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Your search : [ author:李 譚] Total 1009 Search Results,Processed in 0.135 second(s)
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1. 長寿の王·龔翁を訪ねて
現在の中国では、最年長者はだれか、またその年齢はいくつなのだろうか?全国高齢者委員会の調べによると、その人は、昨年「中国の長寿の王」と名づけられた貴州省のミャオ(苗)族老人·龔来発(コンライフア)さんで、今年百三十二歳(一説は百四十六歳)。長寿の王に会う貴州省北部の務川コーラオ族ミャオ族自治県茅天鎮近くのある村。そこに龔来発さんが住んでいる。極めてへんぴな山奥にもかかわらず、取材相手がほかでもない
Author: 李 譚 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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2. 平和共存の五原則のあらたな輝き
中華人民共和国の周恩来(チヨウエンライ)総理は、いまインドを訪れ、中印間の境界問題についてネール首相と会談中である。各国人民、とりわけアジアの人民は、中印両国総理の会談を熱烈に歓迎するとともに、一〇億以上の人口をようするアジアの二大国の友好団結に心から期待をよせている。人びとの間には各種各様の議論はあるが、中国政府がたしかに誠意をもつており、平和共存の五原則のうえに、友好的な話合いをつうじて、隣国
Author: 譚雲 Year 1960 Issue 6 PDF HTML
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3. 銀輪がはこぶ友情
今年の八月中旬、『人民中国』誌の記者とカメラマンは、「日本兵庫県尼崎市第四回自転車友好訪中団」を随行取材した。遼寧省の省都·瀋陽から大連まで、炎天下、行程五〇〇キロのサイクリング·ツァーである。「老·中·青·少」の四世代前田健一さんを団長とする「自転車友好訪中団」は、一行十六人。最年長者は七十五歳、最年少者は十三歳、団員は、文字どおり「老·中·青·少」の四世代にわたる。教師、サラリーマン、大学生、
Author: 譚勇 Year 1984 Issue 12 PDF HTML
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4. 才媛のバイオリン教室
夕方になると、北京市西城区太平橋胡同を通る人びとは、きまってある場所から流れてくる軽やがなバイオリンの音色にしばし足をとめ、耳をかたむける。窓からのぞいて、バイオリンを弾いているのがじつは四、五歳の子供だとわかると誰しもびっくりしてしまう。ここは学校、名を「春芽幼児バイオリン教室」といい、学齢前の四歳から六歳児百二十人が、六つのクラスに分かれてバイオリンの練習に励んでいる。教師は十九歳になる李夏さ
Author: 譚誼 Year 1985 Issue 6 PDF HTML
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5. 「私の家は中国に」
湖南省北西に位置する石門県雁池郷は、山々に囲まれ、澄んだ渫水河がゆったりと流れる美しい町だ。中心部から川を二、三キロ遡ったところに、トウチャ族が集まって住む白泥村がある。 この村に一人の日本人女性が住んでいる。一九四三年に中国東北部へやって来て、その後半世紀以上、中国で暮らしている西野文子さんだ。時代に翻弄されつつも、大地をしっかり踏みつけて生き、中日友好を願ってやまない彼女の人生を紹介する。 (
Author: 譚燕=文 Year 2006 Issue 9 PDF HTML
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6. 大運河
地図をみると、北京から杭州(こうしゆう)(ハンチオウ)まで南北をつらぬく一八〇〇キロの運河がとおつているのに氣がつく。これが万里の長城とならんで世界にその名を知られている中國古代の二大工事のひとつ―大運河(だいうんが)(ターユインホー)である、こんにち万里の長城はすでに軍事上の價値をうしない、偉大な古代建築物として保存されているにすぎないが、大運河はそれと事情をことにしている。大運河はかつて中國の
Author: 譚其驤(タンチーシヤン) Year 1956 Issue 2 PDF HTML
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7. アメリカの対中国政策は変わっていない
アメリカ政府は最近、中国との関係の「変更の可能性について『門戸を開放する』」決意があるといいだした。アメリカのジャーナリズムも、政府の対中国政策は「柔軟性」をもちはじめたと、書きたてている。だが、アメリカはなぜいまごろになって対中国政策の「変更」を思いついたのか、またそれがほんとうに変更されるのだろうか。この半年らい、アメリカ政府の高官は、演説や談話をなんども発表して、アメリカの対中国政策は、人び
Author: 譚文瑞(タンウエンルイ) Year 1964 Issue 7 PDF HTML
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8. 岳陽楼と「刨花魚」(湖南省·洞庭湖)
岳陽楼は湖南省岳陽市の西門にあたる三層の城楼で、唐代に建てられ、宋代に改修されている。洞庭湖にのぞみ、范仲淹の「岳陽楼記」で知られ、解放後は、全面的に手をくわえて、新しく公園となっている。岳陽楼はその長い歴史と、雄壮な建物と美しい風景で知られています。古来その楼に登って、洞庭の風光を賞(め)で、絵や詩を作った文人墨客は数知れません。昔、岳陽市は岳州府と呼ばれました。城内に住んでいる高官や金持ちは洞
Author: 整理·譚習芝 え 楊永青 Year 1980 Issue 6 PDF HTML
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9. ホーチォ族が住む漁村―街津口
〈本文参照〉ホーチォ族は中国に生きる少数民族の中でも、最も人口の少ない民族で、解放前は300人にも満たなかったが、現在は約1400人、黒竜江、ウスリー江、松花江の三江平原に生活している。わたしたちが訪れた街津口は、黒竜江の下流にある。ここにホーチォ族の大部落があるが、河の向こうはソ連領。「ホーチォ」とは「当地の人」を意味する。かれらは昔から漁業で暮らしてきた。黒竜江に生息する魚が生活の資源なのだ。
Author: 写真 恩普 耀文 偉臣 譚実 Year 1990 Issue 8 PDF HTML
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10. 息もぴったり3兄弟ハモニカ演奏で受賞相次ぐ
昨年10月、西ドイツのトロツシンゲンで開かれた第2回世界ハモニカ·コンクールで、北京から参加した白燕生、文生、栄生の3兄弟が、「3重奏」の演奏によって特別賞を受賞した。長兄の燕生さんが8歳のときにハモニカを始めたのがそもそものきっかけ。弟たちもその魅力のとりことなり、ラジオ講座で独習を積んだ。1981年「白氏3兄弟重奏団」を結成、87年にはYMCAがつくった北京ハモニカ研究会の副会長、理事となった
Author: 文·孟皋卿 写真·譚実 Year 1990 Issue 8 PDF HTML