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Your search : [ author:呂達] Total 5 Search Results,Processed in 0.098 second(s)
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1. 大連港での友好エピソード
中国北部に位する大連港、そこでは日本の海員の姿をよくみかける。とうぜんのことだが、かれらは中国係員や労働者と接する。そのなかで、両国人民の友誼をしめす数々のエピソードが伝えられている。階級的な兄弟日本の貨物船が大連港に入港し、荷役作業をしているときだった。ある中国の労働者が足をすべらせて海に落ちた。その場にいたいま一人の労働者は、それとみると身の危険もかえりみず仲間を救おうと海にとびこんだ。この思
Author: 呂達 Year 1972 Issue 1 PDF HTML
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2. 一漁民の娘の成長
ありふれた漁民の娘として育った文淑珍さん(三十四歳)は、解放後、毛沢東思想にはぐくまれ、漁船にのりこんで活躍し、長海県の漁船〈三·八〉号の初代船長になった。その後、一九六九年にひらかれた党の九全大会に代表として出席し、げんざい旅大市革命委員会の副主任として人民に奉仕している。孤児から婦人船長に海にでて漁にたずさわるのは、昔から男の仕事とされてきた。島に生まれ漁民の娘としてそだった文淑珍さんは、島を
Author: 呂達 Year 1972 Issue 3 PDF HTML
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3. わが家にいるのとおなじだ
日本の友人が入院するというニュースがまたたくうちに大連伝染病病院内にひろまった。病院の勤務者はすぐに受けいれ準備にあたった。院長はみずから病室の手配をした。炊事係は日本料理をつくった。医師と看護婦は診察の準備をととのえた。やがて病院は厳粛な、緊張した雰囲気につつまれていった。しばらくすると、救急車が第二科の建物の前にとまった。人びとはどっとかけよった。患者は日本の貨物船「昭安丸」の乗組員で、速川孝
Author: 呂達 Year 1973 Issue 4 PDF HTML
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4. 名古屋港でおせわになった中国の貨物船
一九七二年十二月下旬、中国の遠洋貨物船〈淮安号〉は、中国製品を満載して伊勢湾に入り、名古屋港に停泊した。中国の船員は、荷上げの時間を利用して、船体の点検·修理をおこなった。そのとき、メインエンジンのシリンダー·ジャケットの水漏れとハッチのゴム·ワッシャーがいたんでいるのを見つけた。名古屋のあるドックに修理を依頼したところ、日本の友人はこころから援助の手をさしのべてくれた。翌朝、修理用具をたずさえた
Author: 呂達 Year 1973 Issue 10 PDF HTML
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5. 一年半で完成した大連新港
遼東半島の南端にある大連港は、不凍港としてその名を知られており、昔から「北海の真珠」とたたえられてきた。七十余年の歴史をもつこの港は、その東北部に位する湾内にいまひとつの新しい港が完成したことによって、いっそう若さと活気をとりもどした。春うららかな五月、記者は、その新しいオイル埠頭を訪ねた。この新港は、中国最初の近代的オイル埠頭である。規模、水深の面では今のところこれをしのぐものはなく、技術設備も
Author: 呂達 Year 1976 Issue 9 PDF HTML