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Your search : [ author:本誌記者 張嘉斉] Total 333 Search Results,Processed in 0.083 second(s)
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1. 南方の新しい工業都市 韶関(広東省)
三つの川が出会う町広東の北江の起点にある町―それが韶関だ。粤北(広東省北部の略称)山区から流れる粤江と武江がこの地で合流して北江と名称を変え、さらに広州へくだって珠江に流れこむ。中国南北をつらぬく京広(北京―広州)鉄道はこの韶関を通る。市内は三つの川が出会って形づくる“中洲”を中心として、いまでは三つの川の両岸へとのび広がっている。韶関は山にかこまれ、川がめぐり流れる美しい町である。記載によると、
Author: 本誌記者 張嘉斉 Year 1974 Issue 11 PDF HTML
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3. 「太陽の町」ラサ
中国の沿海地方からチベットへ行くには、距離が長いだけでなく、高山地帯をこえてゆかなければならない。そうしたことから以前にはチベットへの旅行は大旅行であって、ひじょうな勇気と決意を必要とした。だが、いまはもうあたりまえの旅行にかわっている。北京―チベット間の定期航路をとぶ旅客機で出発したわたしたちは、四川省の成都市を経由して三千余キロを三時間あまりでとび、チベット自治区の主都ラサの南にあるコンカル飛
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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4. 草原の鷹
チベットでは、好んで英雄を鷹にたとえる。それは、解放前、農奴は人身の自由をうばわれていたから、あらしをものともせず大空を自由に飛翔する鷹にその思いを托していたためであろう。チベットでの取材旅行中に、北部にひろがる草原で草原の鷹とよばれる人びとに出会った。草原の鷹―ブド草原の鷹―ブドさんがそのよい例だ。かれは目がみえない。そのかれが、バチェン県ラシ人民公社の党支部書記、革命委員会主任を兼務し、りっぱ
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 9 PDF HTML
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5. チベット北部の草原をゆく
つぎの取材地はチベット北部の牧畜地帯だ。そこは涯知れぬ大草原―蔵北草原またはチャンダン(北方の草地)ともよばれる。チベット自治区の北部にあるこの草原はチベット自治区の面積の約三分の一をしめ、わが国での天然の牧場としては著名なものである。歌と踊りに託してラサをあとにした自動車はヤンバチェン峡谷をぬけると大草原に入った。草原には、白い雲を思わせる羊の群やヤクと馬の群がみえる。放牧をうけもつ公社員がムチ
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 10 PDF HTML
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6. 『世界の屋根』で栽培された冬まき小麦
伝説が現実になるラサ付近の国営農場―ポンボ農場でつぎのような話を聞いた。かつて、このポンボ地区に奴隷のタンツェンという英雄があらわれ、仲間の奴隷をひきいて立ちあがり、農奴主を殺し、地方政府の役人を追いはらい、苦しみにあえいでいた人びとを解放した。そのこ、タンツェンの指導のもとに、この地方の山間部で青稞(耐寒性裸麦)が栽培されるようになり、ゆたかな収穫をあげはじめた。だが、それもつかの間、チベットに
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 11 PDF HTML
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7. 新しい工業の町―八·一鎮
ラサ市をあとに川蔵(四川―チベット)公路を東へ四百キロほどゆく。そのすぐ先で、ヤルツァンポ江にその支流のニーヤン河が合流する。そこには山々にかこまれた、みどりしたたる樹木を配する近代的な町がある。大小さまざまな工場が屋根をならべ、労働者の住居が山を背にし河にのぞんで建っている。町の大通りにはトラックや馬車がさかんにゆきかい、いたるところが活気にあふれている。この町が「高原の宝石」とチベットの人びと
Author: 本誌記者 張嘉斉 李要武 Year 1975 Issue 12 PDF HTML
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8. 今日のチベット―封建農奴制からいっきょに社会主義へ
一九七五年九月九日は、チベット自治区成立十周年にあたる。チベット族人民のこのよろこばしい日をまえにして、記者はチベット高原を訪れ、取材した。その間、一代目の労働者、農民、解放軍戦士、牧畜民、少数民族出の幹部、教師、医師、科学者、俳優と僧侶などチベット族の人びとと広く接した。かれらは、それぞれの角度から自分たちの過去と現在について語り、かれらが先祖代々住んできた土地で生じた大きな変化について聞かせて
Author: 本誌記者 李要武 韓瀚 張嘉斉 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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9. 大慶油田の1205さく井隊
カラー参照中国の工場、鉱山、建設現場などでは、いたるところに「工業は大慶に学ぼう」というスローガンが見られる。大慶は、かつては果てしない大草原であったが、その地下にはゆたかな石油資源を秘めていた。一九六〇年の春、数万の石油労働者は全国各地からここに集まり、石油の調査·開発をすすめた。大慶油田の建設者たちは、きわめて困難な条件のもとで、自力更生、刻苦奮闘の精神を発揮して、三年たらずで大慶を中国一流の
Author: 張嘉斉 Year 1973 Issue 11 PDF HTML
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10. 人民公社の衛生院
病気が減った掲陽県は広州以東四百キロあまりの潮汕平野の中にある。この地の人びとは「功夫茶」を愛飲する。客を迎えると、主人は陶器の茶道具を出し、よくわいた湯で茶を入れ、さかずきのような小さな茶わんにそれをつぎ、客にすすめる。この地方特産の茶は、にがみがあるが、あと味はとてもよい。この地の人びとは客に茶をすすめながら、話に興じるのである。曲渓人民公社を訪問したさい、五十がらみの給水塔の管理員にこの「功
Author: 張嘉斉 曹復 Year 1973 Issue 4 PDF HTML