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Your search : [ author:杜宣] Total 8 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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1. 闵行の春
立春が過ぎると、上海(シヤンハイ)の天気は日ましに暖かくなる。偶に北風が吹くことはあつても、さすがは江南だけあつてもう少しも寒さは感じられない。一昨日は朝からポカポカした、柔かな陽射しの好い天気で、頰を吹く風も春らしく和んで快かつた。もともと閔行(ミンハン)の建設の模様を見に行こうと考えていた矢先だつたから、今日こそはと跳び起きると、わたしは小さな包みをぶらさげて徐家匯(シユイチアホイ)のバス停留
Author: 杜宣 Year 1960 Issue 6 PDF HTML
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2. 南海の明珠
南国はまさに夏の季節である。夜来の雨で朝風が涼しく、空気はとくに新鮮だ。空には朝焼け雲が走つてゆく。これは南方海浜地帶の夏の天候がとても変わりやすいことを示している。わたしは広州(クワンチヨウ)から自動車に乗り、仏山(フオシヤン)見物に出掛けた。自動車道路は珠江(チユチヤン)デルタをうねつて走る。美しい道路の両側は一面の水田である。このあたりは年に米が三度とれ、江南よりもさらに物産のゆたかなところ
Author: 杜宣 Year 1960 Issue 10 PDF HTML
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3. 教室にあまり出なかった留学時代
筆者紹介 劇作家、作家。一九一四年、江西省廬山県生まれ。主な作品に、戯曲「無名英雄」「難忘的歳月」「上海戦歌」、散文集「西非(西アフリカ)日記」「五月鵑」などがある。 現在、全国文学芸術界連合会上海分会の責任者、中国人民対外友好協会上海分会副会長等。いま私が思い出しているのは、日本留学時代のこと、つまり一九三三年から三七年まで、私の十九歳から二十三歳までの若いころのことである。わたしは上海の中国公
Author: 杜宣 Year 1980 Issue 5 PDF HTML
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4. 中国革命の源
これまで「中国共産党第一回代表大会記念館」を何度訪れたか、わたしは覚えていない。だが最初にそこへいったときのことは今でもありありと思い浮かべることができる。一九四九年のことであった。一九四九年、それは生涯忘れることのできない年である。この年の春―四月に、陳毅元帥は、われわれの偉大な英明な指導者毛主席の指揮のもとに、人民解放軍第三野戦軍をひきいて長江をわたり、余命いくばくもない蔣介石王朝の古巣南京を
Author: 作家 杜宣 Year 1977 Issue 9 PDF HTML
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5. 上海の南京路での出来事
きょねんのくれ、わたしは上海に遊びにきた外国の友人二人を案内して南京(ナンチン)路を散歩した。花や小鳥を売る店があったのでたちよってみると、友人の一人が有名な石湾陶器の人形や家屋、石橋、塔、動物などの小細工物に興味をおぼえたらしく、あれこれたくさん買った。そこを出て通りを漫歩していると、急に後の方から子供のあわただしい声がきこえる。ふりかえると浅黄色のジャンパーを着た十一、二くらいの男の子が息せき
Author: 杜宣(トウシワン) Year 1964 Issue 5 PDF HTML
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6. 外賓と旅して会った子供たち
一九六三年八月四日、昆明(クンミン)飛行場についたのは午前十時まえ。雨が降っている。飛行機から降りると、ひやりとするほど涼しい。思わず服の襟を立て、笑顔でうなずきあう。海抜一九〇〇メートルの昆明は年じゅう春のようで、真夏でも秋の涼しさだと聞いていたが、なるほど噂どおりだったからだ。雷雨のおかげで同行の客は朝鮮、ベトナム、日本、ケニア、ジンバブエの作家たち。みんなインドネシアでひらかれたアジア·アフ
Author: 杜宣(トウシワン) Year 1964 Issue 6 PDF HTML
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7. 富士をみて秋田雨雀先生を憶う
さくねんの六月、わたしは中国人民対外文化協会訪日代表団の一員として日本を訪れ、少なからぬ日本の友人と知りあった。しかし、日本の友人との交わりは、いまにはじまったことではない。一九三三年から一九三七年にかけての数年間、わたしは日本で生活したことがある。ちょうど日本の軍国主義たけなわのころだ。わたしたちの日本での行動は、軍国主義者の圧迫をうけ、わたしも私服につきまとわれていた。その私服の名前は忘れてし
Author: 杜宣(トウシワン) Year 1964 Issue 9 PDF HTML
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8. 魯迅傳
「魯迅(ルーシユン)伝」は、中国の偉大な文学者、思想家、革命家である魯迅先生の一生を描いた伝記的なシナリオで、作家陳白塵(チエンパイチエン)氏らの集団創作によるものです。このシナリオはいま上海(シヤンハイ)の天馬(テンマー)映画製作所で天然色映画に撮影されています。ここにはシナリオの第四章のなかの三段落をえらびました。一九二七年に蔣介石(チヤンチエシー)が革命を裏切つてのちに、魯迅が広州(クワンチ
Author: 陳白塵(執筆)葉以群 唐弢 柯靈 杜宣 陳鯉庭 Year 1961 Issue 9 PDF HTML