夕方東京では、港区の笹川記念会館四階会議室に中国の医学研修生四十五名が集まり、「笹川医学奨学金制度」第十三期生の歓迎式典が、笹川陽平理事長(写真上·左)らの出席のもとに行われた。今回
Author: 文·本誌東京支局長于明新 Year 1994 Issue 1 PDF HTML
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35. 『人民中国』 日本での印刷を開始
『人民中国』はこの八月号から、日本でも印刷を開始しました。これまでは中国で印刷し、船便で運んでいましたが、今後は日本で印刷された『人民中国』が、日本の読者の皆様に届くことになります。七月二十九日正午、東京のホテル·ニューオータニーの「麗の間」は、古い友人や新しい友人が一堂に会し、うきうきした雰囲気に包まれていました。『人民中国』の日本印刷のスタートをともに祝ったのです。今回のレセプションに出席した
Author: 林崇珍=文 于明新 林崇珍 王浩=写真 Year 2005 Issue 9 PDF HTML
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36. 「私に何ができる?」が原点
四月十七日、河南省新郷市から北京豊台野球場まで、中国野球リーグ(CBL)の試合観戦にやってきた野球少年たちの日焼けした顔に、白い歯がこぼれた。視線の先には、差し入れのスナック菓子や飲料水を抱えた藤原利恵さんがいた。藤原さんは昨年八月から、北京にあるJICA中国事務所でボランティア調整員を務める。ボランティア調整員とは、青年海外協力隊員やシニア海外ボランティアの活動をサポートする担当者。彼女は中国大
Author: 文=林崇珍 写真=坪井信人 Year 2004 Issue 7 PDF HTML
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37. 中日メディアの架け橋に 錢行さん
「ここが、放送人としての僕の原点です」。東京·品川にある江戸時代の古刹·東海寺で、錢行(チェンシン)さんは懐かしそうにかつてを振り返る。今でこそNHKディレクターの肩書きを持つ錢さんだが、北京から私費留学で来日した当初は、生活費も学費もすべてアルバイトで賄う苦学生だった。慶應大学に合格したものの、皿洗いで貯めたアルバイト代はあっという間に授業料に消えてしまった。下宿探しに頭を悩ませた末、寺の門を敲
Author: 文·林崇珍 表紙写真·于前 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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38. 「ありがとう、日本は大丈夫」
Author: 林崇珍=文 孫立成=写真 Year 2011 Issue 9 PDF HTML
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39. 音楽で触れる人のやさしさ
中国歌劇舞劇院民族楽団と言えば、中国最高峰のオーケストラの一つ。同楽団ただ一人の外国人奏者として、ひと月に一回程度、中国各地で行われる公演に参加しているのが大島さんである。担当楽器は、中国の民族楽器·笙(しょう)(中音笙)。約十四キロある笙を抱えると、小柄な体はさらに小さく見えるが、息を吹き込みながら、三十六音を奏ではじめると、一回り大きくなったような錯覚を起こす。大島さんは、音楽家の母親の影響で
Author: 文·坪井信人林崇珍写真·坪井信人 Year 2004 Issue 1 PDF HTML
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40. 日本社会に生きる「新華人」
いま、日本に、どれほどの中国人が住んでいるか、ご存知ですか。なんと五十万人以上が住み、生活しているのです。 その大半は、一九七二年の中日国交正常化後、とくに中国の改革·開放以後にやって来た人たちです。 戦前から日本に住んでいる「老華僑」に対し、彼らは「新華人」と呼ばれています。 「新華人」は日本社会のさまざまな分野で活躍しています。大学の教授や会社の社長、弁護士、記者など、社会の第一線で働いている
Author: 東京支局 林崇珍 王浩 沈曉寧=文·写真 Year 2006 Issue 2 PDF HTML