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Your search : [ author:曾慶南] Total 54 Search Results,Processed in 0.129 second(s)
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11. サラ(撒拉)族
中国の西南、雲南(ユンナン)、貴州(クイチヨウ)一帯の五つの少数民族を訪問したので、こんどは方向をかえ、いわゆる“大西北”をたずねることにした。そして、手はじめに、青海省に住むサラ(撒拉)族をえらんだ。昨年の夏のことである。記者は標高五〇メートルにみたない北京を直行列車で出発、二日二晩ゆられたあと、標高二三〇〇メートルの青海省省都·西寧に到着した。しかし、西寧から目的地である循化サラ族自治県までは
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
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12. 少林寺拳法の中日交歓
中国体育友好訪日団は日本少林寺拳法連盟の招きで、昨年の十一月二十日から十二月十日までの三週間日本を訪問した。一行の十三人のメンバーのなかに嵩山少林寺の長老梁以全拳師、若手の耿合営拳師、上海体育学院の蔡竜雲拳師がふくまれていた。中国の少林寺拳法の専門家が日本を訪問したのは、解放後はじめてのことである。記者が訪日団の一員として参加したのは、ご記憶の読者もあろうが、本誌に「少林拳士の里帰り―日本少林寺拳
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
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13. シェー(畲)族
菊の花が咲きほこり、身がしまったカニに舌鼓をうつころ、シェー(畲)族が住む福建省の東南沿岸地方に取材に行った。海岸線に沿って中国の海岸線はえんえんとつづくが、沿岸地方と内陸部の風景の違いを感ずる。東南沿岸の浙江、福建、広東諸省には約三〇万のシェー族が分布している。その居住地はかなり分散しているが、それぞれ小集落を形成している。普通、数戸あるいは数十戸が集まって村をつくる。その周囲は漢族の村で、シェ
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
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14. 「さるの島」探訪記
家の机の上に盆栽をひとつおいているのだが、その枝に茶のラシャでつくったさるがのぼっている。目を丸くしていかにもいたずららしい格好なので、とても娘のお気に入りである。このさるは、実は、昨年末、中国体育代表団の記者として訪日した際、みやげに持ってかえったものなのだ。静かできれいな伊豆半島を訪れた時のことだが、波勝崎にある伊豆国立公園に案内され、よく馴らされたニホンザルを見物することができた。案内者にす
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 5 PDF HTML
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15. リー(黎)族―海南島に自治州
中国の五五の少数民族のひとつリー(黎)族は、全部が中国南端の海南島に住んでいる。海南島は台湾島につぐ中国第二の大きい島である。取材に出たのは一月初めで、その日北京は零下一三度だった。厚ぼったい真冬の服装で、南へ行く列車に乗りこみ、三十四時間の旅をつづけて、まず広州に行き、そこから海南島に行った。広州は春のように暖かく、海南島では、昼は二〇度をこえ、ワイシャツだけでよかった。海南島の面積は約三万四千
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 6 PDF HTML
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16. チベット族―四川省西部で見る
チベット族と聞くと、読者のみなさんはたぶん、チベット自治区にしか住んでいないとお考えになるかもしれない。しかし、実は全国三百四十余万のチベット族の三分の二が四川省、青海省、甘粛省、雲南省に居住していて、チベットにはわずか三分の一しか住んでいないのである。記者は、今春、四川省西部の四川·チベット高原の取材にでかけた。スリル満点のバス旅行「蜀道の難(かた)きは青天に上るよりも難し」この詩は唐の詩人李白
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 7 PDF HTML
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17. タジク族―三千メートルの高原に住む
「探険家」になる記者は頑健な体つきをしているせいか、近ごろ編集部では登山記者にさせられてしまった。というのも、最近海抜五〇〇〇メートル以上の四川·チベット高原の取材を終えて北京に戻ると、しばらくしてまたパミール高原に住むタジク族を取材するようにと編集部から申し渡された。そこで命令には欣然と服してさっそくでかけることにした。「パミール」とは世界の屋根という意味で、中国の古書によると、野生の葱(ねぎ)
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 10 PDF HTML
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18. 蒙古族―草原に生きる騎馬民族
記者はかねがね蒙古族が多い中国北部の内蒙古自治区を取材してみたいと考えていた。今回その願いがかなったわけである。内蒙古自治区の面積は約一一〇万平方キロで、全国総面積の八分の一をしめる大行政区の一つである。自治区の主都呼和浩特(ホフホト)は北京から約六六八キロ離れたところにある。直行列車なら十三時間二十分で着く。今年の初秋、ここをたずねた。ホフホトに着くと、自治区の民族委員会の人に、烏蘭察布(ウラン
Author: 曾慶南 Year 1981 Issue 12 PDF HTML
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19. ゴールド·メタリスト輩出の広東省江門市業余体育学校
現在、中国各地にある業余体育学校をあわせると三〇〇〇校を越え、数十万の青少年がそこで業余にトレーニングを受けている。咋年開催された第九回アジア競技大会に参加、金メダルを獲得した中国選手の七九%は、業余体育学校で育まれてスポーツ界の新人になった選手たちだった。こうした意味からも、業余体育学校は中国の優秀なスポーツ選手をそだてる揺籃だと言えよう。数多くの業余体育学校の中で最近なにかとうわさにのぼってい
Author: 曾慶南 Year 1983 Issue 5 PDF HTML
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20. 十五万の子供が書いた「わたしのお母さん」
「ママ、わたし北京市の作文コンクールに参加するの」初夏のある日、うちの小学生の娘が、学校から帰るなり大はりきりで母親に言った。「そお? 何を書くの?」「ママのことデース」娘はいたずらっぽい顔をした。「べつに書くようなことってないでしょう?」「ほんとなんだから!
Author: 曾慶南 Year 1984 Issue 11 PDF HTML