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Your search : [ author:本誌駐東京特派員 李恵春] Total 10 Search Results,Processed in 0.117 second(s)
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1. 6年ぶりの東京
八年前、わたしは研修生として、二年間日本に住んでいました。六年後、今度は『人民中国』の特派員として、また東京に来ています。六年ぶりの東京は、いろいろな面で変化を感じさせてくれます。女性のわたしがまず気づくのは、どうしても日本の女性のファッションです。八〇年代はじめに、みなさんが着ているツーピースはぴっちりしたものが多かったようですが、いまはゆったりしたものが目立っています。とくに、若い女性には、長
Author: 本誌駐東京特派員·李恵春 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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2. 第五回中日民間人会議を取材して
中国と日本のあいだには、いくつかの太い友好交流のパイプがあるが、「中日民間人会議」もそのひとつ。中日国交正常化十周年の一九八二年に発足したもので、第一回の東京会議を皮切りとして、二年おきに、北京、東京で交互に開催、多くの成果をあげてきた。そしてその第五回会議が、さる九月三日から六日まで東京のホテル·ニューオータニで開かれた。民間人会議と言っても、中国側は、韓叙氏(中国人民対外友好協会会長)、孫平化
Author: 本誌駐東京特派員 李恵春 Year 1990 Issue 11 PDF HTML
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3. 中国で好評の日本映画
みんな知ってる「真由美」いま、中国の若者たちのあいだで、一番有名な日本人といえば、まずは「真由美」さんということになるだろう。中国読みにして「チェンユーメイ」といえば、大ていの若者が知っている。実はこれ、先年、中国各地で上映された日本映画「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(中国名「追捕」大映作品)のヒロインの名で、女優中野良子さんのことなのである。昨年五月下旬、華国鋒総理の日本訪問にさいし、中国大使館
Author: 李恵春 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
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4. 広がる読者の輪
日本の各地に本誌の読者会ができているが、このほど、またユニークな会が発足した。昨年八月五日の朝、わたしは埼玉県飯能市中国三誌(人民中国、北京週報、中国画報)読者の会発会総会に出席するため、飯能市に赴き、発起人の西野長治さんに迎えられた。会場の飯能市富士見公民館では、友子さんという若い女性から胸につけるゲスト用の美しい造花を渡された。あとでわかったのだが、これは買ったものではなく、三谷さんという女性
Author: 李恵春 Year 1991 Issue 1 PDF HTML
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5. “鬼の大松”のお墓参りをした中国の“魔女”たち
五月のある日、友人の大松美智代さんから電話があった。彼女は十三年前に亡くなった大松博文先生の夫人である。「中国のママバレーチームが来るそうです。その中に昔主人の訓練を受けた人が何人かいます。取材しませんか」願ってもないことである。さっそく主催側の日中文化事業社に取材希望を申し入れ、専務の横尾了氏から三つ返事で了承を得た。六月三日、東京は梅雨に入った最初の日だそうで、小雨に濡れていた。わたしは大松さ
Author: 李恵春 Year 1991 Issue 9 PDF HTML
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6. 記事が縁で、縁が縁を生んで
本誌の一月号で埼玉県飯能市中国三誌(『人民中国』『北京週報』『中国画報』)読者会のことを紹介した。タイトルは「広がる読者の輪」である。それからほどなく、仙台市に住む佐竹紀さんという未知の方から電話があった。その記事を読んで興味を持ち、自分たちのところでもそのような会をつくって、中国と交流したいので相談にのってほしい、というのである。編集者にとっては、読者の反響を聞くほど嬉しいことはない。佐竹さんは
Author: 李恵春 Year 1991 Issue 12 PDF HTML
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7. また一つ友好のモニュメント飯能市の竹寺に牛頭明王像
千年の歴史を持つ埼玉県飯能市の竹寺に、中国から牛頭明王(ごずみょうおう)のブロンズ像が寄贈され、昨年十一月十一日その開眼供養の式典が行われた。像は高さ二〇四センチ、重さ七〇〇キロ。台座に刻まれた「牛頭明王」の四字は、書家としても有名な趙樸初·中国仏教協会会長の揮毫、かたわらに立つ石碑の「牛頭明王東渡紀念」は、啓功·中国書法家協会名誉主席の揮毫。この仏像が竹寺に寄贈されてきたいわれはこうだ。同寺の大
Author: 写真 李恵春 Year 1993 Issue 5 PDF HTML
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8. 中国美づくりへ資生堂参入 北京開発区に化粧品工場
十二億人口の中で、その半分が女性である。世の中に、美しくなりたいと思わない女性はたぶんいないだろう。中国の女性も同じである。それを目がけて早くも一九八一年から資生堂が中国との交流を始め、シャンプーとリンスを中心とする系列化粧品を中国の市場におしだした。銘柄は華姿(ホワズー)。十年間にわたる交流が実って、一九九一年の年末に、さらに北京麗源公司と合資の契約をむすび、資生堂麗源化粧品有限公司を創立した。
Author: 本誌·李恵春 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
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9. 200回を迎えた 大阪『人民中国』読書会
大阪『人民中国』読書会がことしの一月二十八日、二百回目の会合を開きました。わたしはこの記念すべき集いに出席するため、今年初めての旅に出ました。たまたま、その日が中国の春節(旧正月)にあたったため、国にいれば一家団らんの喜びに浸っているだろうにと、単身赴任のわびしさがこみあげてきましたが、大阪駅で出迎えて下さった読書会の会長·勝田弘さん、それに楠本光子さんと関西朋友会会長の原田親義さんご夫妻の顔を見
Author: 本誌東京特派員·李恵春 Year 1990 Issue 5 PDF HTML
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10. 訪日第一回目の大さわぎ
大学を出てすぐに『人民中国』雑誌社へ。翻訳部で二十年近くも日本語を相手に“奮闘”してきたにもかかわらず、初めての訪日は、わたしにとって戸惑いの連続だった。一九八一年の六月、わたしはほかの三人と共に中国教育部の派遣で、愛知大学に一年間の留学をすることになったのである。成田空港に降り立ったわたしは、それこそ全身を耳と目にしたような、そんな緊張感で通関の列に立ったものである。突然、「はるさん」とわたしを
Author: 本誌日本語編集部副部長 李恵春 Year 1988 Issue 7 PDF HTML