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Your search : [ author:楊友] Total 13 Search Results,Processed in 0.081 second(s)
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1. ひらかれた藝術の寳庫
これは中囯の歷史にもかつてなかた出來事である。「馬頭琴」をかゝえて內蒙古の草原からやつて來た牧人の彈き手をはじめ、花模様を刺繍した小さなウズべつク帽をかぶつた舞い手白いいチヨコリを着た東北地区に住む朝鮮民族の農民の踊り手、西南山岳地方の山歌(注=中囯の民謡の一種)のすばらしい歌い手、それから、赤いネツカチーフをつけ海南島からはるばるやつてきた少年など十の民族を代表する三百人あまりの民間芸能人が全囯
Author: 楊友 Year 1953 Issue 1 PDF HTML
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2. 古代美術の寶庫 炳霊寺
中國西北地区の甘粛省は『画廊の省』といわれるくらい、古代美術の遺跡が多いので名を知られている。世界的に有名な燉煌の石窟もこの省の西北部にある。数百の石窟はいずれも美しい壁画や彫刻でうずまり、中國美術の遺產がきわめてゆたかなことを示している。ところが最近になつてまたも甘粛省で石窟寺―そのなかの最古の窟は一五〇〇年ほど前のものである―の大宝庫が発見された。ところは永靖県內の黄河北岸にある小積石山の山の
Author: 楊友 Year 1953 Issue 5 PDF HTML
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3. 人民代表にえらばれた貧農の主婦佟玉蘭さん
あたりは深綠の山また山。山路は登るにしたがつてしだいに嶮しくなつてくる。路にそつた果樹林のしげみには、枝もたわわに赤いさんざしの実がなつている。麓の畑には、刈りとられたばかりの高梁がいくつもの山に積みあげられている。やがて小川のほとりに出る。川のむこうの果樹林の木立ちをとおして、石造りの家並がみえる。そこはもう李屯村だ。二匹のラバが落花生を山とつんだ荷車をひいて小川を渡つてきた。わたしはその落花生
Author: 楊友 Year 1955 Issue 2 PDF HTML
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4. 五ヵ月で竣工した十三陵ダム
すでに洪水期にはいつた七月一日の午後、どつとわきあがる数十万人の歓声を浴びつつ、陳毅(ちんき)(チエン·イー)副総理が深紅のテープを切つた。社会主義的大躍進を象徵する十三陵(じゆうさんりよう)(シーサンリン)ダムがついに誕生したのだ。詩人郭沫若(かくまつじやく)(クオ·モーロー)氏は、このダムの完成をたたえて、つぎのように歌つている。流れを橫にして壁は立ち蛟龍を鎖す 百丈の高堤、氣勢雄なり すでに
Author: 楊友 Year 1958 Issue 9 PDF HTML
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5. 鉄をつくる山の村
河南(かなん)(ホーナン)省禹(う)(ユイ)縣の縣城は山の中の町だ。いぜん、この一帶の人たちは周囲の禿山からなんの御利益(こりやく)もうけず、災難ばかりうけてきた。去年、山区の人たちは党の指導のもとにさかんに水利工事をおこした。そして今年の夏の收穫期に大豊作をおさめた。麦の取入れがおわると、また大生產をはじめたが、こんどは鉄と鋼鉄である。万をこえる中国在來の旧い型の高炉が夜空の星のように山々にたち
Author: 楊友 Year 1958 Issue 12 PDF HTML
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6. 山のなかの大学
「小延安」へ河南(ホーナン)省の禹(ユイ)縣へゆく途中で、若い村娘と道連れになつた。かの女はいま話題になつている鳩山(チユウシヤン)紅專大学の学生だつた。「あなたは延安(イエンアン)へ行かれたことがありますか。わたしたちの学校は小延安といわれています。それは、わたしたちの学校が革命の熔鉱炉で、人間を鍛えあげてくれるからです」とかの女はいつた。この新しい型の大学は、まえからいちど訪ねてみたいと思つて
Author: 楊友 Year 1959 Issue 1 PDF HTML
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7. うまれかわつた曲芸
わが國でも曲芸は芝居や踊りや音楽とおなじように、民族文化のひとつであることにかわりはなく、独特の民族色をもつている。そしてこの何年かのあいだに國際的にもみとめられるようになつた。いくつかの演し物を紹介してみよう。まず『甕の芸』。二貫め以上の甕がほうりあげられ、おちてくるところをひたいやひじや指先でうけとめられ、その場でクルクルまわりだす。つぎに『竿たて』。竹竿を額の上に立て、その竿の上に二人の若者
Author: 楊友(ヤンユー) Year 1956 Issue 2 PDF HTML
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8. のびゆく靑年作家たち
新しい作家群三月のはじめ、五人の子の母親である陳桂珍(ちんけいちん)(チエン·クイチン)さんは身じたくをととのえ、黑龍江(こくりゆうこう)(ヘイロンチヤン)省の小さな町から北京へと旅立つた。十五日から三十一日まで北京でひらかれる全國靑年作家大会に出席するためだ。陳さんが書いた一幕ものの脚本『家事』は、折から北京で開催ちゆうの『全國新劇コンクール』で上演されていた。陳桂珍さんは年こそまだ二十九歳だが
Author: 楊友(ヤンユウ) Year 1956 Issue 7 PDF HTML
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9. ある小說をめぐる論爭
昨年九月の「人民文学」誌上に「組織部へ新しく來た靑年」という小說が発表された。作者の王蒙(おうもう)(ワン·モン)氏は二十二歳の靑年作家で共產党員である。この小說にたいする評價はまちまちで、賞讃の声、批判の声とともに論爭がまきおこり、各新聞·雜誌をにぎあわせた。「文芸学習」誌は、わずか四カ月の間にこの問題について論じた一三〇〇篇の投稿を受け取つた。小說の物語は二十二歳の小学校教員林震(りんしん)(
Author: 楊友(ヤンユウ) Year 1957 Issue 7 PDF HTML
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10. 銀幕上の新しい收穫
ちかごろ新作映画がつぎつぎに上映されているところからみても、映画事業のこの一、二年らいの收穫は小さくないといわねばならない。新中国の映画事業はまだ日が浅い。だがこのわずか八年の間に製作された映画には、新中国の主人公としての労働者や農民のめざましい変化が忠実に記錄されている。昨年、上海映画製作所が作つた「母親」は、プロレタリア階級の一婦人の二十数年にわたる鬪いを通じて、苦難にみちた中国革命の経過をえ
Author: 楊友(ヤンユー) Year 1957 Issue 10 PDF HTML