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Your search : [ author:陳昌奉 え·董辰生] Total 69 Search Results,Processed in 0.122 second(s)
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1. 毛主窟にしたがって長征
長征の第一歩一九三四年の初夏、主席は沙洲壩で財政経済会議を召集したのち、当時中央ソビエト区の生産模範区だった瑞金県の武陽鎮へ農村調査にでむかれた。そして、武陽鎮からさらに広東·江西省委員会の所在地会昌県へまわり、会昌にしばらく滞在してから雩都にでられた。八月になって雩都から、宿営地であった瑞金付近の高鼻碯にもどってきた。この数ヵ月間は、ゆく先ざきで地元の責任ある幹部の会議をひらいたり、村の調査をし
Author: 陳昌奉 え·董辰生 Year 1971 Issue 8 PDF HTML
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2. 毛主席にしたがって長征
烏江のほとりでむかえた正月中央赤軍が貴州の黄平県についたのは、ちょうど一九三四年のくれのことである。部隊は黄平県からほどちかい猴場で正月をむかえることになった。猴場はにぎやかないなか町だった。瑞金を出発してからずっと見てきた町のうちでも、かなり大きいほうである。ここにつくと、主席は会議のためまっすぐ軍事委員会へゆかれた。われわれ護衛班の数名がきめた仕事の分担で最初の当番になったわたしと曽君は、主席
Author: 陳昌奉 え·董辰生 Year 1971 Issue 9 PDF HTML
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3. 毛主席にしたがって長征
安順場から濾定橋へ彝(イル)族の住む山区をとおり、五十キロか百キロほど行軍して、われわれは主席にしたがい、大渡河のほとりの安順場についた。そこからさらに大渡河のほとりをさかのぼっていった。磨西面とかいういなか町をとおって濾定橋までゆき、そこで大渡河をわたるということだった。このあたりは山また山で、さまざまな草や灌木におおわれていた。山はのぼるほどにけわしさをまし、雑草や樹木も密生している。だからと
Author: 陳昌奉え·董辰生 Year 1971 Issue 10 PDF HTML
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4. 毛主席にしたがって長征
雪山と大湿原で大渡河をわたってから、われわれは群山のなかを行軍した。夾金山のふもとについたのは六月に入ってからである。夾金山はとてつもなく大きな雪山であった。日はまだしずんではいないのに、まっ白い氷にとざされたこの山を前にしては、日光もその熱を失ってしまうのだ。われわれはみなこごえて、ふるえがとまらなかった。われわれはこの山のふもとに宿営した。主席は山のきびしい寒さにそなえて、ショウガや唐ガラシな
Author: 陳昌奉え·董辰生 Year 1971 Issue 11 PDF HTML
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5. 毛主席にしたがって長征
六盤山の上で九月中旬のある夕方、われわれは臘子口にほどちかい村についた。わたしは主席に休んでもらうため寝床をしつらえた。もうひとつの部屋へいってみると、主席が何人かの責任者と話しておられた。机の上にはいっぱいに地図がひろげてあった。臘子口というところは、甘粛省と四川省のさかいにある「天険の門戸」で、ここから陝西省北部(陝北)へゆくわれわれにとっては、かなり重要な関所だということだった。主席は責任者
Author: 陳昌奉 え·董辰生 Year 1971 Issue 12 PDF HTML
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6. 毛主席にしたがって長征
主席の配慮で赤軍大学へ陝西省北部についてからは、環境も落ちついた。一九三六年春のある日、赤軍大学の政治部主任が主席のところにきて、赤軍大学の学生募集のことについて話した。話のとちゅうで、主席はわたしのほうをちらと見て、しばらくかんがえておられたが、やがて、「この総司令部には、長征の試練をへた古参兵で、すぐれた同志たちがいるのだが、かれらをきみの学校へいれてくれないかね」主任はしきりにうなずいて、「
Author: 陳昌奉 え·董辰生 Year 1972 Issue 1 PDF HTML
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7. 道標(上)
臨津江(イムシンガン)突破作戦―三十八度線上ですすめられたこの戦闘のさなかに、こんなことがあつた。それはまことに壮烈な出来事であつた。中国人民志願軍の突撃部隊が嵐のように江面をわたり、敵の陣地を突破してさらに前進しはじめた頃、連隊指揮部もすぐその後からつづいて前進した。その時、前方ではげしい銃声がとどろき、アメリカの砲弾が江面に火柱のようにふりそそぎ、夜間戦闘機も綠色の翼燈をひらめかせながらあわて
Author: 劉白羽 え 董辰生 Year 1960 Issue 10 PDF HTML
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8. 道標(下)
話はあとに戾るが、臨津江(イムジンガン)―三十八度線突破の任務がこの連隊におりて来た時、同志たちはひどく興奮したものだつた。読者の皆さんも、目をつぶつて思い出していただきたい―あの頃、全世界の人びとの目は、朝鮮のこの戦線にあつまつていた。われわれが敵の陣地を突破できるかどうか、この一点に全世界の目はそそがれていたわけだ。とすれば、当時朝鮮前線で戦つていた戦士たちが、この全世界をゆるがす戦闘任務をど
Author: 劉白羽 え·董辰生 Year 1960 Issue 11 PDF HTML
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9. 欧陽海の歌 〈第12回〉
問題はどこにあるのか?外出時間のきれる前に中隊に帰った欧陽海は、帰営の報告をすますと、本をもったまま中隊本部の会議に出席した。季節からいうと、茶油の木の実が落ちつくす頃である。その実を水利工事におわれて後山人民公社ではひろうひまがないという話から、中隊では、”軽騎隊”を編成してこの任務をひきうけることにした。国家の財産を山でくさらせることはできないし、人民をたすけて労働するのは、人民解放軍のはたす
Author: 金敬邁 え·董辰生 Year 1967 Issue 5 PDF HTML
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10. 欧陽海の歌〈第13回〉
みなもと欧陽海は服のままで寝床に横たわったが、まもなく起きあがった。同志たちが起床したころには、もう朝食の支度がととのっていたし、昼のべんとうにも烙餅が一人に二枚ずつ焼いてあった。同志たちはいそいで食事をすますと、麻袋を手に出発した。「小魏、ゆうべ約束した“二十五キロ”を忘れるなよ!」欧陽海が念をおした。「大丈夫、忘れませんよ!」その声からすると、魏武躍はもう十数歩遠ざかっているようだった。高翼中
Author: 金敬邁 え·董辰生 Year 1967 Issue 6 PDF HTML