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ひらかれた藝術の寳庫

Year:1953 Issue:1

Column: レポート

Author: 楊友

Release Date:1953-06-01

Page: 34,35

Full Text:  

これは中囯の歷史にもかつてなかた出來事である。「馬頭琴」をかゝえて內蒙古の草原からやつて來た牧人の彈き手をはじめ、花模様を刺繍した小さなウズべつク帽をかぶつた舞い手白いいチヨコリを着た東北地区に住む朝鮮民族の農民の踊り手、西南山岳地方の山歌(注=中囯の民謡の一種)のすばらしい歌い手、それから、赤いネツカチーフをつけ海南島からはるばるやつてきた少年など十の民族を代表する三百人あまりの民間芸能人が全囯の各地から毛澤東時代の人民の首都北京にあつまり、中央人民政府文化部の主催する第一回全囯民間音楽舞踊大会に参加したのだ。大会は四月一日から十四日まで開かれたが、はじめの八月間は、演芸が日夜連続で公演された。

それは、中囯の芸能史にもめずらしい八日間であつた。ながく埋もれていた傳說のなかの宝庫が発見された時のように、目をうばう民間の音楽と舞踊が、繪卷物さながらにくりひろげらわたのだ。

こうした大会をひらくことができたのは、けつして偶然ではない。こうなるまでには、中央人民政府文化部がこれまで力をいれてきた系統的な、組織的な準備活動が大きくものをいつているのである。

今年のはじめごろ、中央人民政府文化部は、民間芸術を調査して埋もれているものをみつけだすために、中囯の有名な管楽家や舞踊家、戴愛連(タイ·アイレン)、李凌(リー·リン)、李喚之(リー·ホアンズ)など二百人ちかくの人びとを組織して、全囯各地に派遣した。彼らは、一ヵ月あまりの間に、二十六の省と二つの自治区丙の大都市はもちろん辺ぴな片田舎まで歩きまわつた。こうして彼らは幾百年、幾千年ものあいだ、人民の生活のなかに埋もれていた無数の民間芸術に接した。たとえば江西省の小さな村で、彼らは、農民たちが古代舞踊―跳儺(テアオノー)をおどるのを見た。跳儺というのは三千年まえの周時代からあつたもので、「巫女のおどり」の一種である。

また、三月上旬には全囯の二十いくつかの省、市で、地方の文化指導機關の主催のもとに民間芸術公演会がひらかれた。遼東省の公演会だけでも、五百名ちかくの芸能人があつまつた。この公演で、五十年このかたとたえていた多くの山歌や民謡がふたゝび姿をあらわした。北京市の公演会では、九つの寺院の和尚たちが、唐(六一八―九〇六)や宋(九六〇―一二七九)の時代から自分の寺につたわつている佛曲を演奏した。

こうして、こんどの民間芸能人の連合大公演会では、えりのかれた百以上の廣はんな人民から喜ぼれ愛されている素朴で健康な音楽や舞踊が晴れの舞台にのぼつたのである。人民のなかで育ち、親から子へ、子から孫へと傳えられながら発展し、ゆたかさを加えてきたこれらの芸術は、こんどの大会な機会にそれぞれすぐれた芸能人たちによつて公演され、中囯民間芸術の特徴をいかんなく発揮した。

その特徴の一つは、圧迫に反対し、暗黒な社会に抗して斗う人民の斗爭性と反抗性である。全囯の人民から愛されている獅子舞を例にとつてみよう。これは湖南省の民間芸能人のたしもので、一人の勇士が一匹の獅子と斗う舞踊である。勇士は毅然として獅子にたち向い、決死の斗いをいどむ。そして、沈着と勇敢と機智によつて、ついに獅子をしとめる。これは圧迫され、搾取されていた人びとが暴虐に抗してたたかい、ついに勝利をかちと。すがたを象徴したものである。

おなじような主題をあつかつたものに、廣東省の「英雄舞」がある。「英雄舞」というのは、水滸傳にでてくる百八人の民間英雄の物語りを舞踊化したものだ。英雄たちは細身の大刀を背に、手に棒をもつて前進しながらおどる。このなかで当時の支配者にたいする頑强な妥協のない斗爭が表現されている。また、東北地区の朝鮮民族がおどつれ剣舞もおなじように、地主に反抗する農民のいかりに満ちたはげしい斗爭心をあらわしたものである。

