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Your search : [ author:写真/譚実 魯忠民
文/孟皋卿] Total 480 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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11. 息もぴったり3兄弟ハモニカ演奏で受賞相次ぐ
昨年10月、西ドイツのトロツシンゲンで開かれた第2回世界ハモニカ·コンクールで、北京から参加した白燕生、文生、栄生の3兄弟が、「3重奏」の演奏によって特別賞を受賞した。長兄の燕生さんが8歳のときにハモニカを始めたのがそもそものきっかけ。弟たちもその魅力のとりことなり、ラジオ講座で独習を積んだ。1981年「白氏3兄弟重奏団」を結成、87年にはYMCAがつくった北京ハモニカ研究会の副会長、理事となった
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
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12. 風箏 哈魁明さん
「風箏の哈」といえば、北京では有名な回族の一家だ。話は清末にさかのぼる。哈国良という腕のいい左官が、琉璃廠に住んでいた。あたり一帯は有名な文化街。その雰囲気に感化されたのか、彼は風箏に興味を持つようになった。冬の仕事のひまなときに初めはただ見よう見まね、やがてあれこれと細かく研究を始め、だんだん独自のものを会得して行った。頭がよくて手先も器用、なによりも天分があったのだろう、彼はついに精妙で雅趣に
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
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13. 6新疆 トルファン 早わかりマップ
わたくし、姓は孫、名は悟空、人呼んでスーパー·モンキーと発します。トルファンです!トルファンでございます!北縁を火焰山にふちどられたオアシス。さながら、すりばちの底のように深くくぼんだ盆地の最低点は、海抜マイナス一五〇メートル。中華なべの底といってもいいでしょう。あついんです。炎をふき出して燃えあがるような赤い山肌の、草一本ない山脈。そう、おいらが、その昔、大活躍した火焰山に、みなさまをご案内しま
Author: え 魯忠民 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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14. 龐薫琹(パンシュンチン) 工芸美術の価値を提唱
龐薫琹は字を虞鉉(ぐげん)、筆名は鼓軒と称した。一九〇六年六月二十日、江蘇省常熟県に生まれ、幼少時から絵を好み、十歳で花鳥画を学び始める。青年時代は上海暨南大学で医学を修めたが、のち美術を専攻した。一九二五年、フランス、パリに留学、絵画を学び西洋の近代美術の影響を受ける。パリでは、工芸美術のジャンルにも挑み、服飾デザインの仕事にかかわった。帰国前、彼には二つの目標が芽生えていた。一つは、西洋画の創
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 3 PDF HTML
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15. 徐悲鴻(シュベイホン) 中国絵画の改革を推進
徐悲鴻は、中国の近代美術に大きな影響を与えた人物だ。一八九五年、江蘇省宜興うまれ。祖父は村で仕立てをしながら田畑を耕し、父は独学で絵を学ぶ傍ら、瓜を栽培し、私塾を開いていた。その後、洪水のために一家の生活が困窮し、徐悲鴻は父に従い、絵を売って生計をたてるようになった。のちには、彭城中学校の美術教師となった。一九一七年、絵を売って得た資金で日本に留学。留学中は、毎日博物館や個人宅に通いつめ、様々な絵
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 4 PDF HTML
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16. 沙耆(シャチィ) 闘病生活から生まれる美
今年春、「沙耆芸術七十年作品回顧展」が北京の中国美術館、上海美術館、台北歴史博物館を巡回し、各地で大きな注目を浴びた。美術評論家は、この特別な画家の特別な絵画を、見る人に独特の魅力を感じさせるものと称えた。沙耆は一九一四年、浙江省鄞県沙村生まれ。もとの名は沙引年だが、字を吉留と称し、号を沙耆とした。一九二九年から三六年にかけて、上海昌明芸術専科学校、上海美術専科学校、杭州芸術専科学校、中央大学芸術
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
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17. 陳抱一(チェンバオイ) 狂わされた運命と芸術
陳抱一は、一八九三年、上海に生まれた。父は招商局の要職にあり、恵まれた家庭環境に育つ。少年時代から芸術を愛し、理解ある父に支えられて、美術関係の書籍を買い集め、没頭する日々を送った。そして恵まれた条件のもと、比較的早くから、西洋画に取り組んだ。初期に私淑したのは、中国における西洋画の黎明期、重要な役割を果たした張聿光(一八七一~一九六八)、もう一人は、中国初の私立美術学校の創設者、周湘(一八七一~
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 7 PDF HTML
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18. 董希文(ドンシーウェン) 少数民族を描いた先駆者
一九四九年十月一日、天安門城楼に建国の元勲が並び、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した場面を描いた作品『開国大典』は、華麗な色彩と、溢れる躍動感によって、中国で広く知られている。この絵の作者が董希文である。董希文は、一九一四年、浙江省紹興の柯橋に生まれ、四年後、家族とともに杭州に移った。父の董萼清は地方の文物鑑定家だった。希文は幼少から絵画を好み、およそ本の空白部分は、アヒルのヒナや小犬などの絵
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 8 PDF HTML
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19. 潘玉良(パンユゥリャン) パリで花開いた女流画家
潘玉良は、数奇な運命のもとに生まれた。もとの名は、張玉良といい、一八九九年、生まれたのは安徽省相城の職人の家だった。一歳で父を、二歳のときにはただ一人の姉を亡くした。一家の生活は母が刺繍の手仕事で支えたが、八歳の時には母も亡くなり、母方の叔父に育てられた。だが、十四歳になると叔父の手で相城の妓楼に売られた。惨めな数年を過ごしたのち、十六歳で相城の税関監督、潘賛化によって身請けされ、上海で養われるこ
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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20. 林風眠(リンフォンミェン) 人道主義を貫き通した作品
一九〇〇年十二月二十二日、林風眠は広東省梅県の山奥の農家に生まれた。祖父と父親は墓石を彫る石職人だったが、林風眠は六歳で私塾に入り絵を学び始めた。祖父から受けた影響について、彼はこう回想している。私の手と絵筆は、ちょうど祖父の手とノミと同じで、一時も休むことはない。違うのは、祖父は重くて荒い石に一生を費やし、私は軽くて滑らかな紙に一生を費やしたことだ。一九一八年、中学を卒業して上海に出た林風眠は、
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 11 PDF HTML