旧正月の六日は四川省(スーチワン)成都(チヨントー)の市民が杜甫(トウフー)の草堂をたずねる日である。「ひねもす杜甫草堂に遊ぶ」というその日で、これはもう何百年らいの年中行事になっている。ことしもその日がやってきた。そして夜があけかかると、こんな考えがうかんできた。詩人の旧居はわたしもこれまで何度となくたずねている。だがきようたずねることにはいつもとかわった新しい意義があるようだ、と。そこで、すこ...
Please login first!
旧正月の六日は四川省(スーチワン)成都(チヨントー)の市民が杜甫(トウフー)の草堂をたずねる日である。「ひねもす杜甫草堂に遊ぶ」というその日で、これはもう何百年らいの年中行事になっている。ことしもその日がやってきた。そして夜があけかかると、こんな考えがうかんできた。詩人の旧居はわたしもこれまで何度となくたずねている。だがきようたずねることにはいつもとかわった新しい意義があるようだ、と。そこで、すこ...