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Your search : [ author:熱雨] Total 11 Search Results,Processed in 0.125 second(s)
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1. 中日両国人民の友好物語
北京の西郊外の風致区に「紫竹院」という名の公園がある。六年まえの中日青年友好大交歓のとき、「友誼の林」という松林がつくられたのはここだ。いらい春夏秋冬、風の日も雨の日も、霜がおりても雪がつもっても、松林はつねにみどりをたたえてすくすくと育ってきた。この公園に遊び、寒さにも暑さにもめげずたくましくのびる松の姿をみるたびに、中日両国人民の団結·戦闘の友情がおもいおこされるのである。中国と日本とはひろい
Author: 熱雨 Year 1971 Issue 5 PDF HTML
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2. みんなで守る交通安全
北京の交通概況北京市の交通案内を見ると、バスとトロリーバスのコースが縦横に走り、工場、政府機関、学校、商店、劇場、映画館、公園、労働者·職員の住宅区、郊外の人民公社などを結びつけているのがよくわかる。このバスとトロリーバスのコースは二百以上もあり、のべ七千六百キロをこえる。道路はというと、天安門広場を中心地に七千本をこえる大小の道路が四方八方へのびている。市内(郊外区をのぞく)の人口は四百万あまり
Author: 熱雨 Year 1976 Issue 8 PDF HTML
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3. 中国対外貿易の現状
新中国が成立して以後、国民経済の発展と対外関係の拡大にしたがって、対外貿易事業も大きな発展を見せた。とくにここ数年、社会主義的現代化をめざした建設計画の実施によって、対外貿易はよりいっそうの活況を呈している。現在、中国は、すでに一七〇余の国家·地区と貿易関係を結び、八〇以上の国家·地区と貿易協定を結ぶか貿易議定書に調印している。一九七八年度の輸出入貿易総額は新中国成立当初の一九五〇年の一八倍に達し
Author: 熱雨 Year 1979 Issue 12 PDF HTML
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4. 中国軽工業の現状
初めて北京を訪れる人たちは軒並みの古代建築、宮殿とその前をはしる自転車の流れに深い印象を受けるだろう。北京の人口は現在約八〇〇万、自転車台数は三〇〇万台をこえたそうである。自転車は市民の「足」である。一昨年の一九七八年だけでも中国は八五四万台の自転車をつくった。現在、一日の生産量は平均約二万一〇〇〇台、半日分がちょうど一九四九年当時の年産量に匹敵する。これは中国の消費財の生産がめざましい発展をとげ
Author: 熱雨 Year 1980 Issue 2 PDF HTML
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5. 先進的な技術水準に達するまで
夏がおわりにちかづくと、北京の空はすみわたる。えんじゅの花が咲き競い、そのかおりはあたりにただよう。ここは西城区内のへんぴな横町。その横町が、朝はやくから夕方まで、人通りのたえないところにかわった。人びとはえんじゅの花見にくるのではない。電子工業界に花ひらかせた西城区第一トランジスタ製造設備工場の参観が目的なのだ。職場をまわる工場にはいるとたしかに花園に足をふみいれたような感がある。職場の壁や大字
Author: 暁黎 熱雨 Year 1970 Issue 11 PDF HTML
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6. 中国の大地で農業機械は百花斉放
トラクターの走る農村。これが今日の中国農村でよく見うける風景である。解放後わずか一〇数年にして、農村の機械化はめざましい勢いですすんでいるのだ。現在の中国では南方、北方を問わず、また平野、山地を問わず、トラクターや各種の農業機械がひろく使われている。このことは、播種、耕作、取入れからこれらの農作物の加工にいたるまでの重労働が、つぎつぎと機械によって置きかえられていることを物語っている。しかもこうし
Author: 熱雨(ローユイ) Year 1965 Issue 9 PDF HTML
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7. 草原の製糖工場
バスはフホホト市の中心部をつらぬく舗装道路を、煙突の林立する新しい工業地帯へと向かう。市内を出ると、抗日戦争当時の有名な根拠地―大青山(ターチンシヤン)の南麓にひろがる田野だ。列をなして往き交うトラックや馬車……引込線の列車も甜菜を満載してたえまなくフホホト製糖工場へ向かう。製糖工場付近の空地には、アンペラやシートで被われた甜菜の山が草原の蒙古パオのように並んでいる。甜菜のいちぶは製糖工場の構内へ
Author: 熱雨(ローユイ) Year 1968 Issue 3 PDF HTML
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8. 急テンポですすむ新中国の鉄道建設
九百六十万平方キロの新中国の広大な国土では、北京を中心とする鉄道が首都と辺疆、沿海地方と内陸地方をしっかり結びつけている。 新中国が誕生してから、新線はどれぐらいふえたのか。その技術装備はどの程度か。鉄道建設面での特徴とはなにか。そうした点を明らかにするために、記者は北京から汽車で西北地区、西南地区などにゆき新線をみてまわった。 こんどの取材には二枚の地図をもっていった。まずこの二枚の地図を糸口に
Author: 本誌記者 彭熱雨 Year 1976 Issue 9 PDF HTML
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9. 革命派の労働者
二組の新切手北京(ペイチン)切手工場の新製品ケースに展示されている新機軸の美しい二組の切手は人びとをひきつけている。そのうち、九枚一組の切手には、文化大革命のさなかに、毛主席が全国の革命的な教員や学生を接見したときの感動的な光景か多色刷りであつかわれている。一〇枚一組の切手は、毛主席の名高い詩詞や語録を赤地に金で印刷したものである。この二組の切手はアート紙に印刷され、刷りあがりがひじように美しい。
Author: 彭熱雨(ポンローユイ) Year 1967 Issue 7 PDF HTML
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10. ときあかされた馬鈴薯退化のナゾ
われわれ中華民族は、自分たちの敵と最後まで血戦をする気概をもち、自力更生を基礎として失われたものを回復する決意をもち、世界の諸民族のあいだに自立する能力をもっている。 毛沢東五月の北京(ペイチン)は春もたけなわで、町じゅうが緑におおわれる。北京市内から北郊の有名な風致地区十三陵ダムに通じる道のわきの林のなかに、とくに人目をひく馬鈴薯の試験畑がある。五、六枚の葉をつけた緑の苗は、遠くから見るとまるで
Author: 彭熱雨(ポンローユイ) Year 1968 Issue 9 PDF HTML