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Your search : [ author:写真·文 張汝亮 王宝玉] Total 488 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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11. 安徽省界首市の陶器
陶器の里、安徽省界首市。河南省と安徽省の境界線上にあり、「首集」(初めて市が開かれた)の地であることから、界首と名づけられた。人口六十六万人の同市は、三彩文様陶器や「刀馬人」のかめや罐で全国的に有名だ。製品は大別すると、伝統工芸品、庭園装飾品、建築用陶器の三種類。民間版画芸術の技術を採り入れ、唐三彩の黄、褐、緑の釉色を継承し、花鳥や人物など独特の文様が刻されている。田営鎮盧窯村に住む盧山義さん。こ
Author: 写真·文 馮進 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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12. 海螺溝
中国で最大級の氷の滝が、四川省の西部、甘孜(ガンズー)チベット族自治州の瀘定(ルーディン)県にある。その土地の名を海螺溝(ハイルオゴウ)という。貢嘎山(ミニヤ·コンガ、海抜7556メートル)の東のふもと、海抜1000メートルの大渡河から海抜3000メートルのこの海螺溝に至る一帯は、氷河と原始林が交互に共生し、湯量たっぷりの温泉も出るという、すばらしい風景区だ。亜熱帯から寒帯に至る野生植物は2500
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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13. 昆明―開遠―小竜潭
昆明、石林、シーサンパンナ、大理、麗江……中国でも観光地の多いことで有名な雲南省だが、中国で最も古い狭軌の鉄道がここにあることを知る人は少ないだろう。昆河鉄道というその名の通り、省都昆明の北駅を起点とし、少数民族の住む山村を縫いながら南下、中越国境の町、河口鎮を経て、ベトナムの首都ハノイに至る。昆明に到着したその日すぐ、記者は開遠鉄路分局の馬君に案内され、午後十時五十五分昆明北駅発の三一一列車に乗
Author: 写真·文 馮進 Year 1993 Issue 6 PDF HTML
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14. 開遠と鶏街
日暮れ時になって開遠にもどって来た。開遠市は小さな町で、九〇%以上が山間部だ。二十余万の人口は三十いくつもの民族からなる。イ(彝)族、ミャオ(苗)族、回族、漢族、チワン(壮)族などが主な民族である。夕食後に夜市を見物しましょうと、開遠鉄道局の馬さんが誘ってくれた。駅につながる道をまっすぐ六、七〇〇メートルも行った所が十字路、ここを左に折れると夜市でにぎわう人民南路だ。道の両側の商店や露店は夜遅くま
Author: 写真·文 馮進 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
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15. 福建省徳化県の磁器
徳化県は福建省の省部·福州の西南、有名な港湾都市·泉州の北部に位置する。全県に十八の郷と鎮、百九十六の村があり、総面積は二千二百三十二平方キロ。総人口は二十八万四千人だが、ここ出身の海外にいる華僑、香港や澳門(マカオ)に住む同胞は十万人以上を数える。徳化県は山間部にあるが、磁器の生産が盛んなことから、江西省の景徳鎮、湖南省の醴陵と並んで「中国三大磁器の町」と呼ばれている。泉州までは、大型バスに揺ら
Author: 写真·文 馮進 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
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16. 戈姑―倮姑
芷村(しそん)にとまって、翌朝早く戈姑(かこ)駅に市を見に行った。戈姑は河口鎮から一二六キロ、戸数四十戸ばかりの山中の寒村だ。駅の後ろは山、すぐ前が深い谷。構内は長さ一キロ、幅一〇メートルもないが、ここが人の集まる絶好の場所なのだ。日曜になると、山道や線路ぞいを歩いて、あるいは汽車に乗って続々と人が集まる。二~三千人にはなるだろう。ミャオ族が大部分で、自家製の野菜や果物、刺繡を売って、肥料や服、塩
Author: 写真·文 馮進 Year 1993 Issue 8 PDF HTML
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17. 福建省竜海県の花釉陶器
福州市にある福建省工芸美術公司の展示ホールを見学した。そこで偶然、目にしたのが装飾芸術の陶器。非常にきれいで、古代陶器の模倣品や現代風のもの、造形も変化に富んでおり、釉色も実に多種多彩、観ていて時間のたつのを忘れてしまうほどだ。ホールの若い女性職員に聞いて知ったのだが、これが竜海県でこの数年つくられている花釉陶器だった。竜海県は福建省の東南部、九竜江の河口に位置している。東の美しい海浜都市·廈門(
Author: 写真·文 馮進 Year 1993 Issue 8 PDF HTML
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18. 倮姑から河口へ
翌日の朝、さわさわという溪流の音で目をさました。朝食をすませて、旅の終点、中国·ベトナム国境の町、河口に向かう準備をする。われわれは保線車で「人字橋」に行くことにした。橋げたが「人」字形に似ているこの橋は、谷の深さ二〇〇メートル、山と山の距離六七メートルの所にかけられているもので、橋の高さは九七メートルだ。全線随一の難所である。フランスの技師ポールボチン女史が設計し、一九〇七年三月に着工、翌年十二
Author: 写真·文 馮進 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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19. 阿壩(アバ)草原の人びと
8月初めの成都は、たいへんな暑さだった。だが、西北へ直線距離にして約300キロの阿壩チベット族·チャン(羌)族自治州まで来ると、そこはまさに別天地だった。高山と峡谷が入り乱れ、その高度差は1500~3000メートル。気候の垂直分布もみごとに顕著で、わずか20日間の取材旅行中に、亜熱帯、温帯(そこにも、比較的暖かいところと、比較的寒いところがあった)、寒帯の気候と万年雪の積雪地帯を体験した。たった1
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 10 PDF HTML
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20. 開封の宋菜
開封は、戦国時代の紀元前三六二年、山西にいた魏がこの地に都を移して以来、七つの王朝の都となり、それゆえに「七朝の古都」と呼ばれる。九六〇年宋(北宋)の都となってからは、長安、洛陽に替わる政治経済の中心として、大いに繁栄した。とくに宋は、この都の商業的繁栄に力を注いだ。従来の坊里制度を廃し、道路沿いに商店、料亭、茶店などを積極的に設けた。料亭は七十二軒もでき、「宋菜」と呼ばれる独自の料理が生まれた。
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 10 PDF HTML