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Your search : [ author:趙華] Total 4 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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1. 湘江で活躍する女子船隊
一九七七年のことである。湘江が洪水で増水したため、輸送船隊はすでに数日も港内に避難停船していた。そんな時とつぜん、危険物積載をしめす黄色い小旗を立てた船隊が江上にあらわれ、風波をのり切って進んで行った。いったいどこからきた船隊なのだろう?―堤防に立っていた人たちは、驚きと心配の気持ちで見やった。これはあの、全国でも誉れの高い湖南省衡陽市航運公司の女子船隊だったのである。いきさつはこうなのだ。―輸送
Author: 趙華 Year 1978 Issue 12 PDF HTML
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2. ファッションをささえる上海の紡織産業
三月の上海はまだ肌寒いが、盛り場の淮海路や南京路には、もう春の息吹がただよっていた。行き交う人びとは、昨年流行したダウンウェアやウールのオーバーなど冬の衣服を脱ぎすて、春の装いに替えていた。服装店のショーウインドーには、ざん新な春のファッションが並べられている。伝統的な中山服にかわり、いろんなスタイルの洋服がある。宇宙服スタイルやフェンシングスタイル、はては幻想的なものなど若者向きのものもあれば、
Author: 趙華 Year 1984 Issue 7 PDF HTML
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3. 煙台 よみがえる山東半島の“仙境”
秦の始皇帝巡行の地煙台市は昔、芝罘(ズフ)と呼ばれていた。史書によると、今から二千二百年ほど前、中国を最初に統一した秦の始皇帝は、三度も東部海域を巡行し、途中、芝罘島にも上陸したことがあるという。この島は、現在の煙台市街区から十キロ余はなれた半島で、芝罘島と呼ばれている。いまでもこの島には秦の始皇帝がサメを射ち止めた射魚台と彼の勅封した陽主廟がまだ残っている。紀元一六世紀の明代になると、地元人民は
Author: 趙華 Year 1986 Issue 2 PDF HTML
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4. 南通 長江デルタの要港
南通へ取材に行くのは、今度で二回目だ。一回目は一九七七年だった。当時の南通はあまり名を知られていなかったが、対外開放政策の実施以来、急速に有名になった。八年ぶりに再び南通を訪れ、目に入ったものはすっかり変わっていた。“水の都”に咲く花々南通市は長江河口を隔てて、はるかに上海と向かい合っている。上海までは船で六時間、毎日それぞれ南通、上海から貨客船五便が出航している。船が接岸すると、私はすぐ陸に上が
Author: 趙華 Year 1986 Issue 9 PDF HTML