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Your search : [ author:写真·郭実 文·張春侠] Total 117 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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11. 「国際少林寺武術祭」開かれる 外国からも直弟子·愛好者が参加
中国河南省の嵩山少林寺は武術のふるさととして内外に有名だが、昨年の九月一日から四日まで、嵩山少林寺武術館で「国際少林寺武術祭」が開かれ、国内をはじめ外国からも多くの武術家、愛好者が参加した。一九八八年に少林寺武術館がオープンして以来、国際武術祭が開かれるのは今回で三回目。参加したのは、日本、アメリカ、シンガポール、オーストラリア、イギリス、スイス、ドイツ、イタリア、香港、台湾、そして中国など十数の
Author: 写真 郭実 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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12. 颐和園に蘇州街オープン 焼失から130年ぶりに再現
北京の西郊、清代の西太后が夏過ごしたところとしてよく知られる颐和園に蘇州街が再建され、昨年の九月十五日から一般に公開された。蘇州街が始めて造られたのは清代。十八世紀中頃、清朝の第四代皇帝乾隆帝は、江南地方を六回巡幸しているが、最初の四回は皇太后を伴っている。皇太后はこの地に格別魅了されたが、四度目の行幸先から帰ったのち、乾隆帝は江南一帯の封疆大吏(清代の官名)たちに「皇太后は年なので、江南への長旅
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13. 加山又造画伯が名誉教授に 中央美術学院で後輩を指導
アジア大会と国慶節、それに十月三日は中秋節という「北京好日」をいやがうえにも“盛り立てた”昨年の秋に、中央美術学院では、日本画壇の巨匠·加山又造先生をお迎えして特別授業がおこなわれた。加山先生の来校は、今回で三度目。一九八三年、八六年にも中央美術学院を訪れて、親しく“後輩”の指導にあたられた。「民族の文化伝統から学ばないようではいけないね」「現代的な手法を盲目的に追求するなら、それは“浮き草”も同
Author: 写真 郭実 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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14. 友好と平和の願いこめ 千宗之若宗匠が「献茶式」
読経の声が収まると、広済寺の堂内は、水を打ったような静けさに。臨時にしつらえられた畳の上に端座する裏千家·千宗之若宗匠が、うやうやしく一盌(わん)の茶をささげたてまつる姿に、人びとの熱い視線が注がれた(写真)。広済寺は、中国仏教協会本部が置かれている北京市内の名刹。一九八〇年春に鑑真和上像が里帰りした際も、北京では、ここ広済寺に安置されて、多くの参拝者が訪れている。禅宗と係わりの深い茶道では、仏祖
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15. 北京動物園に新しいパンダ舎 生息地を思わせる“生態環境”
アジア大会のマスコットに指定され、会期中、“大活躍”したのが、パンダの「盼盼(パンパン)」。北京市内には、街角という街角に「盼盼」の像が立ち、市内全域では、いったい何人の「盼盼」くんが遠来の客を迎えたのか、とても数えきれないほどだったのは、まだ記憶に新しいところ。北京動物園でも、アジア大会開幕を前に、新パンダ舎が落成、現代的な「飼育·展覧館」がお目見えした。アーチ型の門をくぐって展覧室へ。自然の光
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16. 北京に“京劇センター”一年365日、いつでもご鑑賞を
外国では「ペキン·オペラ」の名で知られる京劇。北京にいらしたら、一晩をあてて京劇の鑑賞を、というのが“正しいナイトライフ”なのですが、困ったことに、「吉祥戯院」「長安戯院」といった京劇の専門劇場が、必ずしも毎晩公演をやるとは限らないのです。北京市民のナイトライフは、この五年間に大きく変容してしまいました。映画は、まだしも活況をみせているほうですが、京劇をはじめとする伝統劇は、若者たちからすっかり敬
Author: 写真 郭実 Year 1991 Issue 2 PDF HTML
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17. 新聞集めて30数年6000種類50000部に
アパートの一室に所狭しと並んだ新聞、新聞、新聞。その新聞に囲まれて整理に余念がないのが、ことし四十二歳になる李鉄光さん。北京人民機器廠の労働者だ。李さんが新聞各紙を収集するようになって、すでに三十数年になる。「そう、新聞を集めるようになったのは、新聞売りを始めてからなんですよ」李さんは、新聞収集の動機をこう話す。「五〇年代半ばですが、うちは家族が多くて生活が苦しかったので、夕刊売りを始めることにし
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18. 世界最大の花鳥玉彫名人賈父子五年の心血
高さ一·四五メートル、幅一·一メートル、重さ一·二トンの岫玉(しゅうぎょく)の大彫刻です。花鳥の玉彫では目下世界最大で、出来栄えのすばらしさからいえば恐らく空前絶後といわれ、「百鳥朝鳳」と名付けられて、いまは、北京長城美術品工場の奥深く秘蔵されています。外国から高い値段で買いたいといってきますが、見せてもらうのも容易でないとか。「百鳥朝鳳」は「鳥中之首,花中之王」と専門家が絶賛を惜しみませんが、誰
Author: 写真 郭実 Year 1991 Issue 2 PDF HTML
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19. 北京医院に日本語学校オープン日本企業が資金と設備提供
北京医院に医師、薬剤師、看護婦、検査員などを対象にした近代的設備を誇る日本語学校が昨年の九月一日、オープンした。資金とラボの設備を提供したのは、日本のオリエント·コーポレーション。九月一日のオープニング·セレモニーには、日本側から同企業の阿達哲雄代表、中国側からは中国衛生部の顧英奇副部長、中日友好協会の孫平化会長、北京医院の蔣葆生院長をはじめ校長、講師と学生の代表が出席した。同校は、医学関係者が日
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20. 北京最大のラマ教寺院 とりしきる32歳の青年僧
北京で最大のラマ教寺院·雍和宮の大管家(執事長)に3年前、29歳というこの寺始まって以来の若さで就任したのが、ここに紹介する張玉竜さんだ。張さんは高校卒業後、故郷の遼寧省阜新蒙古族自治県で農業に従事していたが、81年この雍和宮で出家した。よく学問に励み、師を敬い、経典を学び、戒律を守ったので、85年に副管家となり、さらに4年後に、80人余の僧侶を抱える大寺院の事務をとりしきることになったもの。19
Author: 写真 郭実 Year 1991 Issue 2 PDF HTML