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Your search : [ author:本誌·何 平] Total 397 Search Results,Processed in 0.104 second(s)
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341. ニクソン政府の強盗ぶり
アメリカ国務省は昨年十月十七日、ぬけぬけとつぎのように宣言した。―アメリカの「国民」がイスラエル侵略軍で「服役」するのはアメリカ政府の許す「単独の行動」である。かれらはだからといって「アメリカ国民としての資格を喪失するものではない」と。これはニクソン政府がシオニズムを支持し、アラブ諸国を侵略するためにデッチあげたあからさまな侵略の口実なのだ。これはアメリカ帝国主義がアラブ人民の最も凶悪な敵であるこ
Author: 鍾建平(チユンチエンピン) Year 1970 Issue 1 PDF HTML
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342. 弁証法を運用して養豚をおこなう
わたしは生産隊の飼育係をしている。一昨年の八月に生産隊で集団の養豚業を発展させることになり、貧農·下層中農からおされてこの係になった。この仕事は責任が重い。しくじると貧農·下層中農に申し訳がないし、集団の事業にも損をかける。そう思ったので、「だめだ、経験がないからうまくやれない」とわたしはいった。そうはいったものの、すぐにこれは良くない考えだと後悔した。毛主席の輝かしい著作〈老三篇〉―「人民に奉仕
Author: 黒竜江省甘南県太平生産大隊 尹永徳 Year 1970 Issue 9 PDF HTML
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343. 階級の憎しみを永久に忘れまい
わたしのふるさとは広東省の嶺水県だ。先祖代々、貧しさにせめさいなまれ、父は所帯をもつとまもなく国民党の軍隊にひったてられ、包頭につれていかれて鉄道工事をさせられた。村でくらしていけなくなった母は、物乞いの旅をして父のもとをたずねた。一家の者はひとつ屋根の下でくらすようになったが、食うや食わずの生活にかわりはなかった。わたしが生まれて八ヵ月目に、母は世を去った。そして五つのときに、父も母のあとを追っ
Author: 天津計測器工場の労働者 鄧子平 Year 1971 Issue 1 PDF HTML
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344. 開放後七年広州はいま
開放後七年、中国の“南の玄関”·広州市を訪れた記者は、その大きな変化に目をみはったものだ。実は記者の母は広東人で、幼いころから広東語に親しんできたこともあって、広州は、ことのほか近しい存在だったのである。何よりも人びとの表情が明るくなったこと。街は活気に満ちあふれ、道ゆく人々の服装も持ち物も、ぐっと現代化されている。食堂、レストラン、高級ホテルの宴会場、そして街中の屋台店、……「食は広州にあり」と
Author: 写真 翁乃強 黄福平 黄熾和 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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345. 天津 装いも新たに
1976年7月の唐山大地震によって、天津市は市内の建物の70%が程度の違いこそあれ、損傷するという大災害に遭った。住むに家なく、仮小屋生活を余儀なくされた市民は十数万に及んだ。1979年から“自分たちの都市は自分たちの手で”と、官民一致協力して徹底的な都市改造に取り組んだ。この8年間に新築された住宅は2000万平米にのぼり、すでに100万の市民が入居している。汚濁で有名だった海河の両岸はベルト状の
Author: 写真 支柱 関平 岩青 王陽 津生 朝璽 Year 1987 Issue 8 PDF HTML
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346. 『人民中国』と二十年
本年は、日中国交正常化二十周年という、記念すべき年であり、同時に私の『人民中国』愛読二十周年でもあります。これを機会に、二十年分を並べて写真に撮りました。『人民中国』の創刊は、たしか一九五三年頃と思いますが、その頃、友人に薦められて、初めて『人民中国』を手にしました。しかし、その頃私は、中国から引き揚げた直後で、生活に追われていて、継続して購読するには、物的、精神的余裕がなく、ときどき読むだけで保
Author: 日中平和友好会 南谷正直 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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347. 水郷の美は周荘にあり
水郷の美-蘇州の周荘近年、旅行者が驚異の目を見張っていることがある。古代元曲(音曲つき芝居)の大家馬致遠(1250~1324)の描く「小橋、流水、人家」の風景が古い周荘の町に昔のままに残っているという事である。周荘は環境も優雅で建物も古く素朴である。町中の住まいの半分以上が、明清時代の物で、いまだに多くの古い邸宅と、彫刻を施したレンガ造りの門楼をみることができる。また周囲が河と湖に囲まれ、水路が縦
Author: 文·劉東平 絵·魯忠民 提供 胡才明 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
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348. 福建首東必島―海浜レジャーのメッカ
東山島は福建省の最南端、漳州地区にある。羽を広げた蝶に似た形から「蝶島」ともいう。蝶島の周囲には三十余の小島があり、これも蝶が群舞しているようだ。東山島は北回帰線のわずか北に位置し、気候がよい。一月の平均気温は摂氏一三·一度、七月で二七·三度である。島の東南には七カ所の水の綺麗な海水浴場がある。ドライブ、乗馬、船あそび、釣り、もぐりにもよい。東山島には名所旧跡が多い。明清時代の古城や海軍基地があり
Author: 写真·翟東風 文·劉東平 絵·魯忠民 Year 1996 Issue 7 PDF HTML
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349. 長江上流の経済の中心地 重慶
中国の地名にまつわる謎々に「二つの良いことが門から入ってくるのは、どこ?」というのがある。答えは重慶だ。ご覧の通り、慶事が重なると書くからだ。重慶は長江(揚子江)の上流にある歴史の古い街で、二万年以上も前の旧石器時代に早くも人類がこの地域で生活していた。約三千年前の西周時代には江州と呼ばれ、巴国の首都だった。重慶は長江と嘉陵江の合流点にある。嘉陵江は古くは渝水と呼ばれ、五八九年に江州から渝州と改名
Author: 文·劉世昭 写真·黄平 田捷民 劉世昭 Year 1997 Issue 3 PDF HTML
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350. 古代シルクロードの賑わいを残すカシュガル
「カシュガルを見ずして、新疆を語るなかれ」という言葉がある。カシュガルは新疆ウイグル自治区南部の最大の都市であるばかりか、この方面の主要な民族であるウイグル族が人口の九〇%以上を占める民族色豊かな町である。また古代シルクロード沿いに発達した同市は、当時「疏勒国」とよばれ、商業と手工業が盛んで西域諸国との交易も多く、なかなかに繁盛した大都会であった。自治区の首府ウルムチで飛行機に乗ると、わずか一時間
Author: 文·劉東平 写真·李揚 趙永琦 Year 1997 Issue 8 PDF HTML