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Your search : [ author:撮影 劉世昭 薊彬] Total 708 Search Results,Processed in 0.115 second(s)
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31. 村が変わった
ここ数年来、農民たちは、家計が豊かになると、まず、マイホームの建築にとりかかる。二階建てから三階建て、はては四階建てにいたるまで、これまでの農家とはうって変わったしょうしゃな住宅が、それこそ雨後の竹の子のように―中国東南部の広東省東莞県の農民は、モダンな住宅が好きだ。この数年来、二階建てから四階建ての新しい住宅がぞくぞくと建てられている。これまでのような、低いわらぶきや土れんが造りの農家は、もう見
Author: 撮影 劉世昭 Year 1985 Issue 5 PDF HTML
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32. 斉魯の地で展開されたスポーツイベント
本文参照3月14日、斉魯(山東省のこと)の地莱蕪市で、ちょっと風変わりな農民運動会が開かれた。877名の出場者はいずれも富裕な村からの参加。18に及ぶ種目の中で目を引いたのが、この小型オートバイによるスヒード競走。これも農村現代化の一端か。
Author: 撮影 劉世昭 Year 1985 Issue 7 PDF HTML
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33. 姑蘇漫歩―2500年を迎えた蘇州
紀元前514年に蘇州の町が誕生してから今年で2500年になる。蘇州は庭園の美で知られているが、そのほかにも数々の美を発見することのできる古都である。
Author: 撮影 劉世昭 Year 1986 Issue 10 PDF HTML
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34. 市民の足―自転車
北京市の朝夕、街は自転車の奔流となる。自転車、中国語で「自行車」は、なくてはならぬ市民の足で、北京市の登録台数は約300万台。28インチが多く、お値段は170元前後のものが一般的だ。交通規整と計画生産の必要から、勤務先を通じて発給される購入券で買う仕組みとなっている。
Author: 撮影 王恩普 劉世昭 Year 1980 Issue 1 PDF HTML
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35. 復活した漫才師 侯宝林
反骨とユーモア文 金伯宏 薛宝琨「相声」の侯宝林(ホウハオリン)といえば、中国では知らない人はない。「相声」とは漫才である。侯宝林の名を聞いただけで、大人も子どももニヤリとする。彼が文化大革命で大衆の前から姿を消したとき、多くの人びとは暗然とした。そして「四人組」粉砕後、再び舞台に姿を現わした時、人びとは明るさのシンボルとして大喝釆をおくった。庶民の心の代弁者―復活した侯宝林の表情をみていただこう
Author: 撮影 劉世昭 金伯宏 Year 1980 Issue 3 PDF HTML
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36. 北京の釣りキチたち
江南ほどではないが、北京内外には大小の川、貯水池、公園の釣り池……と釣り場に事欠かず、マニアも多い。釣りは北京市民のレジャーのひとつだ。「釣りキチ」―中国語では「釣魚迷(チイヤユイミー)」という。
Author: 撮影 張一心 劉世昭 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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37. 旅 五万体の石仏群―大足石窟(四川省)
敦煌、竜門、雲崗―これまで中国の石窟といえば北方に集中しているかの印象があった。ところが、南方にも、北のものにくらべ決して遜色のない石窟芸術の宝庫が残されており、さいきん公開されて、世の注目をあびるようになった。その名は「大足石窟」。場所は四川省重慶市の西方百キロの大足県内で、宝頂山、南山、北山をはじめ四十数カ所に分布、計約五万体の石仏(一部に道教も)が刻まれている。時代は晩唐から五代、南·北宋に
Author: 撮影 劉世昭 狄祥華 Year 1981 Issue 6 PDF HTML
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38. 中国縱断5000キロSL-ジーゼル乗り継ぎ旅行
今年1982年、3月17日午前8時20分。われわれ取材班一行は、蒙古族ら少数民族もともに住む中国最北端の駅、満洲里を出発、はるか広西チワン族自治区の中国最南端の駅、憑祥(ピンシャン)へ向かって、中国大陸縦断の汽車旅行を開始した。全行程は、北緯49度から北緯22度までの5108キロ、その間黒竜江、内蒙古など11の省、直轄市、自治区を通過、沿線の駅は大小あわせて551を数えた。哈爾浜(ハルピン)、北京
Author: 撮影 劉世昭 汪建中 Year 1982 Issue 9 PDF HTML
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39. 北京←→衡陽1785km
今回は北京-衡陽間を紹介する。―われわれは、北京発南寧行きの列車に乗り、南下をつづけた。列車は日のうちに河北·河南·湖北·湖南の四省を突っきり、二つの大河、黄河と長江を橫切った。旅客の服装は綿人れから単衣(ひとえ)にかわり、車窓をかすめる風景も、華北の褐色土平原、河南の青々とした麦畑、そして、菜の花が満開の湖北、稲がみずみずしくうわった湖南と、目まぐる。―そして、列車は、湖南省の衡陽市へ入った。
Author: 撮影 劉世昭 汪建中 Year 1983 Issue 1 PDF HTML
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40. 衡陽←→憑祥 1000km
われわれの第5番急行列車は、湖南から広西へとすすむ。そして、広西チワン族自治区の主都·南寧市でさらに511番列車に乗り換え、南下をつづける。3月27日午後5時20分ついに目的地の憑祥着。これで、5日間にわたった、われわれの、5000キロ南北縦断旅行も無事完結したわけである。最後に搭乗した列車の車窓から見える風景は、すでに夏そのもの、旅客の着ているのもすべて単(ひとえ)である。南寧から先の沿線には、
Author: 撮影 劉世昭 汪建中 Year 1983 Issue 2 PDF HTML