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Your search : [ author:本誌記者 孫聰宝] Total 323 Search Results,Processed in 0.073 second(s)
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131. 「農業は大寨に学ぶ」運動がもたらしたもの
昨年はひどい自然災害が世界の各地をおそい、農作物の収穫高が激減した。中国もその例にもれず、ひどい自然災害にみまわれた。それに加えて「四人組」によるかく乱、破壊がわざわいして、農業は大きな打撃をこうむった。それにもかかわらず、中国の農業は昨年も豊作をかちとった。こうして十五年間連続の豊作が記録されるにいたったのである。ひどい自然災害にみまわれながらどうして凶作をさけることができたのか。凶作とは反対に
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 7 PDF HTML
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132. 壮麗な長江の源
グラフ参照出鼻をくじかれる昨夜の大吹雪も朝になってしずまり、空はあくまで晴れわたっていた。青く澄んだトト川に沿って南をのぞむと、そそりたつ氷峰群、変化きわまりない流れ雲が、朝焼けに映えてまばゆく輝き、ひときわ美しい。けんらんたる長江発源地の朝景色、この目を奪うばかりの風光は、大河の源をさぐろうと胸をおどらせているわれわれをさし招いているようだ。ベースキャンプから発源地の雪山へと近づくにつれて、海抜
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 7 PDF HTML
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133. 日本新制作座訪中公演
グラビア参照今年の春、新制作座の友好訪中公演団は真山美保団長に率いられて中国を訪れた。そして四月一日から五月二日まで、北京、西安、延安、南京、上海を訪問した。その間の公演回数は二十回、交歓会では計十八回舞台に立ち、のべ十一万の観客をあつめた。また各地のテレビ、ラジオを通じて百万人以上の人たちが日本の友人たちのすばらしい出しものに接した。新制作座の人びとは、民族的な伝統をふまえ、たたかいと労働の息吹
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 8 PDF HTML
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134. 通天河畔の高原牧場
グラフ参照長江の源の取材からもどるとすぐ、われわれ一行は通天河畔への旅にでた。グラダンドン雪山の氷河にその端を発する長江の源流―トト川は、三百七十五キロほど流れたところ、つまり、ナンジバロンとよばれるところでダムチュー河の流れを呑みこむ。ここから青海省の玉樹鎮(まち)付近のバータン河口にいたるまでの部分が通天河とよばれる。この河は全長八百十数キロで、上流は広々とした高原の丘陵地帯を通るが、深い峡谷
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 9 PDF HTML
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135. 「四人組」よる破壊から立ちなおった鄭州鉄道局
グラフ参照北京発の旅客列車―一五一号列車で鄭州へ向かった。華中平野に位する鄭州は、京広(北京-広州)線、隴海(蘭州-連雲港)線、焦枝(焦作-枝江)線という三大幹線のかなめの地であり、中国鉄道の「心臓」にあたる。かつて「四人組」の手によるはげしい妨害と破壊にみまわれたため、この鄭州では鉄道輸送がとどこおり、大きな損害を受けた。「四人組」が打倒されてから、この鄭州ではどんな変化が生じたか。革命と生産の
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 10 PDF HTML
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136. 長江上流の古い町―玉樹(七)
カラー参照われわれ取材班一行は、海抜三千七百メートルの玉樹(ユイシユウ)に着いた。河谷盆地にある、古い歴史を持つ長江上流の著名な町だ。青海省、西蔵(チベツト)自治区、四川省の境(さかい)にあり、中国の西南部と西北部とを結ぶ交通の要地なので、昔、商業の中心地として栄えたこともある。とはいうものの、解放前までは、青海省の省都·西寧からここへ一トンの荷を運ぶのに、五十頭のヤクをつかって五十日の日時を費や
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 10 PDF HTML
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137. 婦人船長石若儀
わたしたち中国の長江上にはじめて婦人船長が登場したことを知ったとき、同じ女性である記者のわたしは、言い知れぬ喜びと誇りを感じた。解放前の中国では、女性は船のブリッジにあがることも許されなかったし、「女が舵をとれば、必ず遭難する」とさえいわれていた。半封建、半植民地の旧中国は主権を失い帝国主義諸国から屈辱をうけていたので、長江は中国の河川であるにもかかわらず、中国人の船長は男であっても稀にしかおらず
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 10 PDF HTML
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138. 北京国際サッカー友好招待試合
中華人民共和国サッカー協会主催の一九七七年北京国際サッカー友好招待試合は、ことしの七月十七日から三十一日にかけて開催された。朝鮮民主主義人民共和国、エチオピア、ギニア、香港、イラン、日本、メキシコ、モロッコ、ザイール、中国の十の国と地域の十二チーム、二百六十数人の選手がこれに参加した。これは華国鋒主席をはじめとする中国共産党中央が「四人組」反党グループを粉砕してから、最初の、かなりの規模の国際的な
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 11 PDF HTML
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139. 金沙江流域の林業区
カラー参照逆巻く金沙江の流れ長江は上流の、青海省玉樹鎮(ユイスウゼン)から四川省宜賓(イービン)市までの区間が金沙江とよばれ、その全長は二千三百八キロである。この金沙江は玉樹からは東南へと向きをかえ、手綱をとかれた荒馬のように、すさまじい勢いで駆け下る。南北に走る横断山脈に至ると、青海·チベット高原に源を発する瀾滄江、怒江と肩を並べるようにして、中甸雪山、雲嶺、怒山、高黎貢(ガオリーゴン)山の四つ
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 11 PDF HTML
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140. 毛主席記念堂を拝して
九月九日、この日は中国人民の胸に永遠に刻みこまれるであろう。それは、中国人民を救った巨星毛主席の永眠した日だからである。一九七七年九月九日、偉大な指導者であり教師である毛主席の逝去一周年および毛主席記念堂落成の記念集会が、中国共産党中央委員会、全国人民代表大会常務委員会、国務院、中央軍事委員会の主催で、毛主席記念堂の正門前でおごそかに開かれた。英明な指導者華主席がこの集会に出席し、重要演説をおこな
Author: 本誌記者 Year 1977 Issue 12 PDF HTML