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Your search : [ author:李要武] Total 12 Search Results,Processed in 0.103 second(s)
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1. 〈2〉天安門事件「被告」の獄中記
韓志雄君は今年二十二歳の青年で、北京市家屋修繕第二公司に所属するブルドーザーの運転手である。一九七六年の四月、「天安門事件」がおこったとき、捕えられて獄につながれ、一一カ月も監禁された。いま彼は完全に名誉を回復したが、このほど記者はこの韓君をたずね、逮捕された前後のようす、獄中での出来事を話してもらった。「暴風雨よ、もっと激しく吹き荒れよ」「ぼくが天安門にいって詩をつくったり、朗読したりしたのは、
Author: 李要武 Year 1979 Issue 3 PDF HTML
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2. 青少年犯罪 社会復帰のために
甥の“変化”に驚かされて…一九七九年秋のある晩のことだった。戸をノックする音に気付いてドアを開けてみると、二十歳前後の青年が門口に立っている。みるからに「ごろつき」といった格好だ。むこうから、「おじさん」とあいさつされ、母親からの手紙を見せられなかったら、悪党に襲われたかと思うところだった。じつは、この「ごろつき」ふぜいの若ものは、従姉(いとこ)の息子で、母の手紙をたずさえてやってきたという次第、
Author: 李要武 Year 1983 Issue 8 PDF HTML
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3. 八億農民がとりくむ―大改革
近年、続々と中国を訪れる外国の使節に、鄧小平氏ら中国の首脳が会見するとき、まず、中国の農村で進められている改革の試みが、楽しい話題になるのが常のようだ。一九七八年以来の五年間、農業総生産額は年平均七·九%の高度成長を続けている。穀物、綿花、油料作物など、主要農作物の生産量は、年年記録を更新し、八億農民の一人あたりの平均収入は二·三倍になり、約四分の一の農家が新築、増改築など住の面の改善をしたが、こ
Author: 李要武 Year 1984 Issue 8 PDF HTML
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4. 農村富裕化のシンボル―「万元戸」
「私たちの乗る日航機が滑走路から北京―東京航路へと飛びたったとき、私は、ここ数日間、中国の農村をみてまわった印象について連想せずにはいられなかった。たとえてみれば、中国の農村(経済)も離陸したばかりの飛行機といっていいだろう。それは、点検、注油、始動、助走などの緊張した過程をへて、ついにしっかりと『現代化』の航路へと進入したのである。……」とは、ある日本人学者の感想である。
Author: 本誌記者 李要武 Year 1985 Issue 4 PDF HTML
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5. 「華堂商場」北京二号店がオープン
昨年十二月十二日、「華堂商場·亜運村(あじあむら)店」が、小売業の注目を集める北京市の北部、亜運村(アジア選手村)の商業地区にオープンした。これは、中国でチェーンストア展開をはかる華糖洋華堂商業有限公司〔(株)イトーヨーカ堂と中国側企業による合弁企業〕の北京二号店となる大型の総合スーパーマーケットだ。売り場面積約二万一千平方メートルで、同地区の小売店では最大の広さをほこる。中国のWTO(世界貿易機
Author: 李要武 張春侠 Year 2002 Issue 4 PDF HTML
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6. 「太陽の町」ラサ
中国の沿海地方からチベットへ行くには、距離が長いだけでなく、高山地帯をこえてゆかなければならない。そうしたことから以前にはチベットへの旅行は大旅行であって、ひじょうな勇気と決意を必要とした。だが、いまはもうあたりまえの旅行にかわっている。北京―チベット間の定期航路をとぶ旅客機で出発したわたしたちは、四川省の成都市を経由して三千余キロを三時間あまりでとび、チベット自治区の主都ラサの南にあるコンカル飛
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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7. 草原の鷹
チベットでは、好んで英雄を鷹にたとえる。それは、解放前、農奴は人身の自由をうばわれていたから、あらしをものともせず大空を自由に飛翔する鷹にその思いを托していたためであろう。チベットでの取材旅行中に、北部にひろがる草原で草原の鷹とよばれる人びとに出会った。草原の鷹―ブド草原の鷹―ブドさんがそのよい例だ。かれは目がみえない。そのかれが、バチェン県ラシ人民公社の党支部書記、革命委員会主任を兼務し、りっぱ
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 9 PDF HTML
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8. チベット北部の草原をゆく
つぎの取材地はチベット北部の牧畜地帯だ。そこは涯知れぬ大草原―蔵北草原またはチャンダン(北方の草地)ともよばれる。チベット自治区の北部にあるこの草原はチベット自治区の面積の約三分の一をしめ、わが国での天然の牧場としては著名なものである。歌と踊りに託してラサをあとにした自動車はヤンバチェン峡谷をぬけると大草原に入った。草原には、白い雲を思わせる羊の群やヤクと馬の群がみえる。放牧をうけもつ公社員がムチ
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 10 PDF HTML
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9. 『世界の屋根』で栽培された冬まき小麦
伝説が現実になるラサ付近の国営農場―ポンボ農場でつぎのような話を聞いた。かつて、このポンボ地区に奴隷のタンツェンという英雄があらわれ、仲間の奴隷をひきいて立ちあがり、農奴主を殺し、地方政府の役人を追いはらい、苦しみにあえいでいた人びとを解放した。そのこ、タンツェンの指導のもとに、この地方の山間部で青稞(耐寒性裸麦)が栽培されるようになり、ゆたかな収穫をあげはじめた。だが、それもつかの間、チベットに
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 11 PDF HTML
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10. 新しい工業の町―八·一鎮
ラサ市をあとに川蔵(四川―チベット)公路を東へ四百キロほどゆく。そのすぐ先で、ヤルツァンポ江にその支流のニーヤン河が合流する。そこには山々にかこまれた、みどりしたたる樹木を配する近代的な町がある。大小さまざまな工場が屋根をならべ、労働者の住居が山を背にし河にのぞんで建っている。町の大通りにはトラックや馬車がさかんにゆきかい、いたるところが活気にあふれている。この町が「高原の宝石」とチベットの人びと
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 12 PDF HTML