Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:撮影 張一心] Total 403 Search Results,Processed in 0.108 second(s)
-
1. 北京図書館
北京市の中心部、北海(ベイハイ)公園の西側に中国最大の総合的な国立図書館―北京図書館がある。その前身は清末の京師図書館で、いわば身をもって激動の一世紀近くを体験してきたわけだ。明·清両朝の宮廷蔵書、中国革命の貴重な文献なども少なくなく、現在の蔵書は九八〇余万冊に達する。解放前、わずか一四〇余万冊だったのに比べれば格段の発展だが、やはり林彪、「四人組」時代のブランクは大きい。なにしろ、おびただしい書
Author: 撮影 張一心 Year 1979 Issue 8 PDF HTML
-
2. 老いてますます―早朝に鍛える
出勤途上、早朝トレーニングの人びとをよく見かける。朝の公園や広場には、6時前から大勢集まって、もう始まっている。ほとんどが老人で停年退職者が多い。太極拳、剣舞、羽根蹴り、バドミントン、輪投げ、呼吸健康法の気功(チーコン)、柔軟体操の一種圧腿(ヤートイ)、予想以上の多彩さで、カメラがとらえたのはその一部にすぎない。健康長寿、晩年をお仕合わせに。
Author: 撮影 張一心 Year 1979 Issue 10 PDF HTML
-
3. 北京街頭の立食いスタンド
Author: 撮影 張一心 王恩普 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
-
4. 北京の釣りキチたち
江南ほどではないが、北京内外には大小の川、貯水池、公園の釣り池……と釣り場に事欠かず、マニアも多い。釣りは北京市民のレジャーのひとつだ。「釣りキチ」―中国語では「釣魚迷(チイヤユイミー)」という。
Author: 撮影 張一心 劉世昭 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
-
5. 天津
Author: 撮影/衛展 Year 1974 Issue 5 PDF HTML
-
6. 少年武術班
武術は中国独特の民族的スポーツで、長い歴史をもっている。解放後、多くの青少年が積極的に武術をまなぶようになった。北京市業余体育学校には、武術をまなぶ少年児童のために武術班が設けられている。武術を愛する子供たちは、自分から申し出、学校側の推せんをえて、放課後にここで武術を習う。約一年間の訓練で比較的にむずかしい拳法と一つか二つの武器をマスターする。いま、武術の訓練をうけている子供は120余人。数年間
Author: 撮影/蕭珊 Year 1974 Issue 9 PDF HTML
-
7. チベット族の「はだしの医者」
青海省クオロー·チベット族自治州の気温の低い辺ぴな高地にあるシヤンホンコー人民公社は牧畜を主とする人民公社。この公社にぞくする牧畜民二千余名は、千二百余平方キロの草原に分散して住んでいる。山は高く、谷間は深く、四季をとおして雪が降る。解放前、ここには医師がおらず、薬もなかったから、死亡率が高かった。解放後、人民政府は漢族の医師をここにおくり、衛生所をつくった。文化大革命いらい、公社の党委員会は、か
Author: 辛基 撮影 Year 1976 Issue 1 PDF HTML
-
8. 長春映画製作所スナップ
長春映画製作所は、1946年、吉林省の長春市にできた新中国最初の映画製作所である。はじめのころは、カメラマンが中国人民解放軍に従って前線に赴き、砲煙弾雨の中で戦争記録映画をとっていた。新中国誕生後、はじめて劇映画、科学映画を製作するようになり、20数年らい、多くのすぐれた映画を生みだしてきた。「四人組」が粉砕されてからは、ふたたび製作所全体に活気があふれ、「百家争鳴、百花斉放」の文芸方針を実行に移
Author: 狄華撮影 Year 1978 Issue 2 PDF HTML
-
9. 美しくゆたかな雁蕩山
Author: 撮影 狄華 Year 1978 Issue 3 PDF HTML
-
10. 北京崇文門アヒル料理店の調理師 程明生さん
崇文門アヒル料理店の前身は、「便意坊アヒル料理店」で、にぎやかな前門大通りの鮮魚口横町にあった。数年前に、崇文門に近い新僑飯店(キチル)のそばに引っ越してから、「崇文門アヒル料理店」とその名をあらためた。この店ではアヒル料理のほかに、中国の八大料理の一つといわれる山東料理もだす。程明生さんは、山東料理の腕もたしかで、日ごろ作っている料理は6、7百種にたっするという。蘇徳海さんは60になった。若い者
Author: 撮影 魯傑 Year 1978 Issue 5 PDF HTML