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Your search : [ author:写真 蕭 河] Total 3492 Search Results,Processed in 4.274 second(s)
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11. 藤網橋
人びとは急流を渡るために、簡単な方法で吊り橋を架けて交通の問題を解決してきました。しかし、大風が吹いたときは橋が大揺れして、渡るにはビクビクものです。”世界の屋根”と呼ばれている青海·チベット高原。チョモランマなど高山が集中し、河川湖沼も数え切れないほどある水資源豊富なところです。そのなかで“チベットの江南”と言われているのが、墨脱(メドッ)地区です。自然が非常に美しく、草原や田畑も多いのですが高
Author: 写真·杜沢泉文·河野 Year 1992 Issue 9 PDF HTML
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12. 甘粛省白銀市の彩陶
甘粛(かんしゅく)省の省都蘭州(らんしゅう)で博物館を見学して、彩陶がたくさんあるのにびっくりした。出土品からみて、この地域には十万年前から人類が活動していたことや、新石器時代には陶器がつくられていたこと、従ってその歴史は四千年以上になることがわかる。今までに発見された彩陶文化遺跡は千余カ所、出土陶器四千点余、種類は大小のかめ、はち、碗、盆、こしきなど数十種にもなる。図柄も独特で、条紋、蛙紋、蘭紋
Author: 文·延河蓮 写真·王恩普 Year 1993 Issue 11 PDF HTML
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13. 秘境への道
チベットは永い間氷と雪に閉ざされた極地だと思われて来た。六四一年、唐の文成公主がチベット入りしてから、漸くその門戸が開かれたが、だからといって、誰でも行けるという所ではない。海抜が四千メートルを超え、空気が希薄なうえ、風雪が厳しい。しかしこの地球の極地が、近年世界の注目を浴びている。中国の科学探検隊が一九九四年に、深さ五三八二メートルという世界最大のヤルンズアンポ江大峡谷の存在を確認したのだ。生物
Author: 写真·蕭践 閻敏 文·初小玲 Year 1995 Issue 9 PDF HTML
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14. 切り立つ崖、豪雨をついてタールオ·イゴン湖へ
徐教授をリーダーとする今回の調査団の調査の重点は、ヤルンズァンポ江が大きく湾曲する地域とそこに流入する水系の峡谷にある。この地域は、崖は切り立ち坂は険しく、峡谷は深く、酷熱の気候で、蚊が多いが、生態系が特異で種類が豊富であり、調査には最良の地域である。当然、車は入れず、徒歩に頼るしかない。密林の奥深く、タールオという小さな山村があり、付近に世界的に珍しい最も大きなタンメクヌギがあるという。私たちは
Author: 文 初小玲 写真 閻敏 蕭践 Year 1995 Issue 10 PDF HTML
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15. 苦難の果ての絶景
私が非常に残念に思っていることがある。それは調査団と撮影班が雨季に入る前に到着し、黄宗英先生と私が着くまでにヤルンズァンポ江の大湾曲部の頂きでの春季調査を終え、ザチュ村へ発ったあとだったことだ。彼らは息も絶え絶えに原始林をまるまる三日間歩いた。泥と石の坂をはい登り、揺れる吊橋を渡り、切り立った山腹をうがつ曲がりくねった桟道をよじ登った。撮影班の畢爾の手が裂け、随行の医師が川のほとりで八針縫う手当て
Author: 写真·閻敏 蕭践 文·初小玲 Year 1995 Issue 11 PDF HTML
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16. 魅了され、調査続ける徐教授ガンシャン、ダカ湖
木々が高く空えるボウォ県のガンシャンは、雪の山に囲まれ、山腹は緑色の玉のかんざし、水は青い薄絹の帯、木々は緑の天蓋に似て、うっとりとさせる原始的な風景だった。タンメからガンシャンまでは車で八、九時間を要する距離だった。私たちは四台の三菱ジープと一台の北京ジープで威勢よくタンメを出発した。小雨が降りしきり、道の両側は木々が生い茂り、野生の桃の花が真っ盛りだった。道路では時折りヤクと犏牛(赤牛とヤクの
Author: 文 初小玲 写真 閻敏 蕭践 Year 1995 Issue 12 PDF HTML
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17. 明·堆朱「群仙祝寿図」円盒
漆の木は中国の中部以南の地方に大量に育っている。漆の樹液を簡単に加工してできる天然漆は中国の特産であり、これを金、銀、紅、緑などの顔料と調合し、色彩豊かな漆料ができあがる。中国の漆器の歴史は古い。文献としては『韓非子·十過』に4000年以上も前の舜、禹の時代に漆を塗った木器を用いた、という記述がある。また考古学的には、さらに古い6000~7000年前の浙江省河姆渡遺跡からも漆の碗が発見され、300
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 12 PDF HTML
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18. 清·琺瑯彩嬰戯紋双連瓶
高さ21.4センチ 口径最長9、最短5.2センチ 底径最長10、最短6センチ中国で現在最も古い彩色磁器は、南京市から出土した三国時代の壷で、淡黄色の生地に褐色で空飛ぶ仙人と雲が描かれ、これに青黄色の釉が施されている。琺瑯の彩色磁器は、これに比べると歴史がはるかに浅く、清代の康熙期にフランスから製品と技術が伝来し、中国伝統の七宝工芸と融合して、新しい彩磁を生んだ。ガラス質に様々な金属酸化物を加え油で
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
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19. 明·釉裏紅軍持
中国の著名な彩色磁器「釉裏紅」は、元代半ばに興り、晩期に栄えた。当時の景徳鎮窯の大きな成果のひとつである。釉裏紅の制法は、酸化銅を着色材として素地に直接模様を描き、透明な釉を薄くかけたあと、1200度前後で焼くと、初めて紅色が現れる。紅色は見る人に喜びと安らぎを与え、中国では古くから吉祥富貴の色とされてきた。釉裏紅の色合いの洗練された華麗さは、伝統的な審美観とも合い、広く人々に愛された。元代に大量
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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20. 清·黄套緑玻璃蝈蝈鼻烟壺(清代·黄と緑のガラス製キリギリス模様の嗅ぎ煙草入れ)
17世紀初頭、中国とヨーロッパとの間に幅広い貿易および文化の往来が始まった。数多くのものが伝来したが、その中に当時ヨーロッパで高級な嗜好品として流行していた嗅(か)ぎ煙草(鼻烟)がある。嗅ぎ煙草は商人や宣教師たちから皇帝や高官たちへの贈り物として持ち込まれ、清の康熙帝はじめ歴代の皇帝に愛用された。康熙帝は通常の口で吸う煙草は何度も国民に禁じたが、嗅ぎ煙草だけは除外した。上が好むものは下にも及び、こ
Author: 文·蕭琳 写真·馬暁旋 Year 1997 Issue 5 PDF HTML