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Your search : [ author:本誌記者 孫聰宝] Total 323 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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181. 蘆溝橋を訪ねて
今日の蘆溝橋今年の七月七日は、かつて世界を震憾させた「七·七」蘆溝橋事変の三十五周年記念日にあたる。初夏のある日、蘆溝橋を訪ねる。下車したとたんに、あたりのながめに目を奪われた。蘆溝橋は長さ二百六十メートルあまりのふるい石橋である。その橋の上を、トラックや馬車、〈東方紅〉トラクターなどがさかんに往来している。橋の下を南へ流れる永定河はすでに人びとの手で征服され、その河水は用水路をへて両岸の耕地をう
Author: 本誌記者 符洪 Year 1972 Issue 7 PDF HTML
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182. 中日友好のかけ橋
さる七月、北京のバレーボール愛好者はもとより、広はんな観衆も、日本バレーボール選手団のみごとな技術とすぐれた風格に接することができた。日本バレーボール協会の前田豊副会長を団長とする日本バレーボール選手団の一行三十七名は、七月十五日の夜、空路北京に到着した。この選手団には日本の新聞記者十名が随行した。日本の友人は、中国の土をふんだその日からいく先々で中国人民のこころからの歓迎をうけた。日本バレーボー
Author: (史勃=本誌記者) Year 1972 Issue 10 PDF HTML
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183. 大連製鋼所に見る社会主義企業のあり方
中国の東北地方の遼東半島に位する旅大市は「渤海の真珠」といわれる美しい都市である。その旅大市に、鋼管、工具鋼、ステンレス鋼などさまざまな合金鋼をつくる大連製鋼所がある。この中型工場は、毎年六百余の品種、七千余の規格の製品をおくり出すが、それには船舶用や電子計算機用のものもふくまれている。 新中国の社会主義企業として、この製鋼所はどのような特徴をもっているのだろうか。
Author: 本誌記者 周学声 Year 1973 Issue 7 PDF HTML
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184. 中国で土俵をふんだ日本相撲訪中団
グラビア参照黄河の水江戸に通じ 珠穆峰は富士山に連なるこれは、中国人民代表大会常務委員会副委員長·中日友好協会名誉会長、郭沫若氏が日本相撲訪中団に贈った題辞である。この題辞は、一衣帯水の中日両国の近隣関係をいきいきと、具体的に、簡潔に表現している。北京の四月は春たけなわだ。頤和園の玉蘭は「玉樹香りを瓢(ただよ)わせ」、東京の上野では桜が満開である。中日両国に春が訪れているこのすばらしい季節に、日本
Author: 本誌記者 曹復 Year 1973 Issue 7 PDF HTML
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185. そだつ少年水泳選手
さきごろ、全国各地の水泳選手が、北京で開催された一九七三年度春季水泳競技大会に参加した。選手たちは闘志をもやして、わりあいに良い成績をおさめた。この大会で、とくに人びとの目をひいたのは、陳錦輝、羅兆応、羅躍銘のような優秀な少年、少女の選手の出現である。これは新しいエネルギーにみちた中国水泳界の現状をしめすものである。しかし、はじめて水泳を学ぶ者にとって、困難にみちた試練はさけられない。この少年選手
Author: 本誌記者 謝民 Year 1973 Issue 8 PDF HTML
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186. 大寨に学んでピッチを上げる農業
「農業は大寨に学ぼう」というのは、毛主席が一九六四年に全国に発した偉大なよびかけである。 大寨は山西省昔陽県の大寨人民公社にぞくする生産大隊。太行山脈に位するこの貧しかった村―大寨は、協同化の道をたどるようになると、農村工作についての毛主席の一連の指示を真剣に貫徹した結果、集団経済がますます強化され、収穫高はめざましい増加をみた。大寨がたどる道は社会主義農業建設の道だ。 農業は大寨に学ぶ運動の中で
Author: 本誌記者 田潔雲 Year 1973 Issue 9 PDF HTML
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187. 黄河の旧河道にある模範生産大隊
苦難にみちた解放前の中国では、黄河は手綱を脱した野生馬のような存在だった。数千年らい、黄河はいくどとなく河道をかえた。その黄河のもとの河道が淮河以北の平野にいくつとなく荒れはてた姿をとどめているのだ。解放前、「黄河の旧河道」が話題にのぼると、砂地やアルカリ地帯、貧しく立ちおくれた村々を人びとは思い浮べたものだった。解放後は、黄河の旧河道でとれたリンゴ、ブドウ、ナシ、水密桃などを味わうにつけ、「黄河
Author: 本誌記者 朱済新 Year 1973 Issue 9 PDF HTML
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188. 山河の模様がえをはかる淠河史河杭埠河の水利工事
ザクロの花が咲き、かっこうの鳴く季節に、景色のよい安徽省西部にでかけた。雄大な淠河·史河·杭埠河の水利施設はもう数年まえから総合利用の効果をあげている。淠河·史河·杭埠河の水利施設の建設にたずさわった人びとは、大きな山をいくつもカットし、三つの大河の水を平地から山の上にひきあげて、そこに汽船をとおし、下部の広大な丘陵地帯をうるおすようにした。「山河の模様をかえる」ということばで人びとはこの工事を形
Author: 本誌記者 周学声 Year 1973 Issue 9 PDF HTML
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189. よみがえる山々
中国の経済·資源地図を開くと、東北部が緑に大きく塗られている。そこは中国の主な林区だ。黒竜江省の林地は全国の林地の三十パーセントをしめ、毎年国家におさめる木材の量は、中国における木材総生産量の四十パーセント以上にたっする。
Author: 本誌記者 秦泥 Year 1973 Issue 9 PDF HTML
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190. 友好の歴史を書きつづけよう
日本人民の深い友情と東京、京都、奈良、福岡、札幌などに住む古くからの友人、新しい友人のよき思い出をたずさえ、中日両国人民の友好事業をさらに発展させるゆるぎない信念をもって、中国出土文物展覧代表団の王冶秋団長らの一行が北京に帰ってきた。王冶秋団長、団員の宿白、史樹青、郭労為の諸氏は、故宮の中にある浴徳堂という雅致にとむ応接室で、訪日の感想を記者に語った。日本人民は二千年にわたる中国との友好往来の歴史
Author: 本誌記者 韓瀚 Year 1973 Issue 10 PDF HTML