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Your search : [ author:写真 王恩普 張政利(本文参照)] Total 3452 Search Results,Processed in 0.105 second(s)
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11. 三国志ゆかりの地涿州
涿(たく)州は北京の南62キロにある都市。『三国志演義』の英雄劉備の出身地で、彼が関羽、張飛と桃園の義を結んだのはここだ。町の歴史は2000年以上、むかしから武将文人が輩出している。涿州の名は町なかを流れる涿水という川に由来し、面積724平方キロ、人口約50万。農業ばかりでなく、古来商業も盛んだった。清の乾隆帝はここを訪れたとき、得意の筆をふるって「天下第一州」と揮亳したほどだ。中国では将来性のあ
Author: 写真 王恩普 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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12. 華北最大を誇る自由市場 白溝
白溝は北京、天津、保定に囲まれた要地。ここに華北最大の商品市場がある。漢代以来の市で、清代には「万盛堂」など115店が軒をつらね、江南の絹、北方の毛皮、北京や天津の雑貨などを売買していた。文化大革命で一時さびれたが、改革開放はこの町にふたたび活力を吹きこんだ。今では人造皮革の原料や製品、ニット製品、雑貨類の一大交易場になった。域内に固定店舗1075、固定と移動露店1万7000、取扱い商品は140種
Author: 写真 王恩普 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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13. 靴の町―武清
天津市武清県は市の西北部にあって天津港に隣接し、東は渤海に臨み、北に北京を控えている。面積1574平方キロ、人口は78万だ。武清は明、清時代から靴の生産が盛んなところで革靴の里といわれてきた。現在は98の工場がフォーマル、カジュアル、スニーカー、防寒靴など十数種類の靴を、年間1000万足生産している。物が良く値ごろなので、製品は国内各地はもとより海外30余の国、地域に輸出される。中国バスケットボー
Author: 写真 王恩普 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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14. 武夷山 古越人のふるさと
福建省西北部の武夷山市は、長い歴史を誇る人口20万の文化都市。遠く新石器時代に華東南部の古越人が暮らした町。同市の武夷山は国家重点風景名勝指定区で、自然景観は華東南部随一との名声が高い。明代の旅行家·徐霞客は「山水の景観にはうっとりする」と称えた。また国家自然保護区、更に国連·人類と生物圏グループのメンバーで、「世界の生物の窓」「自然植物園」「鳥の楽園」「昆虫の世界」「蛇の王国」なども魅力的なライ
Author: 写真·王恩普 Year 1994 Issue 4 PDF HTML
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15. 第三回中国国際合唱デー長城にひびく三千人の歌ごえ
中国文化部(省)芸術局が主催し、中央楽団·航天国際旅行社が実務を担当、北京八達嶺観光総公司が協力する「明日のために―平和、友情」第三回国際合唱デーが、七月十六~二十一日、北京世紀劇場、北京音楽ホール、海淀劇場、八達嶺長城で行われ、大成功をおさめた。合唱デーには、アメリカ、スペイン、日本、シンガポール、タイ、香港、澳門(マカオ)、台湾などの国や地区と国内二十一の省、市の五十八のプロやアマの合唱団が参
Author: 写真 王恩普 Year 1994 Issue 11 PDF HTML
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16. 東北地区の冬の暮らしを見る
中国の北東部に、ロシアや朝鮮と国境を接して、遼寧、吉林、黒竜江の三省がある。この三省を総称して東北地区と呼んでいる。面積は三省で七九万平方キロ、人口は一億八百万人である。東北地区では、昔から多くの民族―満州、蒙古、ダフール、シボ、オロチョン、オウンク、ホーチョ、漢、回、朝鮮族―が生活し、共同でこの地方の文化を作りながら、同時に各自の特色ある風俗習慣を保持してきた。吉林、黒竜江の両省は、緯度は日本の
Author: 写真·王恩普 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
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17. 若返る古城―宣化
宣化は北京から160キロ、河北省西北部、張家口市に属する区。宣化盆地にあって面積230平方キロ、人口25万。古い土地柄で、中国を再統一した秦以来、漢、唐、元、明、清など各時代に地方行政区の役所が置かれた。明代の清遠楼、鎮朔楼、拱極楼などが今も町の中心地区にそびえ立ち、元代の立化寺塔、清代の煉瓦彫刻の五竜壁がある。また遼代(12世紀)の国子監祭酒(こくしかんさいしゅ。国立大学学長)張世卿墓室の天井に
Author: 写真 王恩普 劉力 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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18. 萊州―山東省の新鋭都市
本文参照萊州市は、面積千八百平方キロ、人口九十万人、山東半島西北部に位置ずる。昔は掖県といい、普通の農村に過ぎなかったが、一九七八年以来の改革開放政策によって各種の工業が次々と興り、いまや山東省の経済発展を推進する新鋭都市となっている。もともと「蔵金埋玉」の地と言われていたように、鉱物資源が豊富。とくに金の産出高は全国でもトップクラス、大理石や玉も大量に産する。また海岸線が百キロを超えるため、沿海
Author: 写真 王恩普 姜源 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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19. 渤海の星―黄驊
黄驊(こうか)は河北省の東に位置する。東は渤海に面し、北は天津と、南は山東省と境を接する。面積2251平方キロ、人口は43万、中国沿海の新興工業都市である。この地には7000年前の文化遺跡があるから、歴史は古い。古代から漁業と製塩業の町として知られ、中国製塩業発祥の地のひとつだ。1970年代にはいってから、機械、化学、食品、海産物加工業を始め、建材、紡績、樹脂、電子工業などがあいついで起こった。目
Author: 写真 王恩普 沈英 Year 1993 Issue 4 PDF HTML
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20. 仏教美術の一大宝庫
敦煌―かつてシルクロードの要衝として栄え、その富によって仏教美術の一大宝庫がここに築き上げられた。鳴沙山、月牙泉、渥窪池(あくわち)などの自然景観がまた、この土地の神秘性をいやが上にもかきたててくれる。1944年2月1日、敦煌芸術研究所(現·敦煌研究院)が設立されて50年を迎えたのを機に、この大沙漠の中の真珠にもたとえられる地を再訪してみよう。
Author: 写真 王恩普 李科 Year 1994 Issue 2 PDF HTML