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Your search : [ author:高原=文 楊振生=写真] Total 252 Search Results,Processed in 0.289 second(s)
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21. 子どもに慕われるボーイッシュな「女強人」
成績が優秀だった寸鏡然さんは、中等専門学校[注释1]の時、三年連続で「三好学生[注释2]」に選ばれた。卒業後、故郷である雲南省鶴慶県の草海鎮小学校で教鞭をとり、同時に少年先鋒隊[注释3]の指導員と県·郷(町)の文化·スポーツ活動の主宰責任者となる。二〇〇二年には同小学校の教務主任になった。鶴慶県において、これまででもっとも若い教務主任だ。活発で博識。小さな頃から好戦的で負けん気が強く、あだ名は「女
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 3 PDF HTML
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22. 結婚にこだわらない新しいライフスタイル
旅行と写真撮影が趣味の呉衛さんは、仕事を始めて間もなく、お金を貯めて一万元以上もするカメラ器材を購入した。休みを利用しては、四川、雲南などの風光明媚な各省へ、風景写真を撮りに出かけている。「これから行きたい場所は、チベット、パリ、そしてオーストラリアです」。現在は主に、自動車部品の市場にテナントを誘致する仕事を担当。争いを好まない穏やかな性格で、落ち着いて仕事をこなし、どんな問題も秩序立てて処理し
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 4 PDF HTML
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23. 苦境を乗り越えたやさしい眼差し
若い頃「知識青年」(「文革」中、高校や中学を卒業し、農村や生産現場で労働に従事していた青年)だった高旭光さんは、「はだしの医者」(農村で農業に従事しつつ医療衛生業務に携わる)を経験したことから医者になった。自分から望んでなったわけではないが、この仕事にだんだんと誇りを持つようになった。二〇〇二年、十七年間過ごした遼寧省の丹東市を離れ、単身で北京へやって来た。厳しい状況にも耐えることができる業務能力
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 5 PDF HTML
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24. 抜群の行動力で明日のスクープを追う
父親の影響を大きく受けて育った。二~三歳の頃、父親は毎日寝る前に『三国志演義』や『水滸伝』など中国の古典書の物語を聞かせてくれた。その豊富な知識をたくさん吸収し、四歳の頃には本を持って幼稚園の友達に読んで聞かせるまでになり、まるで「小さな博士」のようだった。小学生の頃から優秀で、両親を心配させたことがない。大学卒業後は公務員試験にも難なくパスした。しかし単調な職場環境にはあまり合わず、雲南省の地方
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 6 PDF HTML
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25. 雨ニモ風ニモマケズ首都の交通安全を守る
七歳年上の兄がいる。この兄に、幼い頃から礼儀の重要性と勉強の大切さを教えてもらった。もっとも印象に残っているのは、中学生の時、試験の成績が悪かったため、非常に厳しく叱られたことだ。そのときから一生懸命勉強するようになり、夢だった交通警察官になることができた。交通警察の仕事は非常に面白い。広く社会と接触できるし、さまざまな人と交流することもできる。初勤務の日、母親から「まじめにしっかり仕事をしなさい
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 7 PDF HTML
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26. 舞台の3分は舞台裏の3年
舞台に立つ道を歩むようになったのは、子どもの頃の偶然からだった。七歳の頃、中国でとても有名な朝鮮舞踊の舞踊家のステージを見た。軽やかで優雅なその姿に、いっぺんで引き込まれた。このときにはもう、舞踊を一生の仕事にしようと心に決めていた。あくせくせず、ゆったりとした生活を好む。舞踊団の公演のため、これまでに十数カ国を訪れているが、一番のお気に入りはフランスのパリだ。ルーブル宮殿や凱旋門には色濃く文芸の
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 8 PDF HTML
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27. 多彩な趣味で充実した毎日
とても気まぐれな性格で、次から次へと興味が移る。突然スキーに興味を持ち、高価なスキー用品を揃えたかと思うと、水泳がダイエットに効果的だと聞いた去年の夏は、毎日泳いでいた。今は乗馬に凝っている。そんな彼女の唯一変わらない趣味は、アニメ鑑賞だ。ディズニーやドリームワークス、宮崎駿の作品など、たくさんのアニメを集めている。中国のアニメについて言えば、孫悟空が活躍する『大閙天宮』(『大あばれ孫悟空』)など
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 9 PDF HTML
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28. 家族で支えあう慎ましくも温かな毎日
内気で真面目な働き者。生活が苦しくなるたびに、出稼ぎでしのいできた。故郷にいたある日、料理に使う塩がきれた。塩は一袋二元四角(約三十円)するが、手元には七角(約十円)しかない。恥ずかしくて、息子に買いに行かせた。息子は塩を買って帰ってきたが、「父ちゃん、店のおばちゃんがもうこんな風には売らないって」とくやしそうに言った。今でもこの出来事は忘れられない。現在は、北京の定年退職した元幹部の家でハウスキ
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 10 PDF HTML
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29. ボーイの助手から最年少の総支配人に
崔さんが就職したとき、中国はちょうど改革開放の初期だった。シェラトングループは北京初の合弁の五つ星ホテル「北京シェラトン長城ホテル」をオープン。崔さんはボーイの助手から始まって、一年後にはチームリーダーに昇格した。シェラトンホテルでの仕事経験は、貴重な財産となっている。ある時、外国人のマネージャーが、自分がボーイをしていたのは十八歳の頃だと話してくれた。当時十八歳だった崔さんは、「自分はいつになっ
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 11 PDF HTML
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30. ベトナム国境の町の発展に力を尽くす
河口県は雲南省の東南に位置し、ベトナムのラオカイと河を隔てて接する国境の町だ。その国境線の総延長は百九十三キロに及び、南漢河はここで本流のソンコイ川(紅河)と合流する。一九九二年に国境経済合作区が設立され、国家の「一類」陸上貿易港となった。そこで、趙向前さんは人材育成を重要視し、役所の幹部たちを定期的にベトナムの大学に送って、ベトナム語を学ばせている。河口の貨物輸送量は昆明税関区の中で最も多く、輸
Author: 楊振生=写真·文 Year 2005 Issue 12 PDF HTML