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Your search : [ author:陸傑=写真 葉樹平=文] Total 12 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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1. 人々の暮らし見つめた天后宮
蘇州河には「河南路橋」という橋がある。またの名を「天后宮橋」という。その「天后宮」は、橋の北側のたもと―河南北路3号にあり、繁華街において廃れてしまった古寺である。上海市街区には、もはや忘れられた寺院が少なくない。繁華街の中心、南京東路の「紅廟」はその昔、香火が絶えることはなかった。しかし、都会の変遷の中で、かつての痕跡が少しも見られないほどに変わってしまった。西側の法華鎮路には、かつて「法華禅寺
Author: 陸傑=写真 葉樹平=文 Year 2003 Issue 10 PDF HTML
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2. 夢架けわたす「橋の博物館」
今月号からはじまる新連載『蘇州河に生きる』では、記録写真をもとに、上海·蘇州河を舞台に繰り広げられるさまざまな物語をご紹介する。カメラマンの陸傑さんは上海人。20年以上にわたって、上海の変化を撮り続けてきた。変貌する上海が、レンズを通して明かされるのだ。(編集部)上海の外灘(バンド)に立つと、美しい河(江と河)の流れが目に入るだろう。江とは黄浦江を指し、河とは蘇州河を指している。地図から見ると、そ
Author: 陸傑=写真 呉鈞=文 Year 2003 Issue 1 PDF HTML
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3. 時代を映す倉庫たち
上海の中心部をくねくねと流れる蘇州河は、かつて水陸交通と貿易·商業をむすんだ黄金の水路であった。河沿いには古びた倉庫が多く、その歴史的考証も難しくなっている。わかっているのは、ここに埠頭ができてから、貨物の物流倉庫が置かれたということ。1930年代、市の中心部にあたる蘇州河下流には、長さ5キロにも満たない河岸に、100あまりの倉庫が密集していたという。西蔵路橋北岸に並ぶ四列の倉庫は、かつて旧中国銀
Author: 陸傑=写真 呉鈞=文 Year 2003 Issue 2 PDF HTML
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4. 土砂運ぶ水上の暮らし
粗末な小屋を持つ鋼鉄製のはしけ船が10数艘(そう)、蘇州河の河面を走っていた。高さ468メートルの東方明珠テレビタワーから見下ろすと、1艘1艘がアリかイナゴのように、ひたすら河を進んでいくのだ。それらはあまりにも小さくて、風景画においては、ただの点を思わせた。船首に現れる白い波しぶきだけが、その進行方向をハッキリと示していた。多くの人の眼には、それらは船として映るだけだろう。しかし、だれが知るだろ
Author: 陸傑=写真 呉鈞=文 Year 2003 Issue 4 PDF HTML
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5. 障害のりこえ助け合う夫婦の手
上海の蘇州河のほとりに暮らすふつうの人々―。彼らは、まさに改造中か、あるいは取り壊しと移築を待つ古い里弄(リーロン)(横町)と、その古い家々に住んでいる。蘇州河両岸の変化を見ながら、自分も平凡で真実のつまったストーリーを演じている。ここでは、あるふつうでありながらも独特なカップルについて、ご紹介しよう。四台の事務机庫海洋さんと王麗さんの家は、上海市江蘇路のアパート一階にある小さな二間だ。夫婦はとも
Author: 陸傑=写真 唐寧=文 Year 2003 Issue 8 PDF HTML
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6. 人も街も引っ越しで生まれ変わる
陳さんは、上海にある運送会社のベテラン従業員である。5年前に、会社に請われて上海へとやってきた。いまや引っ越し担当チームのリーダーである。「ぼく一人だけでも、年に少なくとも千戸の引っ越しを担当します。ぼくは上海人の暮らしの変化を、一番よく知っていますよ」劉おばさんは、陳さんのいる運送会社の利用客である。それまでは上海の「両湾一宅」(潭子湾、潘家湾、王家宅)という、人口が密集した窪地にあり、住宅もい
Author: 陸傑=写真 呉鈞=文 Year 2003 Issue 11 PDF HTML
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7. 変化をとげる下町の石庫門建築
石庫門(枠を石で築いた表門)様式の民家は、上海の一大景観であり、この都市の建築文化の重要な構成部分でもある。起源は一八五三年、「小刀会」という組織の武装蜂起と、一八六〇年の洪秀全率いる農民一揆の「太平軍」の上海進入後にさかのぼる。当時、多くの外国人や上海周辺の豪商、役人たちが戦乱を避けるため、上海の一角に逃れて避難所を建設した。戦乱の終息後、それは徐々に繁栄し、多くの人々がやってきては定住し、店を
Author: 陸傑=写真 劉群=文 Year 2003 Issue 12 PDF HTML
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8. 消え去った横町の湯沸かしかまど
20世紀末に生まれた上海人には、「老虎竈(ラオフーザオ)」(大きい湯沸かしかまど)が一体どんなものか、わからないだろう。しかし、いい年をした大人にとっては、それは暮らしには欠かせない「つれあい」だった。現代っ子からすれば、古ぼけた粗末なものに見えるだろう。しかし、かつては上海の大通りや横町(弄堂(ロンタン))の至るところに普及していた。4、5歩も歩けば、お目にかかったほどである。そして、今ではみな
Author: 陸傑=写真 程乃珊=文 Year 2003 Issue 5 PDF HTML
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9. さようなら給水ポイント
上海の公共給水ポイントは、新中国の成立初期につくられてから半世紀もの歴史をきざんだ。その盛衰のうつりかわりは、上海の都市建設のあしどりをある側面から記録した。五十年前、新中国が成立したばかりのころ、上海のインフラ施設は、ずいぶんと立ち遅れていた。当時上海には、楊樹浦や閘北、南市、浦東などの地に浄水場があったものの、給水量には制限があり、その施設も不足していた。百万あまりの市民たちに、水道水が行き渡
Author: 陸傑=写真 鄭小明=文 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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10. 老飯店(クラシックホテル)で味わういにしえの大上海
よく保存されたクラシックホテル(老飯店)がこれほど多いのは、おそらく上海だけだろう。納得のいく価格で、憧れの古いホテルに宿泊できるのは、おそらく上海だけだろう。歳月と歴史に刻み込まれた文化の景色は、表面からはうかがい知れず、仔細に味わう必要がある。その深い味わいは、古いホテルの階段の曲がり角にあるかも知れず、ランプの上にあるかも知れない……。浦江飯店 セピア色の豪華な面影上海でタクシーを呼び、「浦
Author: 陸傑=写真 陳序 朱慧=文 Year 2003 Issue 7 PDF HTML