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Your search : [ author:陳肇莘] Total 15 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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1. 北京にお目見得した結婚紹介所
先週末、北京市労働人民文化宮で、ちょっと変わったパーティがあった。北京市朝陽区結婚紹介所が、若い人たちに交際の機会を提供し、理想の伴侶をさがせるようにと、開催したものだ。きっかけ作り六時ごろになると、きちんとした身なりの若い人たちが、つぎつぎとやって来た。早く来たのはほとんど男性で、娘たちはなかなかやってこない。係の人にきくと、今晩の出席者約八〇〇人は、みな朝陽区結婚紹介所に登録している人たちで、
Author: 陳肇莘 Year 1981 Issue 8 PDF HTML
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2. 新しく出来た化学工業都市金山衛
上海市から七五キロのところに金山衛という町がある。上海市のいわゆる衛星都市だが、最近、長らく大都会に住みなれた上海人で、この新しい海辺の町に魅力を感じ、一家をあげて移り住む人がふえている。この、海岸の砂地に建設された新しい町には、現在すでに六万人あまりが住んでいるが、八万人に達する日もそう遠くなさそうだ。長期計画では、人口三〇万を擁する衛星都市に発展させることになっている。一億人の化繊をまかなう上
Author: 陳肇莘 Year 1982 Issue 2 PDF HTML
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3. 東南沿海の“榕城”に新しい息吹
繁茂する榕樹の都榕樹(ガジュマル)は、常緑の喬木で、樹冠が高くて広く、日よけに最適。九百年前、ある太守が、住民たちに榕樹をたくさん植えさせた。おかげでこの亜熱帯の都市は「緑蔭満城」になった。この昔、たくさんの榕樹を植えたところがすなわち今日の福州市である。そのため福州市は榕城とも呼ばれる。今でも気根の多く垂れている千年榕樹が随所に見られる。福州市内には、于山、屏山、烏山の三山が鼎立しているので、ま
Author: 陳肇莘 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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4. 伝説にとむ崂山
青島に着いてまもなく崂山(ラオサン)に向かった。それはちょうど、山東を遊覧すれば必ず泰山を目指すのに似ている。ミネラルウォーターで内外に広く知られた崂山。青島ビールが内外市場で特別な競争力をもつのもこの崂山鉱水のおかげが大きい。市内から東北へ車で三〇キロ行くと崂山のふもとに着く。海抜一一三三メートルの崂山の雄姿が黄海の浜にそびえている。三面は海に囲まれ、ふもとのすぐそばまで海が迫っている。崂山は海
Author: 陳肇莘 Year 1986 Issue 3 PDF HTML
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5. 煙台市に見る住宅制度改革
兪正声氏は、人口三十万を擁する煙台市の市長である。市政府は、兪さんの職務にもとづいて、使用面積九〇·九五平方メートルの住宅を配分した。夫婦二人。中国では、ゆったりとした居住空間だといえる。旧来の住宅制度による家賃は、月に七·二八元。収入の約二%を占めるだけだ。ところが、昨年八月一日から、煙台市では住宅制度の改革が実行に移されたため、兪市長は、月に四一·九二元の家賃を支払わなければならなくなった。新
Author: 陳肇莘 Year 1988 Issue 2 PDF HTML
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6. 有価証券取引所瀋陽の試み
「資金商品化」の一手段一昨年夏、正確には一九八六年八月五日、瀋陽市に「有価証券取引所」が出現したというニュースが内外をおどろかせた。いらい一年半あまり、上海、武漢など十二都市にも次次と設けられ、それぞれ順調な発展を遂げている。この組織は、中国語では〈有価証券交易市場〉といい、訳せば「有価証券取引所」となるが、もちろん資本主義国のそれとはかなりちがい、株式の「立ち会い取り引き」などがあるわけではない
Author: 陳肇莘 Year 1988 Issue 3 PDF HTML
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7. 個人経営のデパート梧州市の景行商場
中国ですすめられている経済体制改革の中で、私営企業が再び出現した。一九五〇年代の中ごろ、あまりにも急な速度で私営の商工業に対する社会主義的改革がおこなわれ、さらにその後の極左路線、とりわけ「プロ文革」の十年にわたる動乱の中で、私営の企業はすっかり姿を消してしまった。やがて社会主義の初級段階に至って公有制のみの単一経済は生産の発展、大衆生活の面でマイナスをもたらすことが実証されたのである。対外開放と
Author: 陳肇莘 Year 1988 Issue 9 PDF HTML
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8. 広西チワン族自治区の旅
北京駅から特別急行列車に乗って南下すること三十一時間、広西チワン族自治区の旅の出発点―桂林に着いた。「山水、天下に甲たり」と称えられる世界的な観光地だ。長旅の疲れも忘れて、わたしの胸ははずんでいた。一九三〇年代末、まだ少女だったわたしは、父母に連れられて、ここ桂林に“疎開”したのだった。かすかに記憶に残る“思い出”の街。ああ、あれからもう五十年近い歳月が流れている。桂林をもう一度訪ねてみたいという
Author: 陳肇莘 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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9. 労働力の合理的再編成
本誌編集部の老李(ラオリー)の奥さんは、北京第二自動車製造工場で働いている。この工場は福利面の待遇がいいというので、同僚のわれわれはいつも羨ましがっていた。ところが昨年の初め、老李の突然の話に驚いた。奥さんは、年をとって競争力が弱いので、人減らしの対象になった、すでに工場の余剰人員に組み入れられ、臨時に工場の労働服務公司へ配転になり、月給もぐっと下がった、というのだ。このことに驚いたのは老李の家族
Author: 本誌 陳肇莘 Year 1989 Issue 1 PDF HTML
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10. 国営企業に労働契約制導入 北京マイクロモーター工場
労働制度の改革は、中国の企業界ではすでに広く行われている。本誌一月号では、北京第二自動車製造工場の労働力の合理的再編成について紹介した。さらに新しく、全従業員の労働契約制ができ、北京マイクロモーター工場で実施されている。工場長から一般の労働者まで、千六百三十五名の従業員が全部工場と労働契約を結んで、契約従業員になっているのである。労働制度の改革さらに一歩北京マイクロモーター工場は、機械電気業界では
Author: 本誌·陳肇莘 Year 1989 Issue 6 PDF HTML