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11. 江蘇省宜興市の紫砂急須
「人間珠玉安足取,岂如陽羨渓頭一丸土」陽羨とはいまの江蘇省の宜興。これは珠玉よりもまさるともいわれる宜興の紫砂の陶器を称える詩の一節である。江蘇、浙江、安徽の三省の境界近くに位置する宜興は、陶器の里として有名だ。また、茶、竹、洞もよく知られている。宜興から南へ約十キロ、丁蜀鎮に足を踏み入れるとまさにその名の通り陶器の世界。道の両側はむろん、いたるところに陶磁器が山のように積まれている。店も多く、車
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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12. 南京の亀の博物館
江蘇省の省都南京は、中国西大古都の一つとして有名な観光地だが、その西端に位置する烏竜潭に、1990年10月、中国で初めての亀の博物館「江蘇南京亀鼈(きべつ)博物館」がオープン、すでに数十万人もの内外の観光客を集めている。もともと烏竜潭は、樹木の生い茂る庭園のあちこちに亭閣が建ち、「小西湖」と呼ばれるほどの景勝の地だったが、打ち続く戦乱のためすっかり荒れ果ててしまった。1940年代末には全くの廃虚と
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1993 Issue 10 PDF HTML
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13. 浙江省の竜泉青磁
韓国近海で沈没した古代船の引き揚げ作業が一九七〇年代に行われ、船室から中国元代(十三~十四世紀)の優美な磁器約二万点、うち一万点以上の竜泉窯の作品が見つかって世界を驚かせた。竜泉青磁は十六世紀にフランスに輸出されており、その釉色のすばらしさでフランス人を魅了、「セラドン」の名で今日に至るまで親しまれている。竜泉窯は中国陶磁器史上、焼成年代が最も長く、また窯跡が残る範囲は最も広く、さらに販路が最大の
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1993 Issue 10 PDF HTML
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14. 芸くらべてにぎわう侯馬元宵節
旧暦の1月15日は伝統的な祭り「元宵節」で、旧正月から続くため小正月ともいう。この夜は旧·新年最初の満月にあたり、人びとは灯ろうやちょうちんを飾りつけ、元宵団子を食べるならわし。1年間農作業に励んできた農民たちも、仕事を離れて二の日を楽しく祝う。太鼓や爆竹が鳴り響き、サーカスをはじめ遊芸や大道芸で賑わう元宵節のこの日、ここ山西省の侯馬市で記録写真をとるチヤンスが巡ってきた。侯馬市は山西省の南部に位
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1994 Issue 1 PDF HTML
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15. コレクションにも新時代
一九九三年四月十八日、避暑地で知られる河北省の北戴河で、十九の省·市を代表するさまざまのコレクター百十三人が集まり、中国文物学会民間収蔵委員会の発足が宣言された。この全国組織の誕生がきっかけとなったのか、昨年は「コレクター元年」ともいうべき年となった。六月に上海で開かれた第二回中国民間美術大会では、数十人のコレクターの特別コーナーが設けられた。北戴河の近くに新しく完成した「中国万博文化城」で、七月
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1994 Issue 3 PDF HTML
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16. 北京にインテリア·ブーム
新しい住宅団地が次々と建設され、いま北京はちょっとしたインテリア·ブームにわいている。もともと北京っ子は、室内を飾るということをほとんどしなかった。引っ越しをしたときや、結婚したときくらいは、壁を塗り替え、窓のカーテンを新調し、家族の写真を入れた写真立てを飾ったりするが、内装と言ってもその程度のことだった。事情が変わってきたのは、一九八〇年代後半からで、床にビニールタイルを張り、化繊のじゅうたんを
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1994 Issue 7 PDF HTML
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17. 六拉村―茶山ヤオ族の里
大瑶山は広西チワン族自治区中部、東寄りの山地で、面積は二千平方キロ余り、海抜一千メートルほどの山が多いが、最高は二千メートル近い。近くの桂林が石の山なのと違って土の層が厚く、ひろい植被におおわれ、広西最大の天然樹海、そして水源の山とたたえられている。動植物の資源もゆたかで、薬用植物が千三百六十種、喬木灌木が一千種、各種の野生動物も数百種いる。大瑶山は金秀ヤオ族自治県に属し、ヤオ族の主な居住地の一つ
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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18. 大凳村の婚礼
六拉に別れを告げてから六巷郷へ向かった。ここは大瑶山南部の深山にある郷(行政単位)で、四十七の自然村があり、人口は四千八百人余り。そのうち花藍、坳、山子、盤と四つの系統のヤオ族が二千五百人余りいる。郷政府の人に土地の事情をきいていると、突然二十人余りの茶山ヤオの男女の隊列が,黒地に赤い糸で刺繍をした包みを背負ってやって来た。何と聖堂山のふもと大発村の婚礼に行くのだ。私たちは疲労も顧みず、いそいで行
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1994 Issue 11 PDF HTML
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19. 韓城-司馬遷眠る夏陽の里
二千年前の前漢に、すぐれた歴史学者文学者司馬遷が中国最古の史書『史記』を著し、中国史上だけでなく海外にもその名を知られるところとなつた。彼の故郷は夏陽―いまの韓城布にあたる。韓城、それは黄河中流に近い陜西省にあり、面積は一六〇〇平方キロで人口が三十万、地形は東低西高。市の北、黄河の西に竜門があり、むかし大禹という人が治水のためそこの山を真っ二つに割ったという。これは黄河ののどもとにあたるが、両側は
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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20. 翁江村·山子ヤオ
私はよく祝い事にぶつかるので、みんなからついてると言われる。大発村から六巷に帰るとすぐまた翁江村に急いだら、山子ヤオ族の婚礼に出会った。山子ヤオ族は広東方面から比較的おくれてこの地に入った部族で、山子の名は貧苦のゆえのものらしい。日はすでに西に傾いていた。人だかりのする門前で、着飾った女性たちの姿が一きわ目をひいた。この婚礼も男が女の家に婿に入るのだ。花嫁の家の門前に七、八人の娘が半円を作って並び
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1994 Issue 12 PDF HTML