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Your search : [ author:蔵鋒] Total 5 Search Results,Processed in 0.070 second(s)
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1. 清初·銭南園、成親王永瑆の書
清朝初期の書風は、当初、明の董其昌、のちに元の趙孟頫(ちようもうふ)の影響が大きかった。当時、「館閣体」が優勢で王侯貴族や士大夫はもとより、小官吏や学生まで、その枠から脱する者はいなかった。康熙帝は董其昌を尊び、乾隆帝は趙孟頫を尊重したので、世の書風も皇帝の好みに支配されていたわけだが、やがてそれにも衰微の兆候が現われはじめた。ここにいたって唐の顔真卿の書体を専攻する銭南園が、異色の旗頭として急上
Author: 蔵鋒 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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2. 明·王寵の書
世人が明の書家を論ずる時、文徴明、祝允明のつぎにはまず王寵の名を挙げる。王寵(一四九四~一五三三)、字(あざな)は履仁、のち履吉と改め、雅宜山人と号した。呉県(現在の蘇州)の人である。少時、蔡羽に書を学ぶが、のち晋·唐をさぐり、主として王献之、虞世南の書を学んだ。小楷に秀れ、行草にも得意の才能を示した書家だが、四十歳の若さで没した。王寵の楷書は、晋人の遺風をかなり残している。「陳子齢を会試に送る三
Author: 蔵鋒 Year 1983 Issue 2 PDF HTML
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3. 元·楊維楨の書
元代に楊宏という人がいて、鉄崖山の山中に自分の息子のために書斎楼を建てた。周囲には梅の木を百株ばかり植え、二階には数万巻の書物を集めた。それから梯子を外して息子がおりられないようにしてしまった。食べ物などはろくろを使って二階に上げてやり、五年の間、こうして山中で学問に専心させた。その結果、息子は経書、史書、百家の学に通じた広く深い学識の士となった。それが楊維禎である。楊維禎(一二九六~一三七〇)は
Author: 蔵鋒 Year 1983 Issue 8 PDF HTML
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4. 李瑞清の楷書の対聯
グラフ〈書道鑑賞〉もどうぞこのほど、友人から、所蔵の瑞清が書いた七言対聯(ついれん)を見せられた。上聯(右側)は「為稽管楽当年跡」、下聯(左側)は「尽攬幽斉一帯山」である。書の好きな読者は、今月号のグラフを見て、これは蘭亭(らんてい)からの書ではないかと思われるだろう。そのとおりで、作者が署名のところに書いたように、これは「定武稧帖から集字した」のを書いたものである。稧帖は禊帖ともいい、すなわち蘭
Author: 蔵鋒 Year 1985 Issue 5 PDF HTML
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5. 宋·李綱の楷書
古人いわく「唐人は“法”を貴び、宋人は“意”を貴ぶ」と。宋代の書道は唐の硬直化した。法”の枠を突き破って個人の感情の自由な発露を強調する方向へ向かった。これは、わが国書道の発展史における歴史的な進歩と言えよう。中国の思想文化史において、宋は変革精神に富んだ時代であった。哲学思想が盛んになり、文学の面では宋詞が唐詩に取って代わり、絵画の面においては文人画が次第に主流となって深い影響を与えるようになっ
Author: 蔵鋒 Year 1986 Issue 7 PDF HTML