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Your search : [ author:詩 易和元
え 韋啓美] Total 927 Search Results,Processed in 0.136 second(s)
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11. 私は祖国に帰ってきた
「きみは国に帰ってコミュニストの信頼を受けると思っているのかね。……もしかしたら拘禁されるかも知れないよ」とおどかされながら、祖国に帰ってすでに九年たった筆者の今日の心境は、「こうして社会主義の大家庭で幸せに暮らしているのを知ったら、アメリカの移民局の役人は何というだろう」ということでした。アメリカのさそいの手にのらない一九五五年六月、中国の留学生をのせたアメリカの汽船プレジデンツ号がサンフランシ
Author: 童詩白(トンシーパイ) Year 1964 Issue 10 PDF HTML
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12. 教材改革とわたし
「教育は革命をおこなわなければならない」という毛主席の偉大なよびかけと党の指導のもとに、広はんな労働者·農民·兵士出身の学生が大学に入学し、大学を管理し、毛沢東思想にもとづいて大学の改造にとりくんだ。そのため、大学のあり方はかわり、教育戦線での闘争·批判·改革もたえずつっこんでおこなわれるようになった。修業年限一年の学科をおえて大学の門を出た学生たちは、各分野で以前にまさる大きな役割をはたしている
Author: 清華大学教授 童詩白 Year 1972 Issue 6 PDF HTML
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13. 黄河の上流にある劉家峡水力発電所
Author: 撮影/任詩吟 沈延太 Year 1975 Issue 1 PDF HTML
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14. 毛主席と傷病兵
私は江西省寧都県の東山壩に住む貧農の家に生まれた。十一歳になると、地主のところで牛飼いとして働き、惨めな暮らしをした。そのころ、毛主席の指導する労農赤軍が私の故郷にきて革命闘争をくりひろげた。山間部でも平野部でも、いたるところで刀がきらめき、槍の赤いふさがゆれた。労農赤軍は土豪劣紳を打倒して、田畑を貧しい農民に分けあたえた。革命の火の手がはげしく燃えひろがったのである。一九三〇年十月、反動派にたい
Author: もと赤軍兵士 陳詩林 Year 1977 Issue 6 PDF HTML
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15. 多彩なる仏教と民族文化の世界
甘粛省安西県にある楡林窟は、敦煌の石窟を構成する重要な石窟群の一つだ。莫高窟の「姉妹窟」と称されるほど、その歴史的、芸術的価値には高いものがありながら、長い間一般には公開されてこなかった。小誌では今月から、楡林窟研究に長年携わってきた専門家たちの手記を連載し、この神秘の石窟を紹介していく。楡林河のほとりに位置する楡林窟は、またの名を万仏峡と言う。唐代から元代に至る四十二の洞窟が残っており、敦煌石窟
Author: 文 樊錦詩 写真 孫志軍 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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16. 杜甫草堂にあそぶ
旧正月の六日は四川省(スーチワン)成都(チヨントー)の市民が杜甫(トウフー)の草堂をたずねる日である。「ひねもす杜甫草堂に遊ぶ」というその日で、これはもう何百年らいの年中行事になっている。ことしもその日がやってきた。そして夜があけかかると、こんな考えがうかんできた。詩人の旧居はわたしもこれまで何度となくたずねている。だがきようたずねることにはいつもとかわった新しい意義があるようだ、と。そこで、すこ
Author: ―明代の詩人楊慎の句 林如稷 Year 1962 Issue 6 PDF HTML
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17. 神筆の馬良
むかしむかし、馬良(ばりよう)(マー·リヤン)という子供がいました。お父さんやお母さんにはやくから死にわかれ、ひとりで薪とりや草かりをしてくらしていました。馬良は生れつきかしこく、それに絵がなによりもすきで、絵をかきたいと思わぬ日はありませんでしたが、貧乏のため、筆一本買えませんでした。ある日のこと、塾の前をとおりかかつた馬良は、塾の先生が絵を描いているのを見て、矢も楯もたまらず、そのままつかつか
Author: え·張光宇 Year 1958 Issue 1 PDF HTML
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18. 錦のゆくえ
これは中国の少数民族、チワン(僮)族の間につたわるお話です。むかし、ある大きな山のふもとに一軒のあばら家がありました。そのあばら家には夫に先立たれた一人のおばあさんと三人の息子が住んでいました。おばあさんは錦織りがたいへん上手でした。おばあさんの織つた錦の模樣は、花でも小鳥でもみんなほんものそつくりです。おばあさんの家では、その錦を賣つてくらしを立てていました。その日もおばあさんは手織りの錦を賣り
Author: え·顔梅華 Year 1958 Issue 4 PDF HTML
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19. 中国の印象
私の中国訪問は、一九五四年十月、国慶節のお招きを受けて、約一カ月、中国各地を訪問したのが最初で、今回は二回目です。五年半ぶりにみる中国は、北京はじめ、各地とも、大建築が完成し、面ぼうを一変していてその躍進ぶりには、眼をみはらざるを得ないわけですが、二回の訪問を通じて、私の受けた印象を、一言でいえば、中国は、婦人にとつての、正に天国だということです。人間の表情が柔和で、しかも非常に明るい。子供は、人
Author: 齊藤きえ Year 1960 Issue 8 PDF HTML
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20. 銀のかんざし
むかし、あるところにおばあさんが二人のむすこと住んでいました。二人のむすこは、毎日山へ柴刈りにゆき、それを売って、おっかさんを養っていました。山へゆく途中で、息子たちは毎日のように一人の娘をみかけました。娘は井戸ばたで洗濯をしているか、さもなければ、田のあぜで牛にやる草を刈っていました。むすこたちは、二人ともこの娘がたいへん好きになり、お嫁にもらいたいものとひそかに考えていました。けれどお互いに口
Author: え·李玉紅 Year 1964 Issue 9 PDF HTML