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Your search : [ author:呂 彤] Total 39 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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11. “天才論”を批判する紅旗用水路の建設者
二千余年前、反動的な没落奴隷主階級の代弁者孔子は、奴隷主階級の独裁を復活させようとして、「天命論」を宣揚して、「唯上智と下愚とは移らず」と称した。それから二千余年後、ブルジョア階級の野心家、陰謀家、二面派、裏切者、売国奴の林彪は、プロレタリア階級独裁をくつがえそうとして、孔子をまねて観念論的「天才論」を鼓吹した。かれは自分を「天馬」になぞらえ、「至貴」、「超人」を自任し、孔子の「上智下愚」の観念論
Author: 何林彤 Year 1974 Issue 9 PDF HTML
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12. 上海市金山県の農民画
本号付録の一九八四年度カレンダーはいかがでしょうか。この一風変わった水彩画シリーズは、職業画家によるものでなく、近ごろ中国で評判となっている「金山農民画」(上海市金山県の農民画)です。金山県は上海市の区部から、西南に四〇キロほど離れた江南(長江下流の南岸一帯)の農村です。この県には金山衛という臨海工業地帯も建設されています(本誌八二年二月号参照)が、ここは昔ながらののどかな水郷地帯です。同県文化館
Author: 呉 彤 章 Year 1984 Issue 1 PDF HTML
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13. 南京路のすぐれた第八中隊
上海(シヤンハイ)警備区の第八中隊は、一九四九年五月、上海解放の日から浦東(プートン)に駐在し、全国に名を知られるこの大都会の警備の一翼をになつた。第八中隊が南京(ナンチン)路に移動したのは一九五六年の秋だつた。はじめて南京路の土を踏むと、戦士たちは大よろこびで、「とうとう市内に来たね」と互いに祝い合つた。ある同志は戸外に立つて自分たちの住むビルをながめながら、「いいなあ、すごくきれいだ!」と嘆声
Author: 呂興臣 Year 1961 Issue 8 PDF HTML
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14. 炭鉱夫三代
山西(シヤンシー)省の軒崗鉱(シワンカン)区に一すじのまがりくねった川が流れている。川の名は陽武河(ヤンウーホー)。両岸には山々が起伏して、だんだん畑がつづいている。その山のなかに黄甲堡(ホワンチヤープー)という村があって、先祖代々三百余年も石炭を掘りつづけてきた労働者の一家がそこにある。さいきん、その家の一六代目のあととりが軒崗炭鉱の採炭労働者になった。話題の主は傅文俊(フーウエンチン)さんとい
Author: 呂民貴 Year 1963 Issue 5 PDF HTML
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15. 九州と交流した可能性も
中国のいろいろな民俗文化圏の中で、東中国海に面する浙江省は、呉越文化圏に属している。この地方は、海一つ隔てた日本との往来が昔から非常に盛んで、住民たちが話している呉方言は千四、五百年前の六朝時代に日本に伝わり、「呉音」として日本の代表的な三つの字音の一つとなった。このたび、越文化について深い興味を持つ山口大学の鈴木満男教授、筑波大学の直江広治名誉教授らの日本民俗学者が、浙江大学の沈善洪学長、山東大
Author: 呂洪年 Year 1990 Issue 12 PDF HTML
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16. 「わたしも大連人です」ハウス 栽培の普及に努める日本人
中国のハウス栽培の普及に情熱を打ち込んでいる日本人がいる。還暦を過ぎた石本正一さんだ(写真中央)。「後世に大きな財産を残したいし、大連の一市民として、中国の農業の発展に少しでもお役に立てれば……」この十年ですでに約四十回も訪中。自らを“大連市民”と呼ぶように、石本さんと大連はそれこそ切っても切れない仲にある。一九二五年の大連生まれ。以来十七年間、青少年時代をここで過ごす。「わたしにとって、大連は第
Author: 写真 呂同挙 Year 1987 Issue 6 PDF HTML
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17. パリにお目見得 北京·智化寺の 仏教音楽 聴衆を魅了
今年早春、パリで北京仏教音楽団による「智化寺音楽」が初めて披露され、聴衆は東洋の妙音に酔った。楽団は芸僧四名、中央音楽学院の演奏家六名からなり、九孔管、十七簧笙などの管楽器により、五百四十年前の姿を今にとどめた仏教音楽を演奏した。智化寺は、北京にある古い仏教寺院で、明の英宗·朱祁鎮の寵愛を受けた宦官王振が、一四四六年に私的に建てたもの。王振は宮廷音楽の一部分をこの寺に移し、自分で楽しむとともに、そ
Author: 写真 呂全成 Year 1987 Issue 6 PDF HTML
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18. 「電脳」より早い暗算法 史豊収さんユネスコ本部で実演
世を挙げてコンピュータの礼賛である。コンピュータにあらざれば現代化にあらず、といった形勢。はたしてコンピュータは、そんなにもスゴいのだろうか。たしかにスゴい。コンピュータが人類の英知の延長線上に据えられた時、人類の未来は、限りなく広がるのである。中国でも、コンピュータの開発が急がれているのは、このためにほかならない。ところが、である。筆者は、日本の雑誌を読んでいて「あなたのベター·ハーフは、コンピ
Author: 写真 呂全成 Year 1988 Issue 2 PDF HTML
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19. ドクターズガウンに角帽かぶり天津大学で博士号授与式に
昨年の九月九日、秋風の肌にさわやかな日、天津大学で十一名の博士が誕生しました。写真は、黒のドクターズガウンをまとい、角帽をいただき、ホールから出てきたところ。手には呉咏詩学長(右端)から授与された学位証書がしっかりと。どの顔も、少々テレぎみながら、よろこびを隠しきれないといった表情です。天津大学では、昨秋初めてアカデミック·コスチューム着用での学位授与式が行われました。十一名の新博士は、それぞれ“
Author: 写真 呂大力 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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20. 教育理論は現場の実践から “保母”業にうち込む王波先生
改革·開放をすすめる中国のこと、これまでの因循守旧では、新しい展開はおぼつかないというもの。職業意識も社会通念も、どしどし改めていかねば!王波先生。北京師範大学教育学部で就学前の児童教育を専攻した秀才ですが、理論だけではどうにもならないと決意して、今は“保母”さん業に専念しています。「幼児教育を専攻しているのに幼児を理解しようとしない。児童心理を研究しているのに、かえって子供たちが何を考えているの
Author: 写真 呂大力 Year 1990 Issue 4 PDF HTML