Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:文 写真·楊振生] Total 4060 Search Results,Processed in 0.102 second(s)
-
2331. ホーチォ族が住む漁村―街津口
〈本文参照〉ホーチォ族は中国に生きる少数民族の中でも、最も人口の少ない民族で、解放前は300人にも満たなかったが、現在は約1400人、黒竜江、ウスリー江、松花江の三江平原に生活している。わたしたちが訪れた街津口は、黒竜江の下流にある。ここにホーチォ族の大部落があるが、河の向こうはソ連領。「ホーチォ」とは「当地の人」を意味する。かれらは昔から漁業で暮らしてきた。黒竜江に生息する魚が生活の資源なのだ。
Author: 写真 恩普 耀文 偉臣 譚実 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
-
2332. 息もぴったり3兄弟ハモニカ演奏で受賞相次ぐ
昨年10月、西ドイツのトロツシンゲンで開かれた第2回世界ハモニカ·コンクールで、北京から参加した白燕生、文生、栄生の3兄弟が、「3重奏」の演奏によって特別賞を受賞した。長兄の燕生さんが8歳のときにハモニカを始めたのがそもそものきっかけ。弟たちもその魅力のとりことなり、ラジオ講座で独習を積んだ。1981年「白氏3兄弟重奏団」を結成、87年にはYMCAがつくった北京ハモニカ研究会の副会長、理事となった
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
-
2333. 風箏 哈魁明さん
「風箏の哈」といえば、北京では有名な回族の一家だ。話は清末にさかのぼる。哈国良という腕のいい左官が、琉璃廠に住んでいた。あたり一帯は有名な文化街。その雰囲気に感化されたのか、彼は風箏に興味を持つようになった。冬の仕事のひまなときに初めはただ見よう見まね、やがてあれこれと細かく研究を始め、だんだん独自のものを会得して行った。頭がよくて手先も器用、なによりも天分があったのだろう、彼はついに精妙で雅趣に
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
-
2334. 「福到」
「おや、福の字がさかさまになっている。ミスかな……」と思われる方もおられるかも知れません。ミスではありません。意識的に福の字をさかさまにしたのです。お正月の北京の街ではこのさかさまの福の字をよく見かけるのですが、これは中国では「福到」―「福到(ふくいた)る」という縁起のいい「文字」なのです。さかさまという意味の「倒」と到るという意味の「到」は、中国語の発音ではいずれも「ダァオ」、これをもじって福の
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
-
2335. 門神から門画へ
清の時代、正月を迎える北京の家々は、いろいろな飾りで装いを華やかにした。五色の掛け銭(幸福や蓄財をねがって門口などに貼る切り紙)、真紅の対聯と「福」の字、そして色彩鮮やかな門神……。門神というのは、道教の説く「門を守る神」のことで、その絵を門に貼る風俗は古くからあった。有名な古代の地理書『山海経(せんがいきょう)』(成立年代不明)にも、神荼(しんと)と鬱塁(うつりつ)の二神人が度朔山(どさくさん)
Author: 文 薄松年 写真 魯忠民 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
-
2336. 羊年談羊
羊年談羊―「ひつじ年にちなんで羊を語る」、これが今月のタイトルです。本誌一月号の「食べもの、飲みもの」欄にも似たようなタイトルがあったのを覚えている方もおられることでしょう。わたしのこの雑文は、あそこからヒントを得たもので、姉妹篇とでも思って読んでいただければと筆をとっています。今年は十二支のひつじ年、羊(ひつじ)という字(象形文字カット参照)の下に「大」と書くと「美」という字になりますが、まず今
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 2 PDF HTML
-
2337. ねずみの嫁入り
魯迅は、正月十四日の晩は、ねずみの嫁入りの行列が見たくて、いつ始まるかいつ出てくるかと眠れなかったと、浙江省紹興での幼年時代を回想している。ねずみの嫁入りの話は中国各地にあり、山西省では、暮れの二十三日に神々が天に上ってしまうと家ねずみが活動をはじめ、吉日を選んで婚礼をするので三、四日のあいだはどの家でもオンドルの煙突のあたりで、毎晩、花嫁行列の笛や太鼓の音が聞こえるとされる。江西省では、元旦がそ
Author: 収蔵 薄松年 文 魯忠民 Year 1991 Issue 2 PDF HTML
-
2338. 佳能·施楽
北京放送の東京支局長として二年半ほど日本に行っていて北京を留守にしているあいだに、北京はだいぶ変わりました。もちろん、わたしの好きな北京は以前のままの姿でわたしを迎えてくれていましたが……、あちこちに出来たビル、立体交差、高速道路、テレビ塔……、一九五〇年代の城壁取り払いから教訓を汲み取ったのでしょう、こうした建設が北京という古都の美しさを損なわないようにかなり気を配られながら進められているのはう
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
-
2339. 松花江畔の大コンビナート
吉林省の吉林市にある「吉林化学工業公司」は、中国屈指の化学工業コンビナートとして知られている。労働者·職員は12万人、20億元余の資産と110余の設備を擁する代表的なマンモス企業に成長した。原料は石油と石炭。化学肥料、合成染料、カーバイド、石油精製、有機合成の五大工場を中心に、設計、科学技術研究、計器、機械、発電、鉱山開発、鉄道·道路輸送から従業員の生活までが一体になった一大コンビナートである。
Author: 〈本文参照〉写真 王恩普 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
-
2340. 踏青·春游
二十四節気の清明(四月五日ごろ)が近づくと、わたしの勤め先北京放送の日本語部では春のピクニックが話題になります。遠くに出かけることを主張する「若手行動派」の唐莉莉アナウンサーたち、「虚」より「実」という「花より団子派」の中年女性グループ(失礼!)、そしてその調停役を勤める労働組合の陳さん……、だいたい折衷案が通るのが毎年の習わしとなっているようです。「草色青青柳色黄(そうしよくせいせいりゆうしよく
Author: 文·李順然 え·于叔方 Year 1991 Issue 4 PDF HTML