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Your search : [ author:若虹] Total 144 Search Results,Processed in 0.171 second(s)
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21. いかに子どもを育てるか
去年十月、『中国教育報』に、どのような父母になるべきか、という文章が掲載された。その中で一人の母親は「子どもの教育の問題が一番心配です」といい、またある父親は「どんな『長』でもうまくやれるが、『家長』の勤めだけはうまくいかない」と言った。中国人はいま、家庭教育の問題で、そうとう困惑し、悩んでいるようだ。
Author: 侯若虹 Year 2002 Issue 6 PDF HTML
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22. 動き始めた「西電東送」プロジェクト
二〇〇〇年に採択された国家の第十次五カ年計画には、四大プロジェクトがある。それは中国南部の水を北部に送る「南水北調」、青海とチベットを結ぶ「青蔵鉄道」、西部の天然ガスを東部に送る「西気東輸」、それに西部の電気を東部に送る「西電東送」の各プロジェクトである。いずれもすでに正式に計画され、実施に移されているが、とくに西部大開発のシンボル的プロジェクトである「西電東送」はすでに初歩的な成果を収めはじめて
Author: 侯若虹 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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23. 変貌する大連
中日国交正常化三十周年を記念するため、この七月、有名な海浜都市である大連で、遼寧省主催の「中国遼寧日本ウィーク」が開かれた。山と海に囲まれた大連は、緑に覆われた山の斜面と赤、白、青、黄に塗られた建物からなる美しい都市である。街の中心にある中山広場は、帝政ロシア時代の公園を「音楽公園」に改造した有名な広場だ。広場をとりまく古い建物群のほとんどには、銅製のプレートが打ち付けられていて、その建築がいつ建
Author: 侯若虹 Year 2002 Issue 12 PDF HTML
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24. 規制緩和に向かう戸籍制度
「戸口」とはなにか二〇〇二年の夏休み、康計紅さんの十二歳になる息子は小学校を卒業した。息子を連れて康さんは河北省石家荘市の第六中学校に出頭したが、従来のようにまず学校に「借読費」を納めることはしないでもよかった。「石家荘城鎮戸口」と印刷された赤い表紙の証明書を取り出して見せたら、息子の入学手続きはすぐに完了した。「うちの息子は小学校一年から石家荘市の学校に通い、『借読費』を払って小学校を卒業しまし
Author: 侯若虹=文 Year 2003 Issue 11 PDF HTML
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25. 夢乗せて、有人宇宙船が飛んだ
大宇宙を飛ぶ―それは中国人にとって、長い間の夢だった 『西遊記』の主人公、孫悟空は、ひと飛び十万八千里を駆け 敦煌石窟の壁に描かれた飛天たちは、衣を翻しながら大空に浮かんだ いま、それが、現実となった 「神舟5号」は、中国初の宇宙飛行士を乗せて宇宙に飛び出し 地球を十四周回って、無事、地上に帰ってきた 中国は、米国とロシアに次ぐ第三の有人宇宙飛行に成功したが 運搬ロケットから宇宙船まで、すべてが国
Author: 侯若虹=文 Year 2003 Issue 12 PDF HTML
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26. みんなが学校に通える社会へ農村の義務教育を無料に
湖南省安郷県の農家の平均年収は千二百元だが、子どもの教育費は一人当たり八百元かかる。この辺りの多くの家庭には子どもが二人いるので、彼らが学校に通うのはほとんど不可能だ。また、黒竜江省満井郷中学校では、全校生徒八百二十七人のうち百四十一人が家庭貧困のために中退しており、その率は一七%に達する。これは、中央党校の教師が全国十六地区に対して行った農村義務教育調査で明らかになった現状だ。現在、中国の農村に
Author: 侯若虹 Year 2005 Issue 5 PDF HTML
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27. 十三億の食の確保に挑むハイブリッド水稲の父、袁隆平さん
二人の「平」に頼る国際的には「オリエンタル·ミラクル·ライス」と呼ばれているスーパー·ハイブリッド(雑交)水稲は、中国の有名な水稲専門家、袁隆平さんが研究開発したものである。この水稲(中稲)は二〇〇四年に、一ムー(六·六七アール)当たりの生産量が七百キロという第一期の目標を実現したが、二〇〇五年には、第二期の目標である一ムー当たり八百キロをも達成した。この勢いで行けば、第三期の目標である一ムー当た
Author: 侯若虹=文 Year 2006 Issue 5 PDF HTML
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28. 相手探しに苦心 お見合いあれこれ
親を見れば子が分かる今、北京の公園では興味深い光景を目にすることができる。五、六十代の人々が東屋や水辺に集い、軽く言葉を交わしたり、何か書かれた紙を見せ合ったりしているのだ。一見、インテリ風の人もいれば、労働者風の人もいて、定年前の仕事が同じだったようには思えない。近寄っていくと、交流の輪の中には快く迎え入れてくれたが、取材や写真撮影はほとんどの人に拒否された。実は、彼らは子どもの結婚相手を探すた
Author: 侯若虹=文 Year 2007 Issue 9 PDF HTML
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29. 河北省の古い町に新しい顔
河北省の廊坊(ランフアン)、保定(バオデイン)、石家荘(シージアジニア?)を駆け足で回って来た。時間がきつくて大ざっぱに見ただけだが、町にはそれぞれ特色があり、改革開放の下で発展する河北省の「新しい顔」が印象に残った。廊坊の経済技術開発区廊坊市は北京と天津の間にある町で、昔から「京津回廊」と呼ばれる。地元の人たちも廊坊は首都の郊外だと自任しており、長い間「北京と天津に頼って暮らしを立てる」と考えて
Author: 本誌·侯若虹 Year 1995 Issue 10 PDF HTML
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30. 新産業と史跡の湖北省中部を訪ねて
今年の夏の初め、私は記者団とともに湖北省を訪れ、この内陸部の省の生気あふれる活力を刻々に感じた。淡水魚の宝庫二十六年前私がまだ子供の時、「文革」中に設けられた「五七幹校」で労働改造をする母親に会うため、一度湖北に行ったことがある。そのとき、隣に住んでいたおじさんは家の裏にある小川でケツギョ(鱖魚)をとって、母親の手料理で私に食べさせた。あんな小さな川で大きなおいしい魚がとれるとは思わなかった。この
Author: 本誌·侯若虹 Year 1996 Issue 10 PDF HTML