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え·董辰生] Total 81 Search Results,Processed in 0.090 second(s)
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1. 長沙の大火 (一)
解説いまは亡き郭沫若氏の回想録『洪波曲』の一章「長沙の大火」を三回に分けて掲載する。『洪波曲』は、一九四八年、すなわち全国解放の前夜、香港の寓居で執筆された作品である。その内容は、抗日戦争の初期における国民党支配地区での回想で、一九三七年の上海、南京失陥につづく武漢の防衛から放棄までの期間中に、氏の体験したことが記されている。筆者は序文で、「これは個人の思い出で、抗日戦争時期を全面的に反映したもの
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 10 PDF HTML
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2. 長沙の大火(二)
解説郭沫若同志をしのんで、抗日戦争中の回想録『洪波曲』の一部を掲載する。一九三七年、日本軍の全面的な侵略に対し、「国共合作」が成立した。「国民政府」の首都には連絡のため八路軍弁事処(事務所)がおかれ、延安から周恩来同志らが飛来した。また、軍事委員会政治部が設けられ、部長に陳誠(国民党)、副部長に周恩来同志が就任した。その下に四つの庁がおかれ、宣伝担当の第三庁は郭沫若同志が長となった。日本軍の侵略は
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 11 PDF HTML
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3. 長沙の大火(三)
解説これは抗日戦争中、国民党支配区の状況を記した郭沫若同志の回想録『洪波曲』の一節である。日本帝国主義者の侵略に対し「国共合作」が成立し、蔣介石のひきいる「国民党政府」の首都には連絡のため八路軍弁事処(事務所)がおかれ、延安から周恩来同志らが飛来した。また軍事委員会政治部が設けられ、部長に陳誠(国民党)、副部長に周恩来同志が就任した。その下に四つの庁がおかれ、宣伝担当の第三庁は郭沫若同志が長となっ
Author: 郭沫若 え·董辰生 Year 1978 Issue 12 PDF HTML
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4. 道標(上)
臨津江(イムシンガン)突破作戦―三十八度線上ですすめられたこの戦闘のさなかに、こんなことがあつた。それはまことに壮烈な出来事であつた。中国人民志願軍の突撃部隊が嵐のように江面をわたり、敵の陣地を突破してさらに前進しはじめた頃、連隊指揮部もすぐその後からつづいて前進した。その時、前方ではげしい銃声がとどろき、アメリカの砲弾が江面に火柱のようにふりそそぎ、夜間戦闘機も綠色の翼燈をひらめかせながらあわて
Author: 劉白羽 え 董辰生 Year 1960 Issue 10 PDF HTML
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5. 道標(下)
話はあとに戾るが、臨津江(イムジンガン)―三十八度線突破の任務がこの連隊におりて来た時、同志たちはひどく興奮したものだつた。読者の皆さんも、目をつぶつて思い出していただきたい―あの頃、全世界の人びとの目は、朝鮮のこの戦線にあつまつていた。われわれが敵の陣地を突破できるかどうか、この一点に全世界の目はそそがれていたわけだ。とすれば、当時朝鮮前線で戦つていた戦士たちが、この全世界をゆるがす戦闘任務をど
Author: 劉白羽 え·董辰生 Year 1960 Issue 11 PDF HTML
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6. 欧陽海の歌 〈第12回〉
問題はどこにあるのか?外出時間のきれる前に中隊に帰った欧陽海は、帰営の報告をすますと、本をもったまま中隊本部の会議に出席した。季節からいうと、茶油の木の実が落ちつくす頃である。その実を水利工事におわれて後山人民公社ではひろうひまがないという話から、中隊では、”軽騎隊”を編成してこの任務をひきうけることにした。国家の財産を山でくさらせることはできないし、人民をたすけて労働するのは、人民解放軍のはたす
Author: 金敬邁 え·董辰生 Year 1967 Issue 5 PDF HTML
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7. 欧陽海の歌〈第13回〉
みなもと欧陽海は服のままで寝床に横たわったが、まもなく起きあがった。同志たちが起床したころには、もう朝食の支度がととのっていたし、昼のべんとうにも烙餅が一人に二枚ずつ焼いてあった。同志たちはいそいで食事をすますと、麻袋を手に出発した。「小魏、ゆうべ約束した“二十五キロ”を忘れるなよ!」欧陽海が念をおした。「大丈夫、忘れませんよ!」その声からすると、魏武躍はもう十数歩遠ざかっているようだった。高翼中
Author: 金敬邁 え·董辰生 Year 1967 Issue 6 PDF HTML
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8. 欧陽海の歌
「隊長!」高翼中は興奮のあまり立ちあがった。「茶油の実はあなたがひろったのですから、今日の“一番”は、もらうわけにはいきません」「なぜだ?きみもひろったはずだろう」「ぼくにはその資格が……」「誰がひろってもおなじだ!」欧陽海はいそいであとをつづけた。「あした、たくさんひろえば埋めあわせがつくじやないか?それに、きみとぼくとは“相互援助”の関係にある。ぼくだってきみが『愚公、山を移す』『ベチューンを
Author: 金敬邁 え·董辰生 Year 1967 Issue 7 PDF HTML
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9. 欧陽海の歌〈第15回〉
野草公社党委員会書記の周虎山は、生産大隊の幹部たちと生産をもりあげて秋の豊作をかちとる方策を検討していた。そこへ欧陽海が大汗をかいてかけこんできた。「周書記!……ここにおられたのですか!」周虎山は急いで席を立ち、欧陽海の手をにぎりしめた。「よく帰ってきたな!きのうは、きみが去ったあとで一足ちがいに帰ってきたのだが。置き手紙は、読んだよ。今日は日でりに抗して田植えをいそぐことを相談しにきたので、会議
Author: 金敬邁え·董辰生 Year 1967 Issue 8 PDF HTML
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10. 欧陽海の歌
「ぼくの名は解放軍」大隊の党支部書記の司会で、鳳風村生産隊の貧農会は夜どおしひらかれた。欧陽嵩は自己批判をした。数名の老人と徳信じいさんが欧陽嵩にするどい批判をくわえた。そのあと、欧陽海が時事問題について話した。帝国主義と各国の反動派がいかにわれわれを敵視しているかから説きおこして、国内で自力更生の方針をとるようになってからのすばらしい情勢にまで話をもっていった。聞き手の熱心さにつりこまれてつい時
Author: 金敬邁 え·董辰生 Year 1967 Issue 9 PDF HTML