封建制度の圧迫にくるしめられてきた人民大衆は、反動支配者どもがたとえどんなに残忍横暴であろうと、解放の自由と幸福をかちとるための斗いは必ず勝利するというつよい確信をもちつけていた。こうした題材をとりあつかつたものは、ひじょうに多かつたが、なかでも山西省の代表が笙、海笛、ドラ、太鼓など八つの楽器をつかつて演奏した「八音会」がとくに目をひいた。「八音会」は山西省の農民にこの上なく愛されている農民たちは、「八音会」なら何回でもつけて聞きたいといつている。こんどの大会で演奏された「大勝利」という曲は最初から高い調子で、にぎやかなドラと嚠喨たるラつパの音が会場一はいにひゞきわたり、人民の軍隊が凱旋し、人々が踊りくるいながらこれを喜び迎える光景をくりひろげる。

われわれの民間芸術のもついま一つの特徴は、リアルな手法で人民のこの上もなくゆたかな活動―生活、愛情、勤労をありのまゝに、いきいきと、深く掘りさげて、芸術的に再現していることである。こんどの公演では、こうした主題のものがかなり多かつた。

東北地区の代表が出した舞踊「蝶々捕り」と湖南省の「凧あげ」はいずれも男女の愛情を表現したものた。老芸人李文清(リー·ウエンチン)は、百花らんまんと咲音ほこる春の野辺に蝶々(蝶は愛情の象徴)私とらえようとする少年の無邪気な喜びを見事に表現した。「凧あげ」では、一人の少女が庭で夙をあげながら恋人の來るのを待つている。これをおどつた六十一才の寥春山(リヤウ·チユンサン)は十八才の少女の初恋の気持をたくみに表現した。彼は旧社会で、この人民に愛されている舞踊をおどつたために、役人たちの嫉みを買い四十八日間も牢屋につながれたという話だ。

人民は自然を愛している。朝もや、夕焼、時雨、吹雪、山川、草木、怒濤のさかまく大海原、はてしない原野、こうしたものはすべて人民の心にかようのだ。湖北省と山東省の民間芸能人がいろいろな楽器なつかつて合奏した「百鳥朝鳳」という曲は、管楽器をつかつてさまざまな鳥類の鳴声をまね、百鳥の飛びかう大自然のたのしい雰囲気を表現した。

中囯人民はとくに勤勉だということで知られている。動労を心から愛する中囯人民のこのすぐれた素質は、民間芸術のなかに十分にとりいれられている。廣東省の潮州につたわつている太鼓は「投網」の曲を演奏したが、これは、漁民の勤労を楽器にたくして表現したものだ。太鼓をたゝく漁夫の邸候尚(チユウ·ホウシヤン)は五十年間この道にうちこんできた太鼓たゝの名人で、彼はどんな楽器にでも太鼓を合わせることができる。內蒙古の「タグル踊り」に牧畜の行われている地方での狩猟生活をあらわした舞踊だ。內蒙古の彈き手舎拉西(シヤラシー)が独奏した「馬頭琴」ののびやかなしらべは、きくものの胸に內蒙草原の大自然の姿をよみがえらせた。

一九四二年に、毛澤東主席の「延安文芸座談会における講話」が発表されてから、民間芸術は重要視されはじめ、またある程度の成果をおさめた。「秧歌」(ヤンコー)や「腰鼓」を形式の上でとゝのえたことなどがそれである。

だが、文化的遺產としての民間芸術の整理を、大がかりに、計画的に、系統だつておこなうことは、解放後、それも平和建設の時期に入つてはじめてできることである。旧社会では民間芸術は、支配階級からひどく軽蔑され、多くの民間芸能人は乞食となつて流浪の生涯をおくらねばならなかつた。民間芸術と民間芸能人の甦生も新しい社会になつてはじめてできることである。


馬頭琴の獨奏

馬頭琴の獨奏

こんどの大会の公演期間中に、中央人民政府文化部は、百数十人の専門の音楽家と舞踊家からなる研究部をなつくつて、これらの民間芸術を研究した。研究部は今後どのようにして民間芸術を正しく認識し、学んでゆくか、どのようにして民間芸術のなかにある迷信やおくれたものをとりのぞくか、またどのようにして古くからの民間芸術のなかゝらすぐれたものを汲みとり中囯の音楽と舞踊を充実させ発展させてゆくかを討議した

各地区各民族の民間芸能人たちも各グループに分れて、毎日お互いの演技を見物し、研究し、討論して学びあつた。時には、それぞれに關係のある芸術家を招いて座談会をひらいた。北京の専門的な芸術団体の演出を見に行つた。民間芸能人たちは、多くの民間芸術がこんご専門的な芸術家の援助をうけて芸術的に高められねばならぬこと、それによつて民間芸術を発展させ人民の文化と芸術もゆたかにしなければならぬことを痛感した。

大会は四月十四日に終つた。中囯の音楽、舞踊の発展からいつて、それは一つの新しいスタートであつた。民間芸術の宝庫をひらくカギはすでにわれわれの手ににぎられている。この巨大な宝庫のなかにひめられている数多くの、すばらしいものがこんごも続々と発見されることであろう!

